第10話
ホリンは揺れる船に苦戦していた。大きな船のおかげで、昼間穏やかな天気ならたいした揺れもなく、問題なかったのだが。夕食と入浴を済ませ、風が強くなってきて船の揺れが大きくなってきたら、ダウンした。ベッドに横たわったが、気分は少しもよくはならない。
(陸が恋しい……)
同室のアーヴィンに体調がすぐれないと伝えたら、
「あっそ。…役立たず。」
とだけ返ってきて、精神的にもやられてしまった。船が揺れるたび、うめき声が出そうになるが、これ以上アーヴィンをイライラさせないように、と思うと我慢するしかない。とはいえ、アーヴィンと同じ部屋にいたら息が詰まる。
ということでホリンは屋外に退避した。息苦しく悶々としているよりは風にあたっていたいと思ったのだ。
甲板や船頭側はまだ人がまばらに居たため、船尾に向かう。日が暮れ、明かりは船尾にはほとんど届かず、わずかな月の光しかない。
そのわずかな明かりの中で小柄な人影を見つけた。
「………ルーヴァ?」
眼をこらして見ると、樽に腰かけて船の縁に寄りかかっているのは夜着にブランケットを肩に掛けただけのルーヴァだった。ブランケットが風に煽られて、バタバタと音を立てている。
声に反応して、ルーヴァは振り返る。額の傷は絆創膏のみになっていた。
気のせいか、焦点の合わないような眼をしているようだ。
(昼間体調悪いって言ってたけど…)
あたりを良く見ると、空になった酒瓶がいくつも転がっているうえに、ルーヴァの手にも酒瓶は握られている。
「昼間寝てたのに、酒飲んで平気か?」
外は期待通り、風が当たって心地よい。少々、強すぎるが。
ふらつく脚でなんとかルーヴァの隣にくると、適当な樽を見つけて同じように座る。
「…ホリンこそ、船酔いだろ?脚がふらついてる。薬もらってきたらどうだ。」
ぶっきらぼうに言われたが、その声が掠れている。近くに来てみると、眼も赤く濡れていた。
(…泣いてた?)
「風にあたれば大丈夫だよ、多分。あと、ルーヴァが話相手になってくれれば。」
アーヴィンに知れたらまた冷たい仕打ちを受けそうだが、とりあえず話を聞き出そうとしてみる。涙には気付かない振りして、つとめて明るく言った。好奇心というのではないが、こんな時間に酒飲みながら一人泣いてたとなると少し心配だ。年が近く、親切にもしてもらっただけに。
(かと言って、何の話からしたらいいのか…)
不自然に聞き出そうとしても、無駄だろう。素直に話すとは思えないし、それなら最初から一人で泣いたりしない。
「ホリンは不安じゃないのか?家に帰れなくて。」
考えていると、ルーヴァから話掛けてきたことに驚く。しかしルーヴァは波を見つめたままでホリンを見てはいなかった。
「不安か…不安じゃないことはないけど。不安より、家が心配かな。あの後、町がどうなったか気になるし。家族が無事ならいいんだけど。そりゃ、早く帰れるなら早く帰りたいよ。」
「そうか…そうだよな。」
帰れないホリン達を案じているようだった。出会ってから彼が笑っているところを見ていないが、やはり優しい少年に間違いないようだ。
「心配してくれてるんだ?」
と、ホリンは言ってみた。ルーヴァは手に持っている酒瓶に口をつける。もう十分飲んでいるようなのに、顔色は変ってなさそうだ。暗くて分からないだけだろうか。
「そりゃ……家族と引き離されるのは、つらい…」
海面に高く揺れる波を眺めているかのような視線で、ルーヴァは話す。
「まあな。でも姉さんもいるし、二人とも無事だったし。……船酔いは厄介だけど。な、ルーヴァも、最初のころは船酔いとかしたのか?」
大きな揺れに腰が浮き、ホリンは脳が揺れるような錯覚を起こす。ルーヴァといえば上手く波を捌いているかのようだ。
う゛っという呻きにルーヴァは顔を上げてホリンの顔をうかがう。
「船酔いは慣れるしかないよ。」
そう言ってルーヴァは口の空いていない瓶の水を渡してくれた。
「ありがとう…」
「どういたしまして。揺れとは別に…船の居心地、良くないだろ。」
瓶の水を3分の2ほど一気に飲むと、言われたことにびっくりしてルーヴァを見る。じっと見つめてくる眼にはまだ涙が滲んでいるように見えた。
「いやぁ、でも船長とか良くしてくれるし。ルーヴァも気遣ってくれるし。居心地よくないってほどでも……アーヴィンを除いて…あ、でも。」
