第13話

ボアーノ共和国建国から、もうすぐで10周年を迎えようとしている。

だが、皇帝ジェルフ・ダーマーの苛立ちは治まることがなかった。

4年前に隣国・ガーラマルダ公国を武力制圧し、統治国にしても。さらに2年前、海を挟んだ島国・ゴラを支配下においても。順調に支配領地は拡大しているのにも関わらず、心がまるで晴れないのには理由がある。

ボアーノは前身クラーニ皇国をジェルフ自身がクーデターを起こし、国皇と女皇、その側近を処刑して建国した国であった。野心家のジェルフは、クーデターの何年も前から計画、準備して奪い取った国だけでは満足せず隣国をさらに手中に収めようとしていた。

一見順調に見えるその野望の裏には、まだ不安要素を含んでいたのである。

10年前のクーデターでは、クラーニの皇族を全て駆逐する計画であった。だが、5人いた国皇の子供達全員がどうやら生き延びてしまったらしいのである。

しかも15年前には、謀略にはめて処刑するはずだった当時の宰相アーサー・ファウレスが国外逃亡し、一度瀕死まで追い込んだが、殺すまでにはいたっておらずまだ野放しの状態だ。

各国に指名手配書を発行し、情報を集めているが、アーサーも5人の皇子の情報もうまく集まってこない。アーサーと皇子が行動を共にしている可能性が高いだけに、いつ復讐にやってくるかと落ち着かない日々を過ごす。彼らが復讐に踏み切る前に、何とか始末して今の立場を確固たるものにしなければならない。

第一皇子のユーテルが20歳目前である今、復讐へのカウントダウンは始まっているのではないか。そう思えてならない。

外は雷雨を伴う嵐。

ジェルフは城の国王専用の執務室で、発行した皇子達の手配書を握りつぶした。

「…一体、どこにいるのだっ……」

切羽詰まったその呟きは、嵐の音にかき消される。

「ダーマー皇帝。」

そばに控えていた近衛隊長が声をかけたことにも一瞬気付かなかった。

「ダーマー皇帝、そんなに焦らずとも。ボアーノの武力は世界でも上位です。それに今はガーラマルダもゴラも統治国家ですし、国力は確実に成長しています。アーサーや皇子が復讐に来なければそれでよし。来たとしても、その時がむしろチャンスではないですか?」

「それはそうなのだが…しかし…」

ジェルフは知っていた。

国内の中でもまだクラーニ復権を望む声が多いことを。今の家臣は貴族とは無縁の出身者ばかりだ。金で忠誠心を買ったようなもので、命を懸けてボアーノのために働くとも思えない。ガーラマルダもゴラも、クラーニ時代は同盟国だったのを無理やり支配下においた。彼らはボアーノを恨んでいるとみていいだろう。

そんな状態でクラーニの逃げ延びた皇子が現れたら…

おそらく、標的にされるのはジェルフに間違いない。

そうなったときの為の秘密兵器を現在開発中のはずなのだが。

「あの研究はまだ完成しないのかっ……」

それが思うように進まないことも、苛立ちの要因の一つだ。

研究を始めたのはボアーノ建国当時。つまり、十年もの間ジェルフが心血注いでいるもので幾度となく失敗もしている。

この研究が成功しさえすれば、怖いものはない。計画では長くても5年で完成させ、さらに発展させた研究を行うことになっていたが、すでに計画の倍の年月が流れてしまった。

ここまできた以上、何がなんでも完成させなくてはクラーニを根絶できない。また、さらに支配国を増やす兵器なのだ。

窓を打つ雨は一層激しさを増す。まだ明るいはずの夕刻だが、空は暗く陰っていた。

執務室をノックする音が聞こえ、入室を促す。

「失礼します。ダーマー皇帝。」

入ってきたのは医学者兼生物学者のゴブワード。秘密兵器開発の為に雇った学者だ。背が低く、腰も曲がっている。

彼は闇医者で、非人道的な人体実験を行ったり、生物実験をしたりしていた。また黒魔術にも造詣が深く、怪しげな儀式を執り行い、その都度生贄をよこせと要求もされた。正直、ジェルフも持て余す人物で、研究さえ完成すれば始末したい相手である。

「どうした?ゴブワード。また失敗の報告か…」

「いえいえ。今回はいい報告ができますよ。」

「…上手くいったのか?!」

良い報告、という響きにジェルフは身を乗り出す。

「今までよりはるかに状態が良く、安定してますよ。その点では、第一段階はクリアと言っていいでしょう。」

「第一段階?まだ完成じゃないのか?」

乗り出した身体を戻し、ジェルフは不満を漏らす。そもそも、段階があるとは聞いていない。

「えぇまぁ。今の状態で完成と言ってしまってもいいのでしょうけど。ただ制御ができませんな。ひとたび暴走したら止められませんよ。なまじ力が強いだけにね。」

「そうか……」

「ですから、さらなる発展のためにもですね。確保してほしい人材がいるのですよ。」

「人材?誰だ。」

「そんなに難しくないですよ。電脳に詳しい技術者がほしいんです。」

「技術者だと?…そいつがいれば完成するのか?」

「そやつの腕次第でしょうか。腕が良ければすぐにでも完成しますよ。完全に。」

ジェルフはしばし考えた。電脳に詳しい技術者。心当たりがなかったのだ。国内・領地にもいるだろうが、腕が良いという条件が合致するかどうかだ。

「確保してくれますか?皇帝。」

ゴブワードはジェルフの返事を急かした。

実はこの技術者が必要とされること、ゴブワードが代わりに行うことも可能だ。

ゴブワードはジェルフに煙たがられていることに感づいている。この研究が終われば口封じに殺され、研究結果だけ奪われることは明白なのだ。

だからゴブワードは時間を稼いだ。電脳に詳しい技術者なんて、すぐに見つけてくることもあるだろうが、そこからさらに時間を稼ぐこともできる。技術者の腕が悪いとでも言えばいいのだ。

