第7話

想定外のルーヴァの言葉にユフィールは完全に動揺していた。

「·······焦るんじゃねぇよ。」

頭の中を整理して、ようやく反応する。

「だいたい、本当に好きな相手じゃないと、逆にまた傷つくことになるんだからな。」

動揺を必死に隠してルーヴァの頭を撫でた。

「……」

「ん?」

ルーヴァが何か言いたそうに口を開く。

ユフィールの視線を捉えてルーヴァは告げる。

「…先生が好き…」

それだけ言うと、また顔を伏せる。ルーヴァの頬がさらに紅潮していた。

「だから、先生じゃないとっ…」

声も震えている。

ユフィールは迷った。言ってしまったことの撤回は今になってできるはずもない。

かといって、相手は23も年下の17歳の少女。完全に犯罪だ。

などと考えてみたが、ユフィールにとって今重要なのはルーヴァの心で、拒否することで傷つきそうなことも怖い。

「…後悔しないな?」

ルーヴァは黙って頷く。彼女の気がすむなら、腹を括ろう。

髪に触れていた手はそのままに、ユフィールはルーヴァの唇に口づけた。

ルーヴァの心臓が跳ね上がる。長い睫毛が揺れた。

除々に口づけを深くしながら、身体中に唇を落とす。片手で髪を梳きながら、もう一方の手で器用に自分のシャツを脱ぐ。意外にもユフィールは筋肉質な身体をしていた。

「綺麗になったな、ミディール。」

ユフィールは彼女の本名で呼ぶ。

「……っ」

恥ずかしさにルーヴァはぎゅっと目を閉じた。心拍数が上がるにつれて、呼吸も荒くなる。

しかし、そこで。

「ルーヴァ、起きてる?入ってもいい??」

「っ!!!!」

心臓が止まる思いがした。二人はとっさに身体を離して衣服を整える。

「セレーヌか?!今診察中だっ。」

さきほどまでと違う意味で、心臓が早鐘を打つ。

「ユフィール先生もいるの?ルーヴァ出てこれる??メルが帰ってきて大変なの!」

扉の向こうでセレーヌが説明してくれる。

「メルが…?分かった。少し待ってて。…先生、ありがとうございました。」

メルのこととなれば自分が行かないわけにはいかないことは承知している。身体は少々だるいが、行くしかない。

現実に引き戻されたような、なんとなく夢から醒めた心持になった。

「ちゃんと薬は飲んでくれよ。あと、無理はするな。」

それだけ言うと、ユフィールはルーヴァに軽くキスして部屋を後にした。

顔が火照ってしまっているが、大丈夫だろうか…。

とはいえ、早く行ってやらないと、メルは他の人の手に負えない。のろのろと身支度を整え始めた。


「メル、お帰り。御苦労さま。」

ルーヴァの姿を確認したメルクリウスは一目散に飛んできてルーヴァの腕の中におさまってしまった。さっきまでの暴れん坊ぶりはなりを潜めている。数日ぶりに会えたのが嬉しいのか、ルーヴァに頬ずりをして、腕に巻きつけた尻尾は離そうとはしない。

「…もう落ち着いたかな。」

大人しくなったメルクリウスを確認してから、ぞろぞろと退避していた船員達が甲板に戻る。

「全然態度が違うなぁ…」

ホリンは感心したように呟く。

「でしょう?まるでアーヴィンみたい。」

ユフィールと供に戻ってきていたセレーヌが呆れたように言う。

「誰に対してもああなら可愛げがあるんだが…」

ユフィールは可愛げが全くないと言わんばかりだ。

「ルーヴァの近くにいれば攻撃してくることはないから、行ってみるか。」

フェリスに促されてメルクリウスの近くに行ってみる。

なるほど、ドラゴンの目も幾分穏やかになったようだった。

ルーヴァに寄り添っている姿は愛らしい。一同が近くに来ても動こうとはしないようだった。

「へぇ…よく見ると可愛いお顔。」

エーディンが覗きこむとメルクリウスは恥ずかしそうに顔を背ける。さっきまでと同一のドラゴンとは思えなかった。

「あれぇ??あたし舌でべーってされたことあるよ??」

言いながらセレーヌが顔を近づけると、メルクリウスは馬鹿にしたように思いっきり舌を出す。

「………結構傷つくのよね……」

ルーヴァとのこの差は何なのか、メルクリウスが人間の言葉を話せたら聞いてみたいものだ。

「ドラゴンにも人間の好みがあるんだろ。」

ユフィールの言葉に、メルクリウスは反応した。鼻をひくつかせると勢いよくルーヴァの腕から離れてユフィールに襲いかかる。尻尾で頬を叩き、爪で肩やら頭やらをひっかく。

「痛てててっっ!!!」

「先生っ?!」

ルーヴァが慌ててメルクリウスを捕まえる。しかしなおもユフィールへの威嚇をやめようとはしなかった。

このドラゴンは鼻が利く。ルーヴァとユフィールとの間に何かを嗅ぎ取ったらしい。

(…くそっ、あの蛇どんどん調子に乗ってくるな。)

