第11話

翌日、雨が降りそうな曇り空の中、昼前にメルクリウスは帰ってきた。ガントからその知らせを受けてホリンはまだ眠気が取れないながらも起床する。

(…やべ、寝坊…)

居候の分際で…と陰口をたたく輩がいたが、聞こえない振りをして甲板に出る。メルクリウスの周りにはルーヴァ、セレーヌ、フェリス、ユフィール、ガントに加えてエーディンが集まっていた。メルクリウスは相変わらずルーヴァにべったりかと思いきや、仔ドラゴンを抱えていたのはエーディンだ。

「姉さんっ?!」

昨日の暴れっぷりを見ていただけに心配になるホリンだが、当のエーディンは平然としていた。

「ホリンてば、今起きたの?」

エーディンに頭を撫でられ、メルクリウスはうっとりとした表情をしている。セレーヌは逆に不満そうだ。

「あたしにはちっとも懐かないのに~」

なぜエーディンには懐いて自分には懐かないのか、不思議で仕方ないセレーヌだが、こっそりユフィールがホリンに耳打ちして教えてくれた。

「メルのやつ、女の子の胸が好きなんだよ。大きめのな。」

なるほど。そう言われてホリンは納得してしまった(セレーヌには悪いが)。もっとも、ルーヴァの胸の大きさはよくは分からなかったが。ルーヴァといえば、昨夜随分と酒を飲んでいた割には特に顔色が悪そうでもない。涙はすっかり影を潜めていた。

「じゃ、メル。手紙もらうよ。」

ルーヴァがドラゴンの喉を撫で、ポーチから手紙を取り出す。エーディンとホリンはもとより、ガントとユフィールも緊張して見守っていた。

「……2通ある。1通はエーディンさんとホリン宛、もう1通は、キャプテン宛だ。」

「俺??」

ルーヴァは宛名通りに1通をホリンに(メルクリウスがエーディンから離れようとしない)渡し、残りをフェリスに手渡そうとした時、その手紙をユフィールが取った。

「差出人、ダグザ・ライクアード。」

ユフィールが読み上げると、ガントは眼を見開く。

「あ、ダグザは私達の父です。…養父ですけど。」

「養子?…二人とも?」

「ええ。侯爵の実子はマーギという娘一人で、私達は養子なんです。」

「養子…そうか…」

ユフィールは得心したかのようにうなずく。何に納得したのか、ガント以外に知る者はいないが。

「で、ホリン。封を切って、何が書いてあるか教えてくれないか。」

フェリス宛の手紙は封を切らないまま、ユフィールが急かした。ホリンは中の便箋を取り出し、文を読んで絶句した。顔が青ざめるのがホリン自身にも分かるくらいに血の気が引いていく。便箋を握るホリンの指先が小刻みに震えているのをその場にいる全員が気付いた。

「ホリン、どうしたの?何が書いてあるの??」

優しい姉の声に答えようとしたが、上手く言葉が見つからず、ただ文を見せる。人の手紙だというのに、セレーヌも待ち切れずに覗き込んだ。手紙の要所をエーディンが読み上げる。

「帰ってきちゃ、だめ?……私は、王族に狙われてて………」

ここまではフェリスが得ていた情報と同じだ。だが、その先に書かれていたのは…

「ホリンは……陸軍の脱走兵として、指名、手配………帰ってきたら、捕まっちゃう……?」

全員が凍りついた。つまりわずか一日の間にホリンは犯罪者になってしまったということだ。行方不明のホリンを脱走と認定するにはあまりにも時間が短すぎる。通常ならもっと情報と証言を集め、慎重に行うべきものだ。なのに…

「なんで?!どうして??」

声を荒げて抗議するのはセレーヌだ。今にも泣きそうな顔をしている。フェリスとルーヴァ、ガントも険しい表情をして声を出せないでいた。ユフィールはいつの間にかフェリス宛の手紙を開いて読んでいるが、咎める人間もいない。