是とも否ともつかないようなことをつい、口にしてしまう。この二日間でアーヴィンの敵意はむき出しで分かりやすいのだが、それ以外にも明らかに好意でない眼があるのを感じていた。フェリス、ガント、ユフィール、セレーヌ、ルーヴァ。古参のメンツと言われている船員以外から向けられる視線が痛いのだ。一応、こちらは船に置いてもらってる肩身の狭い立場だ。おまけにルーヴァに傷を負わせた負い目もある。横柄な態度を取っているつもりは毛頭ないが、挨拶したときすれ違いざまに舌打ちされる。ひそひそ話をしている場に出くわすと、明らかに嫌な顔をされてみんな立ち去っていく。ルーヴァもそんな船の雰囲気に気付いていたらしい。
「お前に傷つけてこんなに村八分になるとは思わなかった……」
アーヴィンだけでなく、ルーヴァに関しては影響が大きいようで正直ホリンはげんなりしていたのだ。
「ちがうよ。私を切ったくらいで怒り出すのは、アーヴィンくらいだ。侯爵っていったら貴族だろ?みんなが気に入らないのはそこだよ。…単なる僻み。それか、恨み。気にすることはない。」
船員達は少なからず良い身分の出はいなかった。どこの出身者も貴族や王族に虐げられ、煮え湯を飲まされてきたものが多いと聞く。アスタルテの貴族もどちらかといえばそちらの類で、ライクアード侯爵だけが例外といえよう。実際、ホリンは実子でないことで、他の貴族の子達からツライいじめに遭ったことがある。
「…貴族ってまだまだそんななんだなぁ。…俺達、実は養子でさ、本当の親は小さい頃事故で同時に亡くなったんだけど、引き取ってくれた侯爵の両親は尊敬してるんだ。拾ってくれたこともそうなんだけど、他の貴族と違って王族にへこへこしないし、町になにかあればまっすぐに現場に行って町の人たちを気にかけてる。王族とか他の貴族にはそんなところが煙たがられてるみたいだけど、町の人たちは養父さんのことを慕ってくれるんだ。俺から見たら、すげぇかっこいい。だから俺も養父さんみたいに、町の人のことをちゃんと守れるように、軍に入ったんだ。養子じゃ侯爵は継げないし、王族近い騎士団にも入れない。軍に入ってもはみ出しものなんだけど、みんなを守れる強さがほしくてさ。」
話しているうちに熱くなる自分にホリンは恥ずかしくなってきた。こんな話を旅人に話してどうするのか。
「…ごめん、こんな話……」
聞き手に依っては自慢話になりかねないと思って、慌てて謝る。しかしルーヴァはじっと真摯な眼差しで聞いていた。
青白い月明かりの下だと、ルーヴァの肌がいっそう白く見える。長い睫毛に縁取られた猫目も、ブランケットの上からでも分かるほど華奢な肩も、男には到底見えず、ホリンの心拍数は急に上がってきた。
(やっぱり、整った顔してんなぁ。女みてぇ。)
ぼんやりと見つめ返すと、ルーヴァは眼を伏せた。
「…それで、強いのか。まだまだ…上がいる…」
船の縁と掴む手に力を込めるルーヴァに、ホリンは聞いてみた。
「ルーヴァはなんで強くなりたいんだ?」
言ってみて、間の抜けたことを聞いてしまったと後悔する。セレーヌという双子がいて、供に旅をしているなら誰だってそう思うだろうから。まして、手配書まである船長の船に乗っているのだ、脅威も多いだろう。
だが、ルーヴァの口から出てきたのは予想外の言葉だった。
「……この船が………迷いなく進めるように…だった。」
(……船?…だった?…)
風は弱まり、船の揺れもさっきより落ち着いてきた。しかし、ルーヴァの身体はふらふらと落ち着いていない。
酒がまわっているのだろう、呂律も回らなくなってきた。言っていることがよくはわからなかったが、なんとか意図を推測してみる。過去形ということは…
「それは、剣を握ったきっかけってことか?…船長のためだった?」
ふらつくルーヴァの身体からブランケットが落ちた。風が弱くなったとはいえ、空気はまだ冷える。拾って肩に掛けた時、あることに気付く。
(…………胸…)
さらしが巻かれているとはいえ、確かに谷間が見える。一瞬、ホリンはフリーズした。ずっと少年だと思い込んでいたのだから驚くのも無理はない。しかし小柄な体や声変わりしきれていないような声を思えば、逆に納得だ。
納得だが…つまり…
(つまり俺は女の子の顔に傷をつけてしまったわけか……)
ということにも気付いてしまった。
「いや…私は、私のためだったんだ。あまりに重いものを背負った兄さんの…進むその先が少しでも平坦であってほしくて…立ちはだかるものを薙ぎ払いたかった…」
ルーヴァの眼から涙が零れていた。飲んだ酒も手伝って涙は止まらず床に落ちる。涙とともに溢れた感情もとどまらず、ホリンはじっと耳を傾けた。
「だから…強くなりたくて…でも……私が強さを望むことを…みんなは望まない…
自分の進む
今、私は何を望んでいるのか……」
分からない、と。紡いだ言葉は嗚咽に変わる。ホリンはルーヴァの過去に何があったかは分からない。分からないが、心優しい少女の辿る暗い道に心が痛む。
