第8話

アスタルテ国侯爵家長男で、当時侯爵秘書を行っていたダグザ・ライクアードは研修と称してアスタルテ国領の小さな漁師町での滞在を命ぜられていた。ここはアスタルテ王族の遠縁が地主となって治めているが、治安も衛生環境も悪く、街全体に異臭が漂っているようだった。研修とはいうが、要は使用人が急激に減った地主の家での奉公のようなものだ。

横柄で高慢な地主の世話は、毎日地獄にしか思えない。侯爵を務めている父も、国王とその一族にさんざん手を焼いているようで、貴族に生まれた身を呪いながら毎日を過ごしていた。

「貴族って損な役回りだ…国王のご機嫌とって、民にもご機嫌取って……」

ぼやきながらも、人生のレールは一本しかない。そのレールを外れる勇気も持ち合わせてはいない。諦めにも似た気持ちがまだ26歳のダグザを支配する。

ようやく地主から非番をもらったある日、ダグザは体調に異変を覚えた。昼食をレストランで済ませた後、腹痛と呼吸困難に襲われたのだ。壁に手をつきながら、何とか近くの病院目指して歩く。

「…食あたりですね…」

「…え?」

年老いた医師はあっさりとそう言った。

「薬は出しますので、お大事に。」

「それだけですか?……呼吸もどんどん、苦しくなってきてるんですが…」

腹痛も呼吸の苦しさも、徐々に激しくなってくる。脂汗が滲みでて、目もちかちかしてきた。食あたりの症状とは到底思えなかった。

「他のお客さんも待ってますので。」

といって、追い出されてしまった。

(客じゃなくて患者だろ…)

診察料を払って、納得した。食あたりの診察料にしてはやけに高額だったのだ。薬も今夜一食分しかもらっていない。

(藪だ…ぼったくりだ…)

腹立たしささえ覚えながら、滞在している宿へと歩く。

しかし、おさまらない腹痛と呼吸困難で歩くのさえできなくなってしまった。

アスタルテ国領でも随一の治安の悪い町なだけあって、街中にはごろつきがいたるところにいる。

こんな状態でもたもたしていたら事件に巻き込まれかねない。そう思い力を振り絞って宿を目指すが、恐れていた事態を呼び込んでしまった。

「おい…金っ」

歩道の真ん中で、5人の人相の悪い男たちに囲まれた。

(まずい…)

貴族とはいえ、武術のたしなみはある。が、今の歩くのがやっとの状態では一般人以下だ。

「随分いいもの身につけてるじゃねぇか。あんだろ?金だせよ金っ!!」

顔を拳で殴られた。弱った身体が吹っ飛び、壁に激突する。

「…ツ…!」

食あたりとは異質の痛みが身体を駆ける。財布を抜き取られるのを感じたが、抵抗する力はなかった。遠のく意識の向こうで、ごろつきが倒れるのを見た。



「…フェリス…なんで覚えられねえの?」

「だって…似てんじゃん。分かるわけねえだろ…」

「薬草と毒草の見分けができねえようじゃ、生きていけねえぞ。」

「そのためにユフィールがいると思ってんだけど。」

二人の男の声がしてダグザは眼を開ける。

「おい、目、覚ましたぞ。」

否、三人だった。優男一人、黒衣のクール系一人、いかつい大男一人。

「…ここは?…」

「ホテルの俺達の部屋。気分はどうだ?…毒に当てられていいわけはねぇと思うが。」

黒衣の男が話しかけてくる。

「……毒?食あたりじゃ…」

「食あたり?違うぞ。…起き上がれるか?」

痛む身体を起こすと、幾分か症状は楽になっていることに気付く。優男と大男は心配そうな顔をしながら手伝ってくれた。黒衣の男は乳鉢で粉末を擂り潰している。あたりを見ると確かにベッドが3つ置いてある広めの部屋だ。カビ臭いところはダグザの泊まっている宿とそう変わらない。

「ガントが助けなけりゃ、危なかったな。あのまま発熱でもしたら致死率は80%超えるぞ。…さっき体内の毒は取ったからあとは薬の副作用だな。しばらく関節の痛みはあるだろうけど2,3日のことだから我慢してくれ。あぁ、体質によっては微熱も出るかもな。」

「はぁ…」

まだ状況が飲みこめない。黒衣の男は医者だろうか?身体が楽になっているってことは治療してくれたらしい。となれば言うべき言葉は一つ。

「助けていただいたようで、ありがとうございました…」

「おう、どういたしましてっ」

答えたのは優男だ。ふわっと笑った顔は人懐こい。

「何にもしてないお前がそれ言うか?」

「いいだろ?別に。」

「病人が疲れるような会話はやめんか。」

言い合いを始めそうな二人を遮ったのは大男だ。二人とは違い、寡黙な性質らしい。

「そうだ、財布をとられていたな?一体どれがそうだ?」

そう言って6つの財布を見せてきた。その中の一つ、ワインレッドの長財布は確かにダグザの物だった。そういえば、ある考えが浮かぶ。治療費といって、またも高額な金額を請求されるのだろうかと。いや、実際治してもらったようだし払うのが礼儀だろうが、さきほどの藪医者に支払ったせいで手持ちの金がほとんどない。どうしたものかと、自分の財布を受け取る。

