第9話

メルクリウスをアスタルテに放ったその夜。ガントとユフィールはワインを傾けながらやや深刻な話をしていた。深夜だがユフィールは寝付けそうになかったのでガントに附き合ってもらっている。

「この船旅はいつまで続くんだろうな…」

話を切り出したのはユフィールだ。今朝のルーヴァとの一件で考えるところがあるのだが、正直にガントに話す勇気はなかった。ガントにとっては大事な娘のような存在であるだけに、手を出しかけたなんて言ったら怪力でブッ飛ばされるに違いない。そんなわけでかなり遠回りしたような切り出し方になってしまった。

「なんだ、急に。陸でも恋しくなったか。」

ガントはいかつくて表情豊かなタイプではない。誤解されやすい人間だが、冷たそうな話し方をしていてもきちんと話は聞いてくれるし、親身なアドバイスもくれる。信頼できる、貴重な親友だ。

「そんなのは今更なんだけどよ。、このまま船に乗せておいていいのかって思っただけだよ。もういくつになるんだ?17だろ?普通だったら、カレシだの結婚だの、そんな話でいっぱいのはず…」

「そんなのはまだ早い」

速攻で切られた。が、ユフィールは続ける。

「頭の固い父親みたいなこと言ってると、嫌われるぞ。今までが決して恵まれた人生とは言えねぇんだからよ、そろそろここいらで人並みの幸せをだな…」

「十分、普通の女の子とは違う生き方してきたんだ。人並みの幸せがあの子達の幸せとは限らんだろ。」

もっともだ。普段口数の少ないガントがさらにしゃべり続ける。

「お前の言いたいことの分からんでもないが…少なくとも、あの子たちが自分からこうしたいって言うのを、俺達は待つしかないんじゃないのか?」

「……そうかねぇ…そうかもしれねぇけどよ。」

「歯切れが悪いな。今俺達が考えても仕方のないことだろう。頭の良いお前が珍しい。ユフィール、一体何が不安なんだ?」

「不安ていうか………」

グラスの中のワインを飲み干し、今朝の出来事をすべて話した。

案の定、殴られた。覚悟してはいたが、想像以上の痛みに顔が歪む。もう一発と、ガントが構えるのを必死で止める。

「ま、ま、待て!一発で十分だっ!!」

ガントは振り上げた拳を下げ、大きなため息をついた。

「娘ほどの年の子に……呆れた奴だ…」

「…だから、最後まではいってねぇって。」

慌てて言い繕うが、たいした効果はなかった。

「そういう問題じゃない。」

ガントは頭を抱えてしまった。かなり堪えたようだ。その様子にユフィールは強い罪悪感を覚える。

「拒絶して、ミディールが傷つくのが怖かっただけだ。」

「それが本当に正しい判断なのか?ブレーキが利いて良かった。」

その自信はユフィールにはなかった。

「何が正しいかなんて、分からない。ただ…」

「……」

「俺はあいつらに幸せになってもらいたい。」

「それはおれも同じだ。」

空になったグラスにガントがワインを注いでくれた。幸せになってもらいたいというが、結局、彼女らの希望通りにすることしかできないことも知っている。ユフィールの言うとおり、何が正しいのか、分からない。自分たちの言う幸せと、彼女たちの感じる幸せが同じとは限らない。いや、同じではないと言い切ることすらできるだろう。

「…ユフィール、お前はどうなんだ?」

チーズを肴にしてワインを飲みながら、ガントは一番重要なことを聞こうとした。

「どうって?」

「ミディールは、お前が好きで…一緒になりたいってことじゃないのか。お前の気持ちはどうなんだ?」

「どうって………」

不意打ちのような質問にユフィールは面喰らった。思わずワインを吹き出しそうになる。

「親子ほどの年が離れていようが、あの子の心の傷をずっと診てきたんだろ?…気持ちが動かされたことはないのか?」

噎せそうになるのを堪え、ユフィールは考え込んだ。無造作にチーズを口に放り込み、時間を稼ぐ。ガントはユフィールが答えるのをじっと待っていた。

「……多分、好きなんだとは思うけどよ、結婚とかって話になると…」

「違うのか。」

「20歳以上年が離れてるってのは、でっかい壁だよ。あと十数年経ったとき、向こうは女盛りだろうが、俺はじいさんだ。寿命も違う。」

「確かに、小さなこととは言えないな。ミディールにはそう言ったのか?」

「いや、まだ……」

「じゃ、早く言ってやった方がいい。…だが、あの子はまだ子供だ。泣かすなよ。」

威圧感のある顔でガントはじろりとユフィールを睨んだ。やはり一発殴るだけでは足らないのかもしれない。ガントはまだ子供と言っているが、ユフィールはそうは思っていなかった。