気の利いた言葉は何かないかと思案するが、何も思いつかないのが悔しかった。ただ頭を抱いて嗚咽を封じ込めることしかできない。
「ホリンは…眩しい………」
「え?」
それだけ言ったら後は規則的な呼吸音だけが聞こえてきた。どうやら寝てしまったらしい。
(アーヴィンに見つかったらどうするつもりだったんだ…)
後先考えず酒を煽るのは感心しないが、それだけ不安定になる何かがあるのだろうか。さてどうしようか考えたところに声がかかった。
「こんなところにいやがったのか。」
ユフィールの声だった。
「面白い組み合わせだな。ホリンはこんな時間にどうした?」
「少し揺れに酔って…風に当たりに来てました。」
「そうか、結構揺れてたからな。」
探していたのはルーヴァだったらしい。頭をがりがり掻きながらルーヴァの顔を覗き込む。
「…ルーヴァは寝てんのか。随分酒も飲んでんな。部屋に運ぶから悪いがホリンそのまま連れて来てくれ。」
「はぁ…」
とりあえずユフィールが来てくれたことにホリンは安心して起こさないように抱えながら歩き出す。とはいえ船の上はさほど広くない。来た時はまばらだった人影がほとんどいなくなっていた。
「ルーヴァが女でびっくりしたか?」
ルーヴァを布団に寝かせた後、酔い止めの薬をくれるといって、ユフィールとガントの部屋へ来た時、不意に聞かれた。副船長のガントはすでに眠って鼾を掻いている。
「……はい……」
とだけ、ホリンは短く答えた。唐突すぎて頭が働かなかったのだ。
「他の船員達は知らないことだから、どうか黙っててくれないか。特に、アーヴィンに知れると、何するか分からねえからな。…で、ルーヴァとは何話してたんだ?」
「何って…」
他の船員…とはどこまでを言うのかわからないがアーヴィンのことに関しては同感だった。確かに、彼には何をするかわからない危うさがある。
ユフィール達の部屋は数多く棚や鞄があり、そのほとんどは薬らしかった。医務室におけない分をここに置いているとのことだが、それにしてもやはり多い気がした。ユフィールはその中から酔い止めの薬を準備している。
「…眩しいって言われました…」
何を話してたかと聞かれても、説明がつかず、最後の一言だけ伝えた。
「ふーん。アスタルテ侯爵の御令息といえば、確かに眩しいよな。」
「ルーヴァは、自分で先が暗いって言ってましたけど…あいつ…。」
一体何があったんですか?と聞こうとして口籠る。聞いたところで答えてくれるとは思えない。ユフィールやフェリス、ガント達もだが、ただの船旅の供には思えないのだ。明らかに他の船員達とは纏っている空気感も、オーラも異質だ。ルーヴァに何があったか、というより、この船そのものがどのような経緯で立ち上がったものなのか。そこにこそ、暗い過去があるような気がした。そうでなければ、この紳士達の乗る船が極悪海賊などとは呼ばれないだろう。
「暗い…か。…俺達がどんなに照らしてやろうとしても、結局ほんの先にしか光は届かないんだろうな、あいつにとって。」
なんとなくはぐらかされたような気がした。自分とこの船との関係はそう長いものではないし、まだほんの一日程度の付き合いしかないというのになぜか気になってしかたない。
ホリンは処方してもらった薬を受け取りながら、もうひとつ気になったことを聞いてみた。
「ありがとうございます。…あの、ルーヴァ…とセレーヌのお兄さんって…?」
「…ルーヴァのやつ、そんな話もしたのか?」
「ええ。ほとんど意識は混濁してましたけど。…あまりに重いものを背負ってるって…」
ルーヴァが言っていたことをそのまま話してみる。そもそも、ユフィールがどこまでルーヴァ達のことを知っているかも、ホリンには分からないのだが、ユフィールは明らかに何かを知っていた。いや、おそらくはすべて知っているのだろう。
「………背負ってるっていうより、俺が背負わせたようなもんだ。」
ホリンの予想外だにしなかったことをユフィールは言った。ルーヴァ達の兄とも何か関わりがあるのだろうか。そしてその兄は船に乗っている様子はない。どこにいるのか、何をしているのか…
何から聞いていいやらわからず立ち尽くしているとユフィールは続けた。
「もし、ホリンがこのまま船に乗ってたら、会うこともあるだろうよ。」
それを最後に、もう寝るからと部屋を出された。ホリンも眠気に誘われ自室に戻り、なんだか煮え切らない気持ちのまま眠りについた。
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