第5話

今日一日が、やけに長かった。

大きな船の風呂に浸かりながら、これまでのことと、これからのことをエーディンは考えていた。盗賊の襲撃、バルドルが殺され、海賊らしき男に攫われた…結果的には助けてくれていたとわかったが、これからどうするべきか、皆目わからない。フェリスの言っていた、国王達の陰謀が信じられないが、王族のことは養父も快くは思っていないようで、本当のことかもしれない、とも思う。自分とホリンが帰らないことに家族はどうしているだろうか…バルドルのご両親はどうしただろうか…

男だらけの船内だが、風呂の際はセレーヌが見張りをしてくれている。本当なら今日から新婚生活が始まるはずだったし、来週には新婚旅行のはずだった。

(それなのに…)

夫は、殺された。あの光景を思い出すと身体が震えて来る。涙が溢れて、湯船に落ちる。

(バルドルはもう…いないんだ…)

二度と会えない。そう思うだけで胸が締め付けられる。苦しい…

(マーギ…)

同い年の養姉、マーギを思う。つらいことがあればお互い慰めあって、励ましあった。もちろん、喜びも共有してきた。昨年、マーギが嫁いでもそれは変わることがなかった。今、マーギにそばにいてほしい…

すすり泣く声が浴槽に響く。

その時、ふいにセレーヌから声を掛けられた。

「ねぇ、エーディンさん。泣きたいときは、思いっきり泣いて?そうじゃないといつまでも悲しみが去ってはくれないんだって。いっぱい泣いて、どん底まで沈んだら、後は浮かんでくるから…。」

扉の向こうから、セレーヌは必死に伝えようとした。今日は一緒にご飯を食べて、これからしばらく一緒の生活をする。短期間のことかもしれないが、この船で生活した人は誰であれセレーヌにとっては家族だった。家族には出来れば笑顔でいてほしい。

「あたしもね、大事な人、いっぱい死んじゃったの。この船に乗った人も、死んじゃった人、いるし。その度にすごく悲しくて、いっぱい泣いてもう立ち直れないんじゃないかって思ってもちゃんと元気になれるよ。もちろん、亡くなった人を忘れたりはしないけど、ちゃんと受け入れて、前を向けるの。」

話しているセレーヌにも涙が滲んできた。かつて亡くした人を思い出す。

「だから、悲しいときは、いっぱい泣いて…」

セレーヌの心遣いがうれしかった。

「ありがとう…」

彼女の言葉通り、泣いた。

一旦涙が渇き、風呂から出ても、また泣いた。寝る前には目が腫れあがり、声が枯れて、それでも泣いた。セレーヌはなにも言わず、黙って肩を抱いてくれていた。その仕草がマーギそっくりでまた泣けた。エーディンが泣き疲れて眠るまで、セレーヌはそばにいてくれた。



一夜が明けた。

泣いてすっきりしたのか、朝には幾分、エーディンは落ち着きを取り戻した。泣き続けたせいで、喉が痛むが。

夕食はみんなそろって食べるが、朝、昼は各々で用意して食べることが多いらしい。それぞれの持ち場、夜間の物見や操船が必要なので、全員を合わせるのは難しいからだ。

今はセレーヌの用意してくれた朝食を食べ、セレーヌ、ホリンとともに食後のコーヒーを飲んでいた。

ホリンは結局、昨夜アーヴィンとは打ち解けられずに、悶々とした夜を過ごしたらしい。

  『…ルーヴァに惚れてんだよっ!』

その一言がぐるぐると頭を回っていた。

「アーヴィンと同じ部屋じゃ大変じゃない?」

部屋割について、セレーヌは気にかけていた。アーヴィンは人の好き嫌いが激しい上に、嫌いな相手に対しての敵意をむき出しにしていて、船内でも困りものとの話をしてくれた。フェリス、ガント、ユフィールに対しての忠誠は確かなようだが、ルーヴァが絡むと周りを見なくなる。とのことだ。

「だからねぇ、よりによってルーヴァに怪我させちゃったからアーヴィンもイライラしてるのよ。アーヴィンのイライラなんてみんなは気にしないけど、同室となったら話は別よね。副船長は基本的には優しいし、気は利く人なんだけど、人間関係については無頓着なのよ。部屋、変えてもらったほうがいいんじゃない?」

コーヒーをすすりながら、セレーヌは提案してくれた。

ありがたいが、居候の分際でそんな我儘を言うつもりはホリンにはない。このタイミングでそんなことを言ったら、さらに敵意を向けられそうだ。

「…向こうが言わない限りは大丈夫。…もう少し頑張ってみるよ。ところでルーヴァは…?まだ見てないけど。」

ほとんどの船員が朝食を食べ終わっているというのに、ルーヴァにまだ会っていない。完全に先入観だが、朝は早いタイプかと思っていたのだ。

「…体調が悪いみたいよ。アーヴィンが大げさに騒いでたけど、ときどきあるの、ルーヴァは。こんなときくらいはそっとしといてあげればいいのに。だから、嫌われるってことに気付かないのかしら。」

