第14話
茹だるような暑さの中、少年は走りまわり、懸命に何かを探していた。
周りは鬱蒼とした木々、足元には少年の膝までくる草木が生い茂っている。
少年の年のころは10歳。深い金の髪に深碧の右目、深紅の左目・オッドアイを持っていた。一度会ったら二度と忘れられないような、強い輝きを放つ瞳。
「…あったぁ…っ!」
ジャングルのような森の中で少年は探していた花が咲いている場所を探しあてた。
オレンジの花弁の数が多い大輪の花。それを摘み始める。汗が身体にまとわりつくのも構わずに。
「ルトーっ!」
後ろから声をかけられ、少年の肩が跳ね上がる。振り向くと黒髪を束ねた、16歳ほどの少年が立っていた。
「サ、ザベルっ……ごめんっ!」
ルトーと呼ばれた少年は反射的に謝った。いつも自分の護衛として近くに控えているザベルを撒いて花を摘みに来たのだ。今日が初めてではなく、完全に撒けた試しなどないのだが。
「あのね、ルトー。ちゃんと言ってくれれば撒く必要なんてないのに、何も言わずに出ていくから怒られるんだよ?」
ザベルは飄々とした口調で話す。森の中で保護色になるよう、迷彩柄の服を着ている上に、武器も小太刀の他にピストルも腰に下げている。服の中にはチャクラムを隠し持っていて、常に周りの気配を探っていることにルトーも気付く年になった。
「で、でも。リーディス様が遠くに行くなって。」
「あぁ。あのおばさんのことなら気にするなよ。」
「…ザベルとアゼルのお母さんでしょ…」
それには返答せず、ザベルは花摘みを手伝い始めた。
「ウォルカのところに届けるんだろ?日が暮れちゃうよ。」
「うん、ありがと。」
ルトーはあまり外出を好まない兄・ウォルカのため、花を摘んでは届けていた。
大輪の花をルトーの両腕いっぱいに摘み、帰路に着く。
ここはタゴルダ国領地南に位置するシヴァの森。ルトーは生まれてから各地を転々としてしており、この地に落ち着いたのは2年ほど前のことだった。
着いた時はまたすぐに旅立つと思っていたが、何か事情があったのだろうか、そのままここに定着したのだ。小さな小屋をいくつも建て、集落を作って生活している。集落の族長はザベルの母親であるリーディスという女性だ。
すでに両親はなく、物心着いた時にはもうザベルが傍らにいて常に自分を守ってくれている。
ルトーの一番上の兄と姉2人は船で旅をしているため滅多に会えない。実兄ウォルカとともに、ザベルも兄のような存在だ。
ただ、何のためにこのような生活をしているのかはまだ分からない。
「ねぇ、ザベル。…テル兄さん達にはいつ会っていいの?」
「ん~…そうだな。しばらくは立ち寄る予定ないんじゃないか?」
先日族長宛ての手紙にはそう書かれていたらしい。可愛そうだがザベルとしては嘘はつけない。
「ザベルはお父さんに会えなくてさみしくない?」
「親父は離れてるけど、お袋も兄貴もいるからな。」
さみしいと思ったことはない。と言えば嘘になってしまうが、少なくとも最近はそう感じたことはなかった。それに、両親を失っているルトーの前でさみしいなどと言えるわけもない。
「俺達がいてもルトーはさみしいんだ?」
「……」
少し意地悪な質問をしてみる。そういうことじゃない、とルトーは口を尖らせる。
「早く帰ろっ!」
花を抱えたままルトーは走り出す。夕刻になったというのにまだ暑さは続く。小さな背中をザベルは追いかけた。
「ウォルカ様、失礼します。」
唯一の趣味といっていい読書をしていたところに3回のノックのあと、アゼルが部屋に入って来た。黒い短髪の少年。ウォルカ専属の護衛だ。後ろから幼い弟のルトーと、アゼルの弟・ザベルも続く。ルトーはオレンジ色の花をたくさん抱えていた。
「兄さん、これプレゼント!」
ルトーが摘んできた花をそのまま手渡すと、花の良い香りがウォルカの鼻腔をくすぐる。
「オレンジ色は、元気が出る色なんだって。」
ニコニコと話すルトーにウォルカは微笑むと、ルトーの頭を撫でながら
「ありがとう。」
と言った。
10歳の弟に心配されるほど、気が滅入っていたらしいことを少し恥ずかしく思った。
ウォルカは生まれつき左脚の膝から下が欠損していた。膝と杖を繋ぎ合せてなんとか歩行は可能にしているが、走ったり跳ねたりは難しい。しかも10年前、左半身を大火傷するという目にも遭っていて、その火傷跡は痛々しく残っていた。生来、ルトーと同じく美しいオッドアイを持っていたが、それも火傷で亡くしてしまい、左目には眼帯をつけている。
ウォルカはその自分の異形な姿に強いコンプレックスを持ち、明るい日中はほとんどそとに出たがらず、自然と屋内で過ごす時間が多くなっていた。
タゴルダは南国で、一年中気温はさほど変わらないが、今時期のような乾季になると火傷の皮膚がうずくような感覚に襲われ、ますます陰鬱な気分になる。
ルトーはその気分の変化を察知し、こうして様々な花を持ってくるようになった。
「ウォルカ様、花瓶をどうぞ。」
アゼルが水を張った花瓶と桶を持って来てくれた。始めはアゼルが活けていたが、せっかくの弟の気遣いなのでと、いつの間にかウォルカ自身で活けるようになっていたのだ。
「兄貴、もうそろそろ夕食らしいけど、兄貴とウォルカはどうする?後にするか?
