②デジタルトラベル(仮題)(最終更新日1999年7月13日)

エピソード00 そう言って彼は苦笑した。


「デジタルトラベラー、ですか?」

「そうだ。お前も聞いたことぐらいはあるだろう?」

 ボスの言葉に、端正な顔つきをしたその青年は少し考えてから首を振る。タイムトラベラーなら知っていますが、と答えようとしてやめた。仲間の前でならば言うかもしれないが、今は司令室でボスと一対一。場違いが過ぎるというものだ。

「知らないか。二十年ほど前にとある国で、ドキュメンタリー番組が放映されて一躍ブームになったんだがな」

「ボクはその時、生まれたか生まれないかぐらいの赤ん坊ですよ」

「そうか、ならばわからずともしかたない。しかしあれはいい番組だった。製作スタッフの一人がわしの親友であったことを差し引いても………」

「いや、そんなことよりもデジタルトラベラーの説明をお願いします」

 青年としては、仲間の一人リリア・マクホスを今夜あたり食事にでも誘ってみようかとか、そんなような計画があったので、実は一刻も早くボスとの話を終わらせたかった。司令室に呼び出された時、新しい仕事が入ったのだということはわかったのだが、仕事内容の説明以前の段階、わからない単語の説明だけにかなりの時間がかかりそうだ、というのは予想外の出来事で、彼の頭の中に描かれたタイムテーブルは大きく狂い始めていた。

「おお、そうだな。それももっともだ。ふーむ、何から説明したものか………」

 しばし思案した後、ボスは口を開く。

「哲学は得意かね?」

「は?」

 関係のない話になったのかと一瞬いぶかしみ、青年は声を漏らしていた。

「哲学、ですか」

「そう、哲学だよ」

「得意不得意で考えたことありません」

「まあ、君の軽い性格の裏には重い思考が隠れているのだろう、とそういう設定で話を進めさせてもらうぞ」

 勝手に決めないでください。言おうとして、しくじった。どうもいつもの調子でいかないな。

「君は時間というものをどのようなものだと捉えているかね」

「………流れるもの、です。抗いようのない大きな流れこそが時間の本質」

 学生時代に読んだ何かの本の受け売りだ。一見重々しい思想家の言葉のようだが、作者は三流の推理作家だった気がする。

「そう。たいていはそのように考える。一万人のうち一万人が、時間とは流れているものだと認識しているのだ」

 それはそうだろう。時間の流れという言葉があるくらいなのだから。

「だが、一万人のうち一万人がそう考えていようとも、一万一人目がそうとは限らない!」

 ばん、と大きく机をたたき、ごつい体が立ち上がる。いつも大きな目をいっそう大きく見開いて熱く語るオヤジを呆然と眺めながら、青年は思った。

 ………すげー長引きそう。

 かくして彼のディナーの計画はあっさり破綻したのである。

「時間が流れているなんて思ったら大間違いだ! 時間の流れなど存在しない! 時間が流れているのではなく、我々が存在として動くから相対的に流れているように見えるのだ。いわば、我々がこの世界を歩む時の足跡のようなものこそが時間。足跡を振り返れば最初の足跡ははるか後方に見える。しかし実際にはその位置は最初と何ら変わっていない。時間もこういうものなのだ」

 そう考える者がいるかもしれない、とボスは荒い息で続けた。青年には、ボスの言わんとしていることがわかるような気がしたが、果たしてこの話が今回の仕事に関係があるのかと、疑わずにはいられなかった。

「それと、今回の仕事にどんな関係が?」

 つい口に出してしまう。おお仕事の話か、忘れておった、なぞと答えられたならば青年は大暴れしていただろうが。幸運にもそうはならなかった。

「うむ。デジタルトラベルはこの概念を使わねば理解できない」

 デジタルトラベル。デジタルトラベルする人がデジタルトラベラー。そういうことだろう、きっと。

「かなり砕けた言い方をすると、デジタルトラベルとは、時間の流れから切り離された旅のことだ。しかし、生半可な切り離され方ではない。タイムトラベルというものが、小説なんかではあるが、あれは一人の人間単位で時を動いている。タイムパラドクス以外はほとんど問題はない」

「では、デジタルトラベルとは一体………?」

「はっきり言って、無茶苦茶だ。精神、肉体、時代背景。これら三つが全てシャッフルされて、脈絡のない物となっている」

「よくわかりません」

「………いいか? 例えば、二〇〇年八月一日に生まれた子供がいるとするだろう。普通の子供だったら、二〇五年八月一日には、五歳児の体で五歳児の精神を持った奴になっていて、誕生会なぞを開いているだろう。二一六年八月一日には、十六歳で外見は大人っぽくなってきていて、親からの自立を考えているような、まあそういった奴になるわけだ」