「どうしてかってことなら、脱走兵認定承認をする王族や貴族の身勝手な偏見だろう。」

ユフィールは手紙をフェリスではなくガントに渡し、推測だが、と言い添えて説明する。

「ライクアード侯爵はアスタルテの国でも珍しい良心的な貴族だ。それを良く思っていない王族貴族はどうにかして没落させたいとチャンスをうかがってたんじゃねえかな。とはいえ、ライクアードは民に人気があるし、長く侯爵を務めた一族だし、陥れるのは容易じゃなかった。それが今回ホリンが行方知れずとなって、そいつらは大喜び。侯爵本人じゃなくてもその息子がなんかなってくれれば侯爵をつつきやすい。とでも考えたんだろうよ。」

誰ひとり、声を発する者がいなかった。確かに、養父と王族、貴族たちの間にはそのような雰囲気があった、とエーディンとホリンは思い返す。しかしまさかそこまでして陥れようとされていたなんて、という思いが強い。

「…俺のせいで……」

拾って、育ててくれた養父を没落させてしまうかもしれない。そう思ったら、身体の震えが止まらなかった。

「いやホリンのせいじゃないだろう。……悪かったな、うかつに二人を連れだした俺の責任だ。」

確かに誘拐同然にエーディンを連れ去り、ホリンも巻き込んで出航させたのはフェリスだ。

しかしそれは意図的でも計画的でもなく、フェリスの善意である。

そのことを二人は知っていたので、責任を感じさせるのは辛かった。

だがそのことを上手く伝える言葉がわからず、ただ黙るしかできない。

「誰にも責任はねえよ。二人の父親からフェリス宛の手紙には、助けてくれたお礼としばらくの間よろしくって書かれてた。必ず、安心して帰ってこれる状況をつくって待ってるってな。家族にとっては、二人が無事だっただけでいいんだ。これからのことはゆっくり考えて、国のことは父親に任せておけばいい。こんな王族貴族の横暴はそうそう許されるもんじゃない。いつか没落するのはライクアードじゃなくて、王族の方だろうな。なにより国を構成するのは国民だ。国民を味方にした方が勝つ。」

ダグザなら、きっとなんとかできる。してくれる。その言葉をユフィールは呑みこんだ。手紙を読んでいるガントも頷いている。

「お父さんがそんなことを…?」

泣きだしそうな声をだして、エーディンは言う。まだ帰れない。帰れる目途がつかないことが言いようのない不安を掻きたてる。

「あぁ。だからちゃんと国に帰れる準備ができるまでは、この船に乗っててくれ。不安があるのは承知してるが、保護者からよろしく頼まれちゃ悪いようにはしねぇからよ。」

ユフィールがそう言うとそれまで大人しくしていたメルクリウスが一声上げた。すっかりエーディンに懐いた彼は歓迎の声を上げたかのように聞こえる。そして曇空は雨空に変わり、皆を濡らし始めた。それが合図になったかのように甲板から引き上げ、その場は解散した。



その夜、船長室で大人3人はシャンパングラス片手に話し合っていた。船長室とはいっても、船内の一室なのでそれほどの広さはない。

外は昼からの雨がまだ降り続いていた。話していたのはもちろんエーディンとホリンのライクアード姉弟とその養父、ダグザのことだ。ユフィールとガントは十数年前にダグザと面識のあることを話していた。ダグザからフェリスに宛てられた手紙にも綴られていたので事情を知らないフェリスに話しておくことになったのだ。

「十年以上前にね…」

いつものフェリスの装いとは違っている。長い髪のウィッグはベッドサイド、顔を覆っている布を外した素顔は若い青年。一般の船員達には決して見せない、船長の正体だ。40歳と偽っているが、実際は二十歳になろうかという年である。顔で年齢がばれないようにするため、顔には常に布を巻くようにしてきたが、ユフィール、ガントの前では素顔に戻ることができた。