俺はルトー連れて行ってくるけど。」
「ザベル、呼び捨てはやめろとあれほど…」
「はいはい、後にすんのね。じゃあ行きましょうか、ルトー様。」
一卵性の双子で見た目は確かにそっくりのアゼルとザベルだが、性格は正反対といっていいほどにちがう。生真面目な兄・アゼルと、飄々として気さくなザベル。顔立ちは似ているが、ここまで性格が違うと容姿の雰囲気にもにじみ出て、間違えることはない。そもそも髪型は違うし、アゼルの右目下には泣きぼくろがあって見分けは容易なのだが。
「兄さん、またね。」
笑顔で手を振るルトーにウォルカも笑顔を返す。
二人が出て行くと、ウォルカは桶の中で花の水切りを始めた。正直、最近食欲も落ちているので、皆と一緒のペースでの食事は気を遣う。
「アゼル、別に呼び捨てにされるのも、ため口なのも俺は気にしないんだけど…」
「いいえ。けじめですから。」
「そう……」
アゼルも子供のころは分け隔てなくしゃべっていたのに、とウォルカは寂しく思う。自分やルトーの生まれは皇族で、アゼルとザベルはその家臣の出自だ。そのため今もその主従関係が残されているが、ウォルカ自身は国を追われた身分でそんな扱いをされる云われもないと思っている。ルトーの方はそんな身の上をまだ理解もできないだろうし、それならば普通の友人同士のような関係の方がいい。と、以前から言っているのだが、アゼルは真面目な分、頭が堅く、まったく聞いてくれない。アゼルの母、リーディスの教育方針の賜かもしれないが。
「ウォルカ様、暑くないですか?冷たい飲み物を用意してきます。」
アゼルはそう言って給湯室へ向かう。このように甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのはありがたい半面、何もできない自分を思い知らされるようで辛くもある。
ルトーはまだ10歳だが、元気に走り回るし、自分のことはおおよそ自分でできる。子守という意味ではつらいかもしれないが、それでも醜い容姿の上、ろくに歩けない自分の護衛よりははるかにましだと思う。
こんな損な役割を何も文句を言わずにいてくれるアゼルに感謝しているが、本音はどうなのだろうか。嫌気が差していないだろうかと不安にもなる。
聞いたところで答えてくれないだろうし、聞くのも怖い。
花瓶には大輪の明るい橙色の花が活けられる。この南国に相応しい色で、確かに元気になるカラーでもある。ルトーが心優しく成長してくれているのが素直に嬉しかった。
「ウォルカ様、レモンティーでよろしいですか?あと、果物も冷やしておいたので、食前ですが召し上がってください。」
差し出された盆の上にはレモンティーの入ったグラスに苺や桃、キウイフルーツが盛りつけられた皿が乗っていた。必要以上に飾り付けの花も可愛らしいのが気になるが、ウォルカは喜んでフルーツを口にした。
「美味しい。」
身体の内側が冷えていく感じが心地よい。
「それから、冷たいタオルお持ちしました。汗疹になると大変ですから、火傷の跡だけでも。」
そう言ってアゼルは、畳んだタオルをウォルカの顔の火傷跡にあてる。ひんやりとした感触に汗が引いていくのが分かる。
「…眼帯、外しますね。」
ウォルカはとっさに拒んだ。完全に塞がって、窪んだ瞼を見られるのはやはり抵抗がある。
杖の脚に火傷の顔半面、そして左手の変形、幼いころはまだ己の姿が異形だと自覚がなかったが、普通でない容姿だと認識した時のショックはいまでも覚えていた。それ以来、自分の居室には鏡を置かないようにし、自分から鏡を覗くこともなくなった。
「ウォルカ様…」
わずかな抵抗だったが、アゼルはそれ以上の無理強いはしなかった。ずっと近くにいて、ウォルカが特に眼を気にしているのを彼は知っている。
「あとで、きちんと拭いてくださいね。」
優しく言うと、手を首に移動させた。タオルがぬるくなるたびに冷水に浸し、再び顔を拭いてくれる。手は花を活けているため、顔にそれは集中した。
特に頼んだわけではないのに、こういったアゼルの心遣いが嬉しい。少なくとも、嫌われてはいないと自分に言い聞かせることができるからだ。
ルトーが摘んで来てくれた花を全て花瓶に活けベッドサイドに飾った。花のオレンジと葉の緑の色合いが茶の木目のある壁によく合う。
「アゼル、ありがとう。夕食行こうか。」
レモンティーを飲み干し、アゼルを促す。
「はい。」
アゼルは優しい笑顔を返してくれた。
その笑顔が辛い。
自分さえいなかったら、もっと彼は自由に生きられるのに。
いや、彼だけじゃない。この集落に暮らす人みんながそうなのだ。
(俺は、…足枷だ…)
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