子供のころならば、もっとミディールは元気な子供だったはずだ。大人になってきたからこそ、悩みや苦悩が生まれてしまったのだろう。もっと大人になれば、また少し落ち着くのだろうが。それを待つには、先の年月も長く暗いままで、灯りは見えない。

  『なんで治らないの?』

今朝の一言に、心臓を掴まれる思いがした。医師でありながら、長年苦しめている事実が突き刺さる。

「子供か……そういや、ガキどもから手紙来てたんだろ?なんだって?」

今日来た手紙4通の内一通はガント宛だった。ガントはユフィールの姉と結婚しており、二人の息子がいる。つまり、ガントとユフィールは義兄弟だ。息子二人は双子で、いかつい容姿のガントよりは叔父のユフィールによく似ている。妻子のいないユフィールにとってはガントの子供もまた、自分の子のように感じていた。ミディールの一件はまだ考えることがあるとして、ガントの子、アゼルとサミエルの手紙も気になった。

「あぁ。相変わらずだ。元気だって知らせ。」

「それだけか?」

「そんなもんだ。男の子だしな。」

「そうか。」

ちょうど何本目かのワインボトルが空になった。

風が強く吹いてきたことにユフィールは気付く。酒を飲んで語っていたせいか気付かなかったが、船も結構揺れている。

(ホリンとエーディンは船酔い大丈夫か?)

客二人の心配もしながら、さきほどまで話していたルーヴァのこともやはり気になってしまう。

「それよりも、ユフィール。」

船の揺れはいつものことなので、ガントは特に気にするでもなく、別の話を切り出す。ガントにしてみれば、妻子のないユフィールに子供たちの話をするのは気が引けるのだ。結婚を望まないのはユフィール自身なのだが。

「ユフィールはダグザのこと覚えてるか?」

「…あぁ、覚えてるよ。」

十年以上前、アスタルテ領内の小さな町で出会った人物を二人とも覚えていた。わずか数時間語っただけの男だが、義理堅そうでどこかオーラのある男だったので印象は強い。

「ホリンとエーディンの養父というのはダグザだろう?」

アスタルテの侯爵、ライクアードと聞いてすぐにピンと来ていた。

「俺の記憶だと、娘が一人だったような気がするんだが。」

「…おぉ。俺もそう記憶している。」

ワインからブランデーに変え、二人の語らいはまだ尽きない。ガントは自分だけじゃなかったかと呟き、氷の入ったグラスを傾ける。

「…養子じゃないのか?ユフィール、俺はお前ほど世界の世情に詳しくないんだ。養子縁組が珍しいことじゃなければ、ありえるよな。」

「エーディンが実子でホリンが養子?でも…聞いてた名前と違う気もする。なんせ十年以上も前の話だから定かじゃねぇが。」

「侯爵ライクアード。ダグザ以外にいるのか?」

「それはないな。…ただの記憶違いか?」

確かめる術もなくまだまだ酒に酔わない二人は飲み明かす。

「なぁ、ユフィール、フェリスはどうする?」

「…あぁ」

「今のフェリスはダグザを知らない。もしもエーディンの手紙の返事に俺達とのつながりらしいことが書いてあったら、俺達はどうするべきなんだ?」

「…あぁ」

「フェリスに話して、話を合わせてもらうか?」

「…ん…」

「…他に何か言ってくれ。」

「分かってるさ。……話を合わせさせるってのは、駄目だ。ぼろが出るに決まってる。かといって、フェリスだけがダグザを知らないのは不自然すぎる。十年以上前だ。辛いが、忘れた振りでいくか…」

「そんなことっ…」

「聞いたのはお前だろうが。俺達が最優先で守るべきはなんだ?ダグザとの友情か?」

「…っ…」

「守るべきは、フェリスだ。今は忘れた振りでいくといっただけで、一生ってわけじゃない。ダグザにもフェリスにも、ちゃんと話せる時がくる。今はその時じゃないんだ。」

「…そうだな。悪かった。ユフィール、お前も…辛いのに。」

「いや…もうすぐ、あいつも20歳になる。そうしたら、動く。」

「……動く?…………何をだ。」

黙ったままユフィールは答えず、黙々とブランデーを空けていく。ガントも静かにそれに付き合った。


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