いつか蒲焼にして喰ってやるとの思いを込めてメルクリウスを睨み返す。

「まぁまぁ、今回も無事に伝令が役目を果たして帰って来たんだし。ルーヴァ、体調が悪い中申し訳ないけど、メルに飯やって休ませておいてくれ。またちょっと働いてもらいたいんで。」

これ以上暴れられては困る。

その場にいた全員が同じことを思っていた。

「わかりました…キャプテン、これ。」

ルーヴァはメルクリウスの首に付いているポーチの中から手紙を取り出してフェリスに手渡す。

4通ほどある手紙にエーディンとホリンは顔を見合わせた。

(一体誰と??)

「働いてもらうっていうのはエーディンさんとホリンの手紙のことですよね?午後までには放せるようにしておきます。」

「察しがよくて助かるよ。お前も顔色がよくない、ちゃんと休め。」

ルーヴァの頭を撫でようとしたが、メルクリウスの妨害にあって手を引っ込める。船長にすら牙を剥くドラゴンには困ったものだ。

「そんなわけで、エーディン、午後までに手紙書いておいてくれよ。」

極悪人だと思っていたフェリス・ピークスは海上の紳士のように思えた。

ライクアード侯爵家は悲しみに暮れていた。

養女のエーディンの結婚式の日、盗賊の襲撃に遭っただけでなく、結婚相手のバルドルが殺され、エーディンとホリンは行方知れずだ。

バルドルの実家、宰相家も重苦しい空気が漂っている。葬儀の準備を進めなければならないはずなのに、誰の手も重い。

ライクアード家の長女、マーギはすでにバルドルの兄へ嫁いでいたが、実家の両親が心配で帰って来ていた。

「エーディン、ホリン…どこにいるの…?」

何度も呟いた言葉だ。しかし、知るものは本人達以外にはいない。

海賊に攫われたとの目撃があり、昨夜は眠れなかった。ホリンは一緒なのだろうか…せめて一緒にいてくれればいいが、バラバラにいたらそれぞれの不安は計り知れない。

「なんでこんなことに…?」

ずっと泣いていても、涙は一向に枯れなかった。侯爵である父は盗賊襲撃の対応について会議すべく城に出掛けている。

「マーギ、ご飯くらいちゃんと食べなさい。」

母が力なく夕食の支度をしている。ちゃんと食べろといっているが、母も昨夜から何も口にしていないのを、マーギは知っていた。

盗賊の襲撃以降、このような家庭は街中にあった。家族を殺されたもの、家に火をつけられたもの、財産を奪われたもの…。若い娘は盗賊に攫われた者も多い。晴れやかな天気とは裏腹に、街にはどんよりとした空気が重くのしかかる。

「お母さん…二人は無事かしら…」

きっと、生きている。だが生きていることが無事とは限らない。盗賊や海賊の類が丁重に扱ってくれるはずがない。

「…大丈夫…きっとすぐに見つかって、戻ってくるわ…」

「うん…」

侯爵夫人は優しく娘の背中を撫でた。

エーディンとホリンは侯爵家の実子ではない。10年以上前になるだろうか、マーギの父でライクアード家当主は真冬の夜、医者の扉の前で泣いている少年に出会った。姉が熱を出して意識がないので診てほしいと。しかし医者は姿を現さず、少年は別の医者のもとへ行こうとしたとき、声をかけた。当時、愛娘のマーギは兄弟が欲しいと駄々をこね、夫妻は手を焼いていたのだ。少年は寒空の下履物も履かず、夏物のような薄い衣類しか身につけていなくてまともな両親がいるようには思えなかった。姉を助けてくれとすがる少年が哀れで、案内されるまま少年の姉の様子を見に行った。少女は肺炎にかかっていた。姉弟を自宅に招き、医師を呼んだ。夜が明けてマーギは少女と少年の姿を見て大喜びした。兄弟を欲しがっていたマーギにとって、最高の出会いだったのだ。

その後、二人に身寄りがいないことを知った侯爵はそのまま二人を実の子として育て、現在に至っている。

ライクアード一家にとってはエーディンとホリンもすでに本当の家族だ。実は血が繋がっていないことなど気にもしていない。

「あ、お父さん、お帰りなさい。」

日が暮れてきたところで、父が帰宅する。

「ただいま。……まずいぞ…嫌な知らせだ…」

父は浮かない顔をしている。今の状況以上に良くない知らせとはなんだろうか…

母がすぐにお茶を入れて来る。

「エーディンのことなんだが……以前エーディンに縁談を持ってき第4王子が、バルドルが死んだならもう一度といって、結婚の話をもってきたんだ。こんな場合ではないというのに…海賊に攫われたのは確かな情報らしく、すでに海軍に行方を探させているそうだ。」

