第12話
ホリンは心の中でこっそりとため息をつく。
無期限でフェリス・ピークス船団に世話になることになったのは構わない。船長は正義感のある好漢で、副船長もユフィールも何かと気にかけてくれる。セレーヌは明るく、姉と仲良くしてくれるし、ルーヴァもとっつきは悪いと思っていたが優しい少女だという確証は得ている。
問題は…。
「犯罪者がこの船に乗っていられるだけ、ありがたいと思えよ。」
アーヴィンが勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ホリンの腹を思いっきり蹴った。
ホリンは後ろ手に縛られた上、船楼1階の倉庫に軟禁され、すでに小一時間ほど腹やら背中やらを蹴られ続けていた。顔を狙わないあたりがセコイと思いながら横たわる。
20人ほどいる船員の中でこれに加わっているのがたった3人というのがせめてもの幸いなのか。
一人はアーヴィン。残りの二人もまだ20代前半だろうという若い船員だ。名前はまだ全員を覚えているわけではないが、この二人は分かる。ガフという名の砲撃手と、アーヴィンと雑務をこなしているセイゴだった。この3人は最初からホリンに敵意を向けており、ホリンもこういう洗礼は想定内であるが、やはり気分のいいものではない。
「………」
「っなんとか言えよっ!!」
黙ったままのホリンが気に食わないのか、ゼフが一層力を込めて蹴りを入れる。
しかし軍人であり日頃鍛えているホリンにはさほどのダメージではなかった。
大人しくしているのが得策かと素直に蹴られているが、いつまで続くのか分からない洗礼は辛い。
さて、どうやってこの状況から抜け出そうかと思案するが、いきなりセイゴに髪を掴まれた。
「いっって…っ……」
「剣は強いかもしれねえが、手縛られたら何もできねえだろ?ざまぁ。」
「…相手の手封じなきゃ何もできねえのかよ…」
酒臭い息がかかるほどの距離に顔をしかめて、ホリンは言った。
セイゴ達はさらに激昂して、髪をつかんだままホリンを立たせる。
「てめえっ……」
「セイゴっ!顔はやばいっ!!」
アーヴィンが叫ぶより早く…ホリンの脚がセイゴの脇腹をヒットした。
「ぐえっ…っ」
重い一蹴りにセイゴは蹲る。すぐさまゼフが拳を上げた。
「っのやろぅ!!」
しかしホリンは冷静に拳をかわし、またしても蹴りを入れる。
こちらは手を封じられているのだ。反撃されない内に呆気に取られているアーヴィンにも力の限りの蹴りを入れ、倉庫から脱出する。
「脚が使えれば、問題ねえんだよ…」
ごろつき3人に向けて言い放ち、誰か手を外してくれる人を探す。この3人以外はおそらく良心的な人間のはずだ、とホリンは感じている。
と、ちょうど倉庫の隣の医務室からルーヴァが出てきたところだった。
「ホリン?」
医務室から出てきたということはルーヴァはまだ体調が戻らないのだろうか?と思いながらも救われた気分だった。
「はぁ~助かった…悪いけど、これ外してくれない?」
ホリンは後ろを向き、縛られた手を見せる。きつく縛られた手がぎりぎりと痛んでいた。
「なんだよ、これ…」
一瞬ルーヴァは眼を見開いたが、たいして驚きもしなかった。
「アーヴィンとゼフとセイゴか?これやったの…」
「………いや、まぁ……」
あの3人の素行を知ってか、ズバリとルーヴァは言い当てた。
腰に携帯している短剣、ダガーを手に取ってホリンの手に掛けられた縄を切り始める。
「隠さなくていいよ。……私はあの3人好きじゃないし。こんな卑怯な真似する奴なんて、フェリス・ピークスの船に乗る資格なんてないんだ。」
背中越しでもアーヴィン、ゼフ、セイゴに対する怒りを露わにしているのが分かる。
ホリンの手を傷つけないように慎重に縄を切っているためか、少々手間取ったようだが手は自由になった。しばらくの間きつく縛られていたせいで所々擦り傷になって血が滲んでいる。