「エーディン達に宛てられた手紙にはユフィール達の面識のことは書いてなかったのか?」

「あれはダグザの娘が書いたものだ。特に俺達のことに関しては触れてなかったよ。」

ガントが一番気になっていたことを聞いてみた。ユフィールはいつの間にやら見せてもらってたらしく、その問いに答える。

フェリスは無言でシャンパンを飲み、煙管に火をつける。煙を燻らせながら何やら思案を始めた。

ガントとユフィールのかつての友、ダグザ・ライクアード侯爵の令息と令嬢を預かることになったからには不自由な思いはさせられない。急に船旅に連れだされて足らないものもあるだろう。なにより、慣れない船の上にずっといさせるのはかわいそうだ。

(買い出しも兼ねて、どこか大きな街に停泊するか…)

大きな街といってもその街々によって特徴はさまざまだ。商業都市や工業都市、観光を売りにしたりエンターテイメントが盛んな街もある。二人の買い物がメインならデパートのような量販店があるほうがいいだろうが、気を落としている二人の為になにか楽しめるところもあるほうがいい。さらに、ホリンが指名手配ということになったらアスタルテとは国交がないほうが安全だ。できればギルドか闘技場で資金も集めたい。

これらの条件に該当する街がひとつだけあった。

「ウロ―ドル公国の港街、コルガがいいか。」

「は?」

フェリスの呟きにガントとユフィールは反応したが、突然の一言は意味がわからない。

「フェリス、俺達の話は聞いてなかったな?」

考え込んだフェリスを横目に、ユフィールとガントは深刻な話をしていた。

「あぁ…ごめん。もう一回話して。」

ユフィールに睨まれたフェリスは申し訳なさそうに謝る。ちゃんと聞くから、といい添えて煙管の灰を落とした。ガントは終始眉間に皺を寄せている。

「まあ、いいけどよ。話を変える。…お前、もうすぐ20歳だな?」

「?…うん。」

ガントは終始眉間に皺を寄せている。

「ストレートに言うぞ。お前は、ダーマーを許せるか?」

現ボアーノ共和国の皇帝の名を聞いて、フェリスの顔が強張る。

「ダーマー……」

フェリスは憎い仇でもあるその名を反芻した。

「俺は許せない。」

真剣なユフィールの眼差しに射抜かれフェリスもガントも口を噤む。

「親も親友も、ダーマーに殺された。許せるわけがない。」

「……」

「フェリスだって親を殺されてる。今もやつはお前と兄弟を殺すことを諦めたわけじゃない。そうだろ?それに。」

一度区切って、ユフィールはグラスのシャンパンを飲みほした。

「それにダーマーが皇帝を名乗ったことによって、国はめちゃくちゃだ。治安も産業も、自然も。何もかも壊されてる。密かにクラーニの皇権復興を願う国民は少なくない。」

ユフィールの口調は強くなっていた。黙って聞いていたガントが口を出す。

「ユフィールの気持ちはわかる。だが……どれほど危険なことか…分からないわけじゃないだろう?ダーマーに弓引いて、下手をすれば全員が死ぬことになる。この船だけじゃない、陸にいる仲間も全員だ!」

ユフィールとガントの間で、この話が上がることは初めてではない。フェリスも交えては初めてだが、幾度となく話し合い、平行線のままなことをフェリスは知っていた。

「じゃあ、今のままで安全だって言い切れるのか?行くとこ行けばこの船は海賊船だ。ダーマーの手に捕まることだってあるかもしれない。陸で生活している仲間だって…ガントの息子達だって危険なことに変わりはないだろう!」