どこかとげのある口調でセレーヌは言う。

「よっぽど好きなのね、ルーヴァのこと。」

エーディンは掠れた声で感心したように言った。その言葉にホリンは昨夜のアーヴィンの一言を思い出してしまう。当たり前のように言う姉が信じられなかった。女性の感性なのだろうか。

「相手にもされてないのにね。」

「ルーヴァの方は?好きな人いないの?陸のほうとかに。」

自分とアーヴィンは全く馴染めてないにも関わらず、姉とセレーヌは打ち解けたらしい。恋の話題に花が咲いたようだ。姉が早くも普通に戻りつつあることがホリンはうれしかったし、優しく姉に寄り添ってくれるセレーヌに感謝した。

「う~ん、ルーヴァねぇ…」

心当たりを探すように、考えた。

「ていうかさ、セレーヌとルーヴァは、ねぇの?同い年だろ?」

ホリンは思いついたことを言ってみた。同じ年の男女なら、アーヴィンよりも信憑性はあると思ったのだ。

「あ、ホリン君には言ってなかったっけ?あたしとルーヴァは双子なのよ。だから、あるわけないの。」

「えっ?!そうだったのか…言われてみれば、似てるところあるな…」

クスクスと笑いながらセレーヌは言った。昨日の自己紹介で言い忘れていたが、どこかのタイミングでエーディンには話していたらしかった。少しくせのある髪は色も似ているし、目の色もほぼ同じことに気付く。

「ルーヴァはね、いるとしたら……」

話を戻し、セレーヌは思案する。エーディンは興味津々のようだ。

「ユフィール先生…かな?」

それを聞いて、再びホリンは気が滅入る思いがした。

(男だらけの三角関係かよ…)



悪い夢を見て、ルーヴァは朝から身体の震えと寒気、言いようのない不安感に襲われていた。息も苦しく、まともに呼吸ができなくなったかのようだった。

「ルーヴァ、俺だ。入るぞ。」

声を掛けられ、返事をする前に鍵をあけられ、姿を現したのはユフィールだった。いつものことだが、黒い服を好む。それぞれの個室には鍵がついているが、船長のフェリスと副船長のガントはマスターキーを所持している。基本的に船員が使うことは禁止しているが、ユフィールには特別に使用許可が出るのだ。

「そろそろだろうと思ったが、月の障りか?」

ルーヴァの顔には汗が滲んでいた。過去の忌まわしい記憶のせいで、毎月身体のサイクルに合わせたように情緒不安定になる。

「血は…まだ出てません。」

「でも夢には見たんだろう?」

ユフィールが来て、ルーヴァはだるい身体を起こした。下腹痛の併発も、いつものことだ。

薄い寝間着の上にカーディガンを羽織る。身体が小刻みに震えるのを、悟られたくなかった。今回はやけに重い。

だが、ユフィールはよく見ていて、ルーヴァの首に手の甲を押し当てる。

「…随分震えてるな。寒いのか?」

「寒いっていうか………っ」

言いかけてルーヴァは絶句した。

ルーヴァの首、ユフィールが触れている皮膚の下がぼこぼこと波打った。皮膚の下で何かが蠢いているかのようだ。やがて皮膚を突き破り、姿を現したのは夥しい数の蟲たちで、ルーヴァの皮膚から出たら今度はユフィールの皮膚を喰らい始めた。皮膚を破って今度はユフィールの皮膚下で蠢く。

「……っ……」

おぞましい光景にルーヴァは目を見開いてガタガタと震えだす。歯の根が合わず、言葉が継げない。

「おい、ルーヴァ?」

首から手を離し、今度は頬に触れようとする。ルーヴァの様子がおかしい。

「…ぃ…やっ…蟲がっ」

ルーヴァの目にはユフィールの手に蟲が蠢いているのが見えている。自分の身体からユフィールに蟲が移ったのを見た。とっさにルーヴァはユフィールの手を振り払う。

「蟲?」

しかし蟲なんてどこにもいない。

(幻覚か…)