本来なら玉の輿という良い縁談だが、王族の素行はいいとは言えない。今の国王妃は3人目だが、過去2人の元国王妃は亡くなっている。殺されたとか、自殺との噂も囁かれた。また、現国王妃を始め、王子の妃達は精神を患っているとの話さえある。

「そんな、バルドルが死んですぐにそんな話になるなんて…。あなた、何とかして断れないの?」

「…バルドルが亡くなってしまったことは事実なんだ…。エーディンが帰ってきたら、受けるしかない…」

当主の言葉に母娘は落胆する。帰ってきても、エーディンにとってはいいことではなさそうだ。

「ホリンのほうも問題だ…軍人が行方を眩ませたといって、陸軍大将がひどく腹を立てていた。おそらく攫われたエーディンを追っていったのだろうが…国は脱走兵だと認定した…戻って来たら、犯罪者にされてしまう。」

犯罪者…

目の前が真っ暗になった。

何と言っていいのか分からない。

帰って来て欲しい…だが、それが二人にとっていいことではないならどうしたらいいのか。

「お父さん、なんとかならないの?!」

泣きながらマーギは訴えた。しかし父は頭を振る。

「さっきまでも、説得はしてきたんだ。せめて帰って来てからエーディンの気持ちの整理と、ホリンに事情を聴くまでは待ってくれと。だが、国政は国王とその側近たちで決まるようなものなのだ。…私は、無力なのだよ…」

「…………」

溢れる涙を抑えられない。声が嗚咽に変わる。

不意に、窓を叩く音がした。

窓を見ると、外に一匹のドラゴンが翼を畳んで座っている。

何事か分からず茫然としていると、再び窓を叩き、ドラゴンはキーキーと声を発した。口で首元のポーチを示し、何か訴えている。

マーギが窓を開けると、ドラゴンは中に入って寝そべってしまったが、しきりに首のポーチを叩く。

一家は顔を見合わせ、マーギがポーチの中を探った。

「…手紙だわ…エーディンから!!」

「!!!」

「本当に?!」

封筒に書かれている文字はエーディン本人の筆跡だ。マーギとはずっと一緒に勉強してきたのだ。間違えるはずなどない。

震える手で手紙の封を切る。

「えぇと…読むわよ…

   お父さん、お母さん、マーギ、心配かけてごめんなさい。みんな無事ですか?無事であることを祈っています。

私とホリンは無事です。怪我もしていません。どうか安心してください。・・・私達は今フェリス・ピークスという人の船に乗っています。盗賊に襲われていたところを助けてくれました。海に出てからは海流の都合ですぐには帰ることはできませんが、必ず帰ります。でもその前に、少し情報を下さい。今、街はどうなっていますか?バルドルは本当に亡くなってしまったのでしょうか?信じられません・・・それから、バルドルが亡くなったことで、私は第4王子の元へ嫁がなくてはいけないという話も聞きました。それは本当なのでしょうか?教えてください・・・返事をください。

このドラゴンが手紙を運んでくれます。どうか、宜しくお願いします。盗賊の襲撃がもうないともいえません。どうかみんなが無事でいますように。

 …だって。お父さん、どうしようっ!フェリス・ピークスって、極悪海賊でしょ?!前に何億っていう手配書、見たことあるものっ!早く助けに行ってあげなくちゃ!!」

マーギはフェリス・ピークスの名前を聞いて震えあがった。彼女もまた、極悪人と表記された手配書を忘れてはいなかった。

「あなた…っ」

母親も声も小刻みに震えている。しかし、侯爵は落ち着いて何か考えていた。

「フェリス・ピークスと、確かに書いてあるんだな?」

手紙を受け取り、字を確認する。

盗賊から助けてくれたと書いてある。

もし、エーディンが本当に悪人に連れて行かれたのなら、こうは書かないだろう。

仮に脅されて書いたものだとしたら、内容が矛盾する。第4王子との結婚の話をなぜ知っているのかは分からないが、必ず帰ると書かせるだろうか?

連れ去ったのなら、逆にもう帰るつもりはない旨書かせるのではないだろうか。

「フェリス・ピークスは悪人などではないよ。…私の命の恩人だ。」

父の意外な言葉に、二人は声を失った。

「…嘘でしょ?」

「お父さん、どういうこと?知り合いなの??」

侯爵は記憶を辿った。

「14年、前だったか…」

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