「わかった。なるべく早く引き渡そう。」

ジェルフはゴブワードの企みには気付かず、そう約束した。

しかしジェルフにも考えていることがある。

技術者が必要というのは制御がきかないという一点である。制御云々を除けば、完成に近い形になっているのだろう。もし技術者が見つからなければ制御がきかない点は容認するほかない。そうなれば、さっさとゴブワードも始末できる。

「よろしくお願いしますね。」

そう言うとゴブワードはニヤリと嗤って執務室を後にした。

「…忌々しい奴だ。」

ジェルフは吐き捨てた。人選を間違えたと、今更ながら後悔する。

もうすぐ齢60に手が届く。世界を手中に、という己の野望の為には、どんな犠牲も厭わない。そう決心してからどれほどの年月が流れたか、すでにジェルフは数えていない。だが年齢的に見てもそろそろ急がねばならないことは確かだ。2人の息子達はとにかく働くのが嫌いな放蕩者で、どうにも跡を継がせるには不安がある。自分の代で必ず成し遂げなければならないのだ。

外は雷が鳴り続け、雨も弱まる気配を見せない。

ジェルフは窓の外を眺めこれからのことに思案を巡らしていた時。

「親父。」

「……なんだ?」

執務室にノックもなしに入ってきたのは長男のペグノバーニだ。王族となったからにはもう少し気品というものを身につけてはくれないか。

実の息子に対しても不満が絶えないジェルフだが、ペグノバーニの齎した情報には飛びついた。

「クラーニの皇子の情報、欲しくない?」

ペグノバーニは父が欲しがっている情報をチラつかせた。彼としてはクラーニはどうでもよく、王族でいることにもこだわりがあるわけではないが遊ぶ金は確保しておきたい。こういった情報で父から金をせびることには全く悪びれない男なのだ。

「…今までお前の情報が確かだったことなどないが?」

過去には何度か、嘘の情報を父に流したことがある。そのたびにひどく叱られるが、反省などしたことがなかった。ジェルフの方もいい加減嘘の情報で振り回されたくはないのだ。

「今度は、かなり確かな情報に違いないよ。なんせ、ウォルカ皇子とルトー皇子の護衛についてた奴から買った話だからさ。どう?」

「そんな奴が口を割るはずがないだろう。どうせ金目当てのガセ情報さ。」

お前のように、と皮肉を込めてジェルフは退室を促す。

しかしペグノバーニも引かない。

「ところがさ、そいつの娘が城下にいんだけど、重い病気持ちらしいんだ。そろそろ危ないってんで護衛すっぽかして帰ってきたってよ。娘を助けるための高い治療費の為にその情報をくれたってわけ。…父親としては立派かもしれないけど、忠誠心は全然駄目だね。」

人の事言えないけど、とヘラヘラしながら話す。

その情報元が本当なら、今度の情報は当たりかもしれない。

「働くのが嫌いなお前が、いい仕事するじゃないか?」

「まあね。てことは、買ってくれんの?」

ジェルフは結局、ペグノバーニの提示した金額でその情報を買い取ることにした。

「今さ、皇子5人は二手に分かれて行動してんの。ユーテル、セレス、ミディールの3人がアーサー・フェリスの船に乗って海に、ウォルカとルトーは陸でそれぞれ生活してる。…で、情報元が行動をともにしてたのはウォルカ、ルトーの陸班だ。海班のほうの居場所は分からんけどな。」

ジェルフはその情報にジッと耳を傾けた。確かに5年前、アーサー襲撃の際にユーテル皇子らしき姿を見たというものがいた。あの時はアーサーを追いこんでおきながら、ジェルフの船は沈められてしまい、生還したものは数人だったが、ミッション失敗により処刑してしまっている。早まった決断だったかと思ったが、それも今更だ。

「それで、陸班の居場所なんだけど、10年前の事件の後、各地を転々と移動していたらしいが、障害者であるウォルカを考慮して今はタゴルダ国の南にあるシヴァの森で落ち着いてる。タゴルダはクラーニの遠縁に当たるからな。国を上げて庇護してるのかもしれねぇけど。」

ウォルカは生まれつき左脚の膝から下が欠損していた。成長に合わせて義足代わりの杖を膝につないでいたが、その職人もおそらく同行しているだろう。いずれにしても、落ち着いているのなら好都合だ。タゴルダは南国の小さな国で、ボアーノから結構距離はあるが、10日もあれば着けるだろう。ペグノバーニの言うとおり、クラーニとは親戚関係でもあるのでそう簡単に入国はできそうにない。策を練る必要がありそうだ。

「御苦労だったな。もう外していいぞ。」

居場所さえ聞ければ、用はない。

今後の策を練る時間を早く欲しい。

「へいへい。…あぁ、それから。親父なら知ってるかもしれんけど。」

まだ何か出し渋るペグノバーニに、ジェルフは苛立ちを露わにした。

「そんな怖い顔すんなよ。…アーサー・ファウレスだけど、フェリス・ピークスっていう名前に変えて、5年前の襲撃でやっぱり死んでるらしいぜ?今船長のフェリスを名乗ってんのは、ユーテルだ。」

「…そうか。」

それだけ言うと、ペグノバーニは満足したのか、執務室を出ていった。

ジェルフは考えた。

アーサーの死。憂いの一つは消えていたらしい。

「さぁて………」

世界地図を広げ、クラーニ根絶に向けた計画はまさに前進したのだ。

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