③夢のような旅をする少年・旅をする夢を見る少女(最終更新日:2001年2月28日)
SCENE1
それは、唐突に始まった。
少年がいる。
その少年の名は、カイオー・デドリーペイン。
声変わりをしたばかりの十三歳。
名前は変わっているが、どこにでもいる普通の少年だ……と言いたいところなのだが。
そうはいかなかった。彼は普通ではなかった。
彼にはどうしても自分が十三歳だとは思えなかったのだ。何か、自分はもっと年上の、二十歳前後の青年だったような気がしているのだ。
例えば声に違和感が有る。
もっと低い声だった気がする。
例えば肌に違和感を感じる。
こんなにきめこまかく若若しくなかった気がする。
例えば視点に違和感を覚える。
低すぎるような気がする。
言ってしまえば。
全てが、おかしい。まるで自分が自分ではないような気がする。
いや、自分は自分でも、何年か前の自分になったような気がする。
『気がする』のだ。
確信は持てなかった。持てない理由があった。
違和感はやけに強いのに、比べるべき自分の「元の姿」が思い浮かばないのだ。
漠然とした何かが、胸に突っかえている。もやもやと。
……そうか。
彼は閃いた。もやもやは消えなかったが。
一番おかしいのは、自分の記憶が曖昧なことなのだ。
根本に気付いたが、対応策もなく、事態は混迷するだけだった。
そう、彼には、ほとんど記憶がない。
彼は、普通ではなかった。
一つは、そういう理由で。
少年が、遊園地にいる。
少年のことは前述の通り。
彼には記憶がないため、何故自分がこんな所にいるのかわからない。
轟々と無駄なほどの大音響をばら撒きながら、きゃあきゃあと無駄な悲鳴を振りまきながら、縦横無尽にのたうつレール上をトロッコにも似た何かが爆走する。
ぽかんとして、それを見上げてみた。
それを見ていると、突然、ジェットコースターという単語が頭の中でぱっとはじけて、エコーにエコーを重ねて、わんわんと鳴り響いた。不快感は、不思議なほどなかった。
名前がわかった。
ジェットコースターだ。
そうして小さな満足を得てから、彼は自分の居場所の把握に努めた。
が、あたりを見回してみても、訳の分からないアトラクションやら何やら、緑化に失敗したとしか思えないほど貧相な芝生や木々がちらほら。地面がタイル張りのここは、休憩場か何かか。彼は、オブジェも兼ねた中途半端な噴水を背にして立っていた。
居場所は把握できたが何の解決にもならなかった。
茫然とした。
何をしていいのか分からない。
何をしていたのか分からない。
いや、とにかく次は、持ち物を確認するべきか。
慌てて、体中を探ってみる。
上着のポケットには何もなかった。ズボンのポケットにも何もなかった。
そしてわかった。
自分は何一つ持っていなかった。荷物も。お金も。記憶も。
文字通り、着の身着のままでここにいるということか。
途方にくれた。
ジェットコースターは、未だ飽きもせず轟々きゃあきゃあわーわー。
困ることしか出来なかった。
夏。少年が、遊園地にいる。
暑い。いや、「熱い」の域に到達している。
気温が高いのだ。
どんどん汗が滴り落ちてきた。多くは熱さによるが、幾らかは冷や汗だ。
情況が好転しないので。彼は焦っていたのだ。
かといって、悪化もしない。
これ以上悪化のしようもない。熱い。
とりあえず回れ右。手を伸ばし、腰をかがめ、噴水池の水を掬い取って。
顔を洗った。
ぬるいが。
少しさっぱりした。気持ちが落ち着いた。
それでも何も分からなかった。
首の後ろがちりちりする。熱いのだ。
帽子が欲しかった。つばの長い、麦でできたやつが。
でもそれは叶わなかった。
金がないから。
記憶もないから。
なんにもないから。
夏。少年が、遊園地にいる。そこに女が一人。
やって来た。
別に、遊園地に人がいることは珍しいことではない。確かに、この遊園地はあまりぱっとしないのか何なのか、大した数の人がいるわけではないが。それでも。
人はいるし。
少年のいる休憩場で、そこの薄汚いベンチで、休みたいなあなどと考える奇特な人もいるかもしれないし、次はあのでかい円形の何か(観覧車)、そう、カンランシャとやらに乗ろうと思ってここを通過する一般人もいるだろう。