 すげー偏見だな。青年は呆れかえった。

「ところが、だ。デジタルトラベラーならどうだ。二〇五年八月一日、十二歳の外見なのに、十六年生きてきた精神が入ったわけわからん奴がそこにいるかもしれない。二一六年八月一日には、もしかしたらそいつはいないかもしれない。何せ、わしらとは違った世界、平行世界といわれるやつにまぎれこんで、いなくなってしまう事すらあるのだからな。まあもっとも、次の日にひょっこりあらわれんとも限らんが」

「そんなんで生きていけるんですか?」

「客観的に見れば、確かにつらそうだが、本人にしてみれば結構大丈夫なんだそうだ。ふと気づくと、未来にタイムスリップしていて、挙句に自分の体が幼児化していた、というようなことがまれに起こるだけで、慣れればたいしたことはない、と」

「………………………」

「これがデジタルトラベル、正式名称不連続時間旅行症候群についての説明だ」

「症候群? デジタルトラベルって病気の一種なんですか?」

「無論だ。そんなもの、誰が好き好んでなろうとするんだ? 病気だからこそ存在し、病気だからこそ迷惑がられているのではないか。ある一族の遺伝子に、それをひきおこすものが含まれていてな。その血を引く者の九〇パーセントが、五歳頃から二十歳前後までの間中ずっと発症させている」

「二十歳になったら治るんですか。良かったですね」

「まあ、そうなんだがな。その、治る際には、彼らは一つの旅をする」

「旅?」

「そうだ。今回の仕事依頼は、その旅を成功に導くことだ。何せ、奴らはわしらとは違う時間軸を動くからな。相当困難なものになるだろう」

「依頼主は?」

「デジタルトラベラーの父親だ。彼も元トラベラーだそうで、わしの説明のほとんどが彼からの受け売りだ」

「………旅の成功といっても何をもって成功とするんですか?」

「………対象が、デジタルトラベラーでなくなることだな」

「やれやれ、正義の味方も楽じゃないですね」

 そう言って彼は苦笑した。

「二年以上やってきてようやくわかったか」

 にやり、とボスも笑う。

 青年、エリック・パルという名の魔導士は、こうしてデジタルトラベラーと関わっていくことになる。

 とあるデジタルトラベラーの、最後となる旅の物語が、今始まった。




エピソード01 突然彼は背中を叩かれた


 闇の中にいることが認識できた時、彼は何よりもまず恐怖を感じた。真の闇は彼の負の感情を助長したし、それ以前に追われていることに気づいたからだ。自分の鼓動しか聞こえない、黒という色しか見ることのできないこの場所で、なぜそのようなことが分かるのか? 分からないと分かっている問いを自分に投げかけつつ、彼は落ち着こうという努力をしてみた。

 一応は、成功。

 さらに落ち着いて物を考えるべく、彼はその場に座り込む。………デニムのパンツを通して、床の冷たさが伝わってきた。おそらくは、コンクリートだろう。

 俺は、誰だ? ………わからない……いや、分かるぞ。俺は、カイオー・デドリーペイン。それだけは忘れようがない。


 こつり。彼の気づかないところで小さな足音が響いた。


 俺は、今一体何歳だ? ………二十歳か? ……いや、そのような気もするがそうでない気もする。………いや、何で俺は自分の歳が分からない? 混乱のせいか? 違うだろ。そうじゃないんだ。何か忘れていることがあるんだ。


 こつり。足音はさらに近づくが、彼はまだ気づかない。


 ここはどこだ? ………おい、これわかるんじゃないか! ……何か、喉の所まで出かかってるんだよ。何だった? 何という名前だった、ここは? どうしてここに来たんだ、俺は? そう、それを思い出せ! 思い出すんだ。何か重要な事があるんだから!


 こつり。足音は彼に近づきながら、徐々に音を小さくしていく。


 そうだ。俺は、誰かに呼び出されたんだ。ビル。どこかのビル。ここはその地下にある謎の空間だ。謎の? 何で謎だって知ってるんだ? 本当に分からないなら、謎の空間なんて単語思い浮かべるわけない………。

 ………。突然彼は、肩を叩かれた。彼自身は気づいていなかった足音の主によって。

 あまりの驚きに声も出ない彼は、恐怖に歪んだ顔のまま、ぎぎっという音をたてそうなぎこちなさで、肩越しに振り返る。闇の中に、全く変わらぬ闇の中に、明らかに今までと異質な気配がひとつ。彼は何故か、その何者かが笑っているように思えたのだが。