「さんきゅ…」
「ちょっと医務室に来いよ。手首の消毒くらいしないと。」
さすが、というべきか、縄が擦れた手首の傷に気付いていたようだった。
「いや、このくらいなら大したことないし。大丈夫。」
「この縄、随分泥とか血にまみれてたから、あまりきれいなものじゃないぞ。すぐ終わるから。」
「…じゃ、遠慮なく。」
倉庫隣の医務室もやはり船上なだけあってさほどの広さはない。
小さなテーブルと椅子が2個、ベッドが1つといった具合で、医務室とはいうが医療器具は見当たらない。
「薬が豊富なんだな。」
「セレーヌも薬には詳しいからたくさん揃えてるんだ。薬以外の器具ならユフィール先生が自分で持ってる。鋏とかを除けばどうせ先生しか使えないしね。」
医務室の中に入ってホリンを椅子に座らせると、ルーヴァは慣れた手つきで消毒薬を手に取り、ガーゼに染み込ませる。
「手。」
「ん、あぁ。」
まず右手を差し出し、消毒液を含んだガーゼが当てられた。つんとしたアルコールの匂いとともに、傷にジクジクと痛みが走る。
(よく考えたら…こんくらいなら自分でも出来たよな…)
ついつい甘えてしまったことに恥ずかしさを覚えながら、消毒をするルーヴァの手を見た。
普段はグローブをつけていることが多いのだが、今は素手だ。指が長く白い手がとてもきれいだと気付く。細長い爪の形も色も、美しかった。
女の子に手当てしてもらっているということを意識してしまって、何となく落ち着かない。
ふと、昨日の夜が思い出された。酒の量が多かったようだが…ルーヴァは記憶があるのだろうか?
「昨日はごめん。」
ぼんやりと考えていたらルーヴァから切り出されたことにホリンは驚く。しかし謝られるようなことは何もなかったはずだ。
「ごめんて?何に対して??」
「いや…相当酒飲んでた上に、寝落ちたあと運んでくれたんだろ?」
消毒する方の手を変えさせながらルーヴァは話す。気まずそうな顔が可愛いなんてホリンは思った。
「覚えてんの?」
「うん…まぁ…なんか訳の分からないこと言ってたろ。」
思い返せば確かに訳が分からないと思ったが。
「……確かに、分からなかったけど……なにかに悩んでんのはよく分かったよ。」
「………」
「お前は将来(さき)が見えないって言ってたけど、今の俺も同じ状況だ。
だけどさ、まずは一人じゃない幸せを感じてみたらどうかって。…思うんだけど。」
「一人じゃない?……」
「俺だって、犯罪者になったことはもう仕方ない。…でも一人だったらどうしていいかわからなかったよ。自棄起こしてたかもしれないし、ひたすら途方に暮れてたかもしれない。」
この船に救われたのは姉さんだけじゃない。
そうホリンは付け足した。
「そうか…」
ルーヴァはホリンの言葉を噛み締めているように、手の動きが止まる。
「ルーヴァもさ、セレーヌだったり船長達だったり、この人がいてくれて良かったって相手、いるだろ?」
「そうだな。…近くにいるのが当たり前過ぎて…忘れてた。」
そう言って、ルーヴァは困ったように笑顔を浮かべた。
その顔がやはり可愛くて…思わず聞いてしまった。
「…やっぱり、ユフィール先生が特別?」
「……はっ?……」
ルーヴァは肯定したわけではなかったが、頬に射した朱が是と物語っていた。
「消毒、終わったぞ。私はもう寝るからな。」
話を終わらせ、片付けも済ませたらルーヴァは医務室を出ていこうとする。
その背中にホリンはもう一言。
「俺じゃ駄目か?」
ルーヴァは立ち止った。かのように見えたが、すぐにまた歩き出し、
「早く休め。」
短くそれだけ言うと、ホリンを残して医務室を後にした。
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