だが。
その女は、真っ直ぐに、こちらに向かってやってきた。
噴水池の中を通って。
こちらと目を合わせて。
ざぶざぶと波を蹴立てて。
ああ、あの黒いワンピースは、きっと自分より熱いだろうな。
思った。
でもだからと言って。
「水浴びはちょっと」
熱い。
視線は交錯する。
轟々きゃあきゃあ。
噴水は音が静か。
自分は記憶なし。記憶喪失。
ざぶざぶ。
ざぶざぶ。
頭を掻いた。
髪が燃えるように熱かった。
女がオブジェを迂回する。その際に目が逸れた。
その時だった。
夏。少年が遊園地にいる。そこに女が一人やって来て、彼は反射的に逃げ出した。
回れ左。そうして地面を蹴る。
逃げた。脱兎のごとく。食い逃げ常習犯がラーメン屋で爪楊枝しーはーしながら立ちあがり、おばちゃんの目を盗んで引き戸をガラガラ「食い逃げよ!! 誰か捕まえて!」「ごちそうさん!」とばかりに走る走る。
足は速かった気がした。自信があった。
後ろは見ない。速度が落ちる。
走る。
景色がぶっ飛ぶ。木。貧相な。店。普通の店より高い値段。風船。着ぐるみが売ってる。
何もかも流れる。
ぜーはー。息は切れる。
でも止まらない。止まれない。止まりたくない。
何だあの女は関わりたくないから絶対に逃げ切ってやるだって怖いもんあんな変な女でも綺麗だったなまるで女優みたいだった。。。。
。
前方に集中線が引かれた。漫画的にはそうなるだろうことまでわかった。
ぜーはー。息は切れてる。
女がいた。突き当たり。土産物屋に似た構造の不思議なお化け屋敷の前に、黒いワンピースの女が立っていた。風もないのに、ぬばたまの黒髪がさあっと横に流れた。
自分は走っているわけで。
近づいて行くわけで。
あ。
夏。少年がいて、女に会って、逃げて、また会った。遊園地で。
そういえば何故ここに? どうやって自分の前に?
「うわああああああ」
叫んだ。
女はびっくりしたように目を見開いた。
急ブレーキ。
車は急に止まれない。
車でなくて良かった。
思った。
止まった。女の目の前で。
振り向く暇もなかったが。
それでも急転換。
ぜーはー。息は切れているが、気にも出来ない。
ダッシュ。
後ろは振りかえらない。速度が落ちる。
もう、だいぶ疲れて落ちてはいるが。
走る走る。
景色が流れる。風船の赤。店舗の黄色。木々の緑。
止まれ。注意。進め。
三色が三様の声援を送る。
ありがとう。傍観。
逃げる。
あの女は後ろにいるのか? いるのか?
気になった。
振り向いた。スピードは落ちたがそれでも。
いなかった。黒はなかった。女はいなかった。
安心した。
地面がタイル張りになった。休憩場に戻ってきていた。
オブジェと噴水。
おい。
女がまた、いた。夏。遊園地で。少年は三度女と会った。
噴水の前に、女は立っていた。
風もないのに、ぬばたまの黒髪はさらさらと流れていた。
足元に小さな水溜りがあった。
おかしかった。私はずっとここにいたんだけどね、ふふふと笑いかけられそうだった。
「私はずっとここにいたんだけどね。ふふふ」
それはないだろう? だって向こうにいたじゃないか。
『土産物屋の恐怖』と書いてあった冗談とも本気ともつかないアトラクションの前に。
あなたはいたじゃないか?
当然のように。あそこに。
一瞬、これが、そのアトラクションの一環なのかと思って、それならば、これほど成功した企画は今後この遊園地には現われないだろうと思えるくらいの大ヒットだということになると気付いた。
……そうなのか? あなたがあっちこっちにいるのが、恐怖?
「恐怖?」
指差して、問うた。
そのままバランスを崩した。これでもかというくらい傾いた。
あの走行は、十三歳の身に余る動きだったようで、過負荷が一気に溢れ出したようだ。
忘れていたけれど、ものすごく熱かったのだ。
息も切れていた。
轟々きゃあきゃあ。
噴水は静か。
このまま地面に激突したら、頭から血が出る。
勿体無い……? ちがうか。
こ・ん・な・と・き・は・な・ん・て・い・う・ん・だ・っ・け?
気を、失った。
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