 何かがはじけるような感じがして、彼はあくまで受動的に、そして自動的に。

 場面の転換をむかえてしまう。



 わーわーという妙な喧騒で、カイオーは我に返った。正午近くの太陽に、彼は思わず目を細め、手をかざして空を見上げる。空一面を、限りなく透明に近い白雲が覆ってはいるが、何せ真夏のことだ。じりじりと燃え上がる太陽が、陽炎をまとわせながら空に浮かんでいる。ふとカイオーは、太陽を直接見てはいけない、という誰かの怒った声が聞こえてきたような気がした。ばつが悪そうに目を下ろす。黄緑色の光が残像となってちらちら残り、不愉快なこと極まりなかったが、自分のやったことで文句の言いようもない。

 何人かの人が、何故か驚いたようにこちらを見ていたが、目を向けるとあわてて去って行った。首を傾げつつも、歩いている人々を眺めやる。なんとも不思議な光景だった。楽しそうに腕を組みはしゃいでるカップル。子供より楽しそうにしている父親を温かく見守っている母親。楽しそうにおしゃべりをする五人ほどの少年。とにかくみんな楽しそうなのだ。少し不気味に思えたものの、広く周りを見てみてようやく合点がいった。

 ごーごーといういかにも速そうな音を響かせながら中空のレール上を疾駆するジェットコースター。いかにもメルヘンといった、オーバー過ぎるほどの装飾を伴ったメリーゴーランド。良く見れば、かなり遠い位置には大観覧車もある。

 ここは、そういった場所だった。テーマパークとか、遊園地とかいわれる類の場所。好きな人は好きだが、嫌いな人は嫌いという、好かれやすく嫌われやすい場所。とりわけ、子供やカップルに人気の場所だ。

 カイオーがいるのは、妙にだだっ広い敷地面積を持つそこの、入り口付近。ありがちもありがち。憩いの広場と勝手に名前がつくような、噴水有り、花壇有り、ベンチ有りの休憩場所だった。彼は、中央にある噴水を背に、ちょうど森しか見えない方を向いて立っていたのだ。少し右を仰げば本格的にアトラクションの姿が見えてくる。少し左を向けば、これまたテーマパークにありがちな、マスコットキャラクターの描かれたカップに入っていること以外全く変わらないはずなのに、少し高い値段のポップコーンなんかが売られていた。

 とりあえず嘆息。彼は一番近くのベンチに腰掛ける。

 ダイナミックさをかけらも意識していない、テーマパークに不似合いとも思える噴水を睨みつけつつ、カイオーは両腕を組んだ。憮然とした顔になって(わざとそうしているとしか思えないほど似合っていなかった)考え込む。

 さっきのは何だ? あの闇は何だ? 幻か? 夢か? いや、違う。あれは現実だ。しかし、だとしたらどういうことだ? なぜ俺はここにいる? 謎の空間とやらはどうした? ………落ち着け、これじゃあさっきよりも混乱してるじゃないか。ここは遊園地。幸運にも身の危険はない。あせる必要なんて無いんだ。


 思い悩む彼の姿を遠くから眺める、二つの人影があった。一人は男。長身で、目つきは鋭いが、まだ若く精悍な顔立ち。悲しげに、カイオーを見つめている。もう一人は、女。すらりと背が高く、腰まである長い黒髪と、憂いを秘めた青い瞳が特徴的だ。彼女は、表情を表に出さないようにしている。今の感情は、誰にも知られてはならない。けっして………。


 カイオーは、高ぶっている感情を抑え込んだ。冷静にあれ。誰かの教えが、胸をよぎる。混乱している時こそ自分を見つめてみろ。そうすれば突破口は見つかるはずだ。

 そう、見つかるのだ。

 一つずつ、分からないことを整理していこう。分かっていることを整理していこう。

 まず、俺は誰だ? ………これは間違いなくわかる……カイオー・デドリーペイン。ミカエラ・デドリーペインの息子、カイオーだ。


 その頃、カイオーを見つめていた男は、何事かをつぶやいた後に、ごそごそとあわただしくポケットの中をまさぐった。探し物が見つかったのか、彼はすぐに硬直したように動きを止める。何故か、見たくないものを出すように、恐る恐るといった感じで彼は、へんてこな形の物体を目の前に持ってきた。その手を開く。不思議なことにその物体は見る見る姿を変えていき、数秒もすると全く別の物と化していた。小型の自動拳銃。

 男は、愕然とした表情を見せた


 じゃあ俺は、今一体何歳だ? ………これもわかるぞ! ……俺は、二十歳だ。そうだ、それで良かったんだ。………………ちょっと待てよ。それはいいとしても、

「俺は、今、外見上は何歳なんだ?」

 思わずつぶやいた声は、驚くほど高かった。幼さの残るその声は間違いなく変声期前のものだ。

 やはりか………。どうもさっきから体が小さすぎると思ったんだ。しかし、何で子供になってるんだ? いや、それにも何か原因があったなあ。………俺は知ってるはずなんだ。………でも忘れている。なぜだ? なぜ俺は、忘れている?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る