とりわけ厄介な症状。その時々で違うが、今回は蟲のようだ。

「ルーヴァ、蟲なんていない。落ち着けっ。」

肩を掴み、とにかく落ち着かせようとするが、ルーヴァにはしっかりと、ユフィールに集る蟲が見えてしまいかえってパニックになる。

「先生っ離して!…む…しがっ」

服の上からでも蟲が増殖する光景に耐えられず、ルーヴァはユフィールを突き飛ばした。

自分の身体にはなおも蟲が集り、身体を掻きむしった。白い肌に薄いミミズ腫れが残る。

「…っくそ…」

幻覚に気付いたユフィールはすぐさま薬を処方する。効き目が早いのと飲みやすさを考慮してぬるま湯に溶かす。

「ルーヴァ、飲めるか?」

ルーヴァは震える手で受け取ろうとしたが、カップのなかに蟲を見てしまった。

「ダメっ…無理…」

口元を抑え、薬を拒否する。吐き気さえしてくる。胃の中にも蟲が蠢いているようだった。

一時的な症状かもしれないがこのままでは生活に支障がある。

「仕方ねぇな…」

ユフィールは口に薬を含むと、強引に口移しでルーヴァに飲ませた。

「…んぅっ…」

ルーヴァは抵抗したがユフィールは構わず薬を流し込む。

カップ一杯分の薬を飲み終わるころには幾分落ち着きを取り戻したようだった。

「…苦い……」

目に涙を溜めて呟くルーヴァの口の端が、零れた薬で汚れていた。ユフィールは指で優しく拭ってやりながら、ほっと息をつく。

「まだ見えるか?」

かなり即効性のある分、強い薬だ。効いてくれなくては困る。

首を横に振るルーヴァの胸元が、さっき暴れたせいではだけていた。ユフィールはあることに気付く。

(…いつの間にか結構胸が育ってたんだな)

普段はさらしを巻いて、大きめのマントを胸が隠れるようにつけているため分からなかったが、胸の谷間が深い。

(身体の発育に比例して、症状が悪化しているのか?)

ルーヴァの病は初潮と同時に始まったが、明確な治療法が分からず、ユフィールは歯痒かった。

いつもの精神安定剤を調合しだすが、幻覚まで出るとなると少し強めの薬にしなくてはいけないかもしれない。

「先生…、なんで治らないんですか…?!」

苦しそうにルーヴァは話す。

「お前の意識次第だろう。まだ自分の身体が穢れてると思ってる、違うか?」

「……」

「幻覚で蟲を見たってことは、穢れの隠喩じゃねぇのかな。

 …10年前の……もう10年だ。気持ちは切り替えないと」

調合の手を止めずに、ユフィールはこれまで幾度となく言ってきた言葉を言う。

ルーヴァはそれには答えずに、ただ唇を噛んでいた。

(駄目か…)

そんな簡単に忘れられるくらいなら、彼女はここまで苦しまない。

「そういえばルーヴァ、一時期男になりたいってだいぶ喚いてたけど、それは落ち着いたのか?」

ルーヴァは昔から強くなりたいという気持ちを持っていた。男の方が力も強いし、身体も大きくなる、だから男になりたいんだ、と。3、4年前になるだろうか、かなり本気で言われて、当時は困ったものだった。長いこと生理がこないほど、身体に作用してしまったのだ。今の男装はその名残のようだが、いつの間にか男になりたいとは言わなくなった。しかし男の恰好をするにはもう女の身体になり過ぎている。

「そうでしたっけ…」

女の身体でいるのが苦痛なのかと思ったが、そういうわけでもなさそうでユフィールは安心する。

「落ち着いたんならいいんだ。」

調合の終わった粉末を薬包紙に丁寧に包む。

「なぁ、ルーヴァ、どうしても自分の穢れを忘れられないんだったら、それを浄化する方法を考えてみたらどうだ?」

そもそもルーヴァに穢れがあるとは思っていないが、本人の意識の問題なら周りがどう言おうと無駄なのだろう。少し治療の切り口を変えてみることにした。

「どういうことですか…?」

いままで言われたことのない言葉に、ルーヴァは怪訝な顔をする。

「今すぐ完全に治すのは難しそうだから、しばらくは苦しいだろうけど。男になりたいとかじゃなければ男と恋愛もできるだろう?と思ってみたんだ。」

確実性は全くといっていいほどない。しかし焦っても症状が良くなることもない。少し気持ちに余裕を持って、有効な治療法を探していくしかないように思えた。なにより、トラウマも克服できないと、意味がない。

ルーヴァは何と言うだろうか…

1週間分の安定剤を作り、幻覚抑制の薬を作り始めて横目でルーヴァを見てみる。

ルーヴァは何かを考え込むかのように顔を伏せたままだ。

(すぐにはピンとこないか…)

もちろん一刻も早く治してやりたいが、心療内科のような類は専門でない。これまでに資料を集め、停泊した国に専門家がいれば話を聞きにも行った。だがどれも無しの礫だ。

薬は漢方を多用して騙しだまし飲ませていくしかない。

「…先生。」

「ん?」

「先生が浄化して。」

「…………………は?」

思いがけない言葉にユフィールの思考がストップした。

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