「あの、せっかく治療していただいたのに、今手持ちのお金がなくて…」

「えっ?金ねぇの?」

目を丸くした優男は、残りの財布から札を取り出し、ダグザの財布に突っ込んだ。予想外の行動に絶句する。

「このくらいあれば、しばらくは大丈夫だろ?いいよな、ユフィール、ガント?」

「あぁ。その金はさっきのごろつきのだからな、慰謝料代わりに持っていけ。」

「俺も別に構わん。」

てっきり払えと言われるとばかり思っていたダグザは面喰らった。

「あ、俺はフェリス・ピークス。黒い服の医者はユフィールで、でっかいのがガント。俺達船で旅してて、柄じゃないけど俺が船長してるんだ。よろしくな。見たところ年も近そうだし。俺達はみんな、26歳。」

相変わらずの笑顔で優男はフェリスと名乗った。こんな荒んだ町に不釣り合いと思っていたら、旅人だったのだ。一人で妙に納得してしまう。

「俺は、ダグザ・ライクアード、26歳だ。アスタルテ城下から、訳合ってここに滞在している。改めて、礼を言う。ありがとう。しかし、助けられた立場だというのに金までもらうわけにはいかない。」

そう言って金を返そうとするが、あっさり却下された。

「いやいや、いいよ。他のごろつきからふんだくってきた分もあるし。…せっかくいい服きてんだから、クリーニング代でもいいだろ?」

結局押し切られてしまった。

さらにはユフィールから薬をもらい、打撲用のシップまで受け取った。

それから、4人は同じ年ということもあり、打ち解けるのはあっという間だった。

日が暮れるまでさまざまな話をした。故郷のことや、家族のこと。なぜ旅をしているのかは聞けなかったが、船で旅を始めて1年だという3人に、ダグザは率直な気持ちを言う。

「自由そうで、いいな…」

「ん?まぁ、自由だな。ダグザは、違うのか?こんな所に来てる貴族なんて、確かに訳ありだろうけど。」

フェリスがあっさりと貴族といったことにダグザは驚いた。

「ここ、アスタルテ国領だろ?城下からきたって言ってたし、着てるものも上等そうだし。」

そんなにいい服を着ているつもりはなかったが、この町では目立ってしまうらしかった。

「貴族なんて、いいものじゃない。国王にはヘラヘラしなきゃいけないし、民を国王の意に沿うように、上手く丸めこまなきゃいけない。」

そう言うと、フェリスは考え込んだ。

「それってさ、国とか国王のあり方じゃないよな。本来守るべきは民で、国とか国王は民の為に存在する。貴族は、間に立って補佐する。」

考えてはなった一言はダグザを驚かせた。そんな考え方をしたことなんてなかったのだ。教えられたのはただ、国王を守れ。

「第1さ、王様なんていなくても国は成り立つんだ。だけど、民がいなくちゃ、国として話にならないだろ?」

ダグザが茫然としていると、さらにフェリスは続けた。

「考え方ひとつだよ。ふんぞり返って腹の立つ国王なんて守ってるから、苦しいんだ。必死で民を守ってるって思えば、少しは誇らしい気持ちになれないか?」

この男の空気は何なのだろうか。ダグザは不思議に思った。さきほどまでふんわりとした雰囲気を纏っていたかと思ったら、国について語る彼の眼は驚くほど真摯だったのだ。。

何のプラスにもならないと思っていた研修は、思わぬところで得たものがあった。フェリスからもらった言葉はこの先のダグザの生き方を変えたのだ。


父の意外な過去をマーギと母は黙って聞いていた。決して国王に媚びることなく、民の為に奉仕する父をマーギは尊敬していた。その生き方の原点はそこにあったのだと知る。

「じゃぁ、お父さん、エーディン達はその船に乗っていた方がいいってこと?」

たまらずに尋ねてみる。しかし一刻も早く会いたい気持ちは消せなかった。

「そうだな…。今は帰ってこないほうが、二人にはいいかもしれない。エーディンのことも、ホリンのこともほとぼりが冷めるまで待とう。それまで説得を試みてみるから。」

一家の長の重い言葉に再び沈黙が流れる。

そのとき、寝そべっていたドラゴンが声を出した。そろそろ返事を書けと急かされているようだ。

「マーギ、二人に伝えたいことがあるだろう。返事を書きなさい。」

フェリス、ユフィール、ガント。もしまた会えることがあったらダグザは伝えたいことがあった。

……ありがとう

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