ユフィールは一層声を強めた。酒の勢いもあるのだろうが、ガントも譲らない。

「無関係な船員だっている!ホリンや、エーディンまで危険に曝すのか?!」

実は船員のほとんどはユフィールやガント達の仲間である。

アーヴィンとホリン、エーディンの他数人だけがこの船の素性を知らないのだ。

ホリンとエーディンは成り行きで船に乗ることになった。ガントはどうしても、関係ない船員を巻き込むことはできないと言い張る。が、ユフィールは。

「ホリンには力を貸してもらう。」

「ユフィール!!」

叫んだのはガントだけではなかった。黙ったままのフェリスも声を上げる。

「ホリンの実力は本物だ。ガントも見ただろう。」

確かに、ルーヴァを追い詰める剣の実力はガントも見たし、フェリスも知っている。

「ユフィールの言い分は分かってるよ。だけど、ホリンとエーディンはちゃんと家まで帰さないと…」

「それはいつになるか分かるのか?言っとくが、アスタルテの国はそんなぬるくない。ダグザが一人でなんとかしようとしても、それなりに年月が必要だ。」

フェリスの言葉を遮ってユフィールは主張を続ける。

「最初に戻すぞ。フェリスはダーマーを許せるのか?」

「俺は……」

許せない、とフェリスは小さな声で伝えた。

両親を殺され、兄弟達を傷つけられた日のことは忘れられるはずなく、心に焼きついている。

「ユフィールと一緒だ。できることなら、ダーマーを駆逐したい。」

フェリスが心の内を話したのは初めてだった。ユフィール、ガントがずっと考えていたように、フェリスもまた考えていたことだった。

「聞いたか?ガント。」

「……フェリスがそう言うなら。仕方がない……」

ユフィールにはぶつかるガントだが、フェリスには弱い。この船の船長はフェリスだ。船長のやりたいことをやれるよう、サポートする意思は昔から変わらないようだ。

「ガント、わかってくれるだろうが。おれはいつまでもこいつをフェリスの代わりにしたくない。」

ユフィールはフェリスの肩を叩く。その言葉にはガントは反論しない。

「フェリスは5年前に死んだ。こいつはユーテルであって、フェリスじゃない。」

「………」

「フェリスの振りをさせたのは俺だが、早く変装なんてしなくていい、素顔のユーテルで生活してもらいたいんだ。」

フェリスが死んで、ユーテルに彼の振りをさせたのは、当時すでに海で大きな力を持っていたフェリス・ピークス船団の脅威を失わせないためだった。船長が死んだとあっては海賊達から狙われる危険があり、それを回避するため、フェリスの甥であり、顔立ちがよく似ていた15歳のユーテルに変装させた経緯がある。しかしそのことはユフィールの良心を痛めた。早く解放してやりたい。一刻も早く。

「俺も、そう思う。」

ガントもそれに関しては素直に頷く。

ユーテルは親同然の二人の思いを背負って生きている。それを実感した。二人だけでなく、故人のフェリスもそうだ。

「ユフィール、ガント。俺はね、打倒ダーマーは復讐のためだけじゃないんだ。フェリス叔父さんと最期に約束したこと……『必ずクラーニに帰す』。これを守りたいんだよ。」

フェリスが髪を長くしていたのは願掛けだった。故郷であるクラーニに大手を振って帰れる時が来るまで、髪は切らない、と。

「それから、今のボアーノにいる民達が苦しんでるなら、救わなくちゃいけない。………俺はクラーニに生まれた皇子だから………」

ボアーノの前王朝であるクラーニは、他に類をみないほど豊かな国だった。それは決して驕ることない、清廉な一族が国を治めていたからだといえる。国を思い、民を思い、臣下を思う。ユーテルは幼いころからそう教えられてきたのだ。その国に生まれたこと、その国を守れることがユーテルの誇りだった。

「だけど、ホリンは巻き込めない。」

「…そうか…。まぁ、すぐの話じゃないし、またおいおい相談しようか。」

ユーテルの断固とした言葉にユフィールは納得しないようだったが、この場ではそれ以上のことを言わなかった。

「この後の航路はコルガに向かおう。買い出しもできるし、ホリンとエーディンの気晴らしになるだろうからな。」

ユーテルが考えていた行き先と同じ都市をユフィールは指定した。ホリンに力を借りるとか、なんだかんだ言って、二人に不自由な思いをさせるつもりはないらしい。

「大人しくするのは、もうしばらくの間だけだ。ちゃんと覚えておけよ。」

打倒ダーマー。そう決めたからにはもう振りかえらない。3人は決意を固めた。


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