ⅱ.ねじまきを探せ


 そもそもの始まりは、フィーがこぼした一言だった。


「りれくん、ねじまきが、見つからない」


 それぞれが自由に略して呼ぶ狼の名前を、リレイという。普段は、かれ色の髪と青い目、背に鳥のようなやわらかい白翼を持つ、天使エンジェルと呼ばれる姿をとっている。

 翼のある巨大な狼――天狼の姿と、綺麗な顔が無害そうな天使の姿。そのどちらが正体だとも言いきれない。あえて言うならば、シンボルであるはずのエンジェルリングを持たず、しかし堕天使ダークエンジェルの三対黒翼でもない中途半端な天使姿のほうが、にせの形かもしれない。


 天使のふりをした巨大狼が人間の少女を連れ歩く――これが一般的に想起させるものは、甘やかな物語ではなくグロテスクな御伽噺おとぎばなしだろう。少女の心が閉ざされていると知ればなおのこと、はふたりを引き離そうとするはずだ。

 本来なら。

 以前の世界なら。


 しかし今は、善良な倫理りんりを振りかざすに出会うことなど滅多になくなった。今にも終わろうとしている世界でおのれ以外に心を割く余裕のある者など、ほとんどいない。それ以前に、生き延びている人そのものが希少すぎた。

 善良であるほどに、壊れきったこの世界は生きにくい。自分が生き延びるだけで手一杯であり、哀れな少女を怪物から奪いかえす余裕のある勇者などいない。せいぜい、無力な子供や弱った者を守るためのコミュニティーを組織する程度が関の山なのだ。


 リレイとフィーにとっては幸運なのだろうか。

 猛獣を自認するだけあってリレイは良識や倫理といったものが大嫌いだったし、もしも力ずくで少女を奪われようものなら、文字通りの猛獣となって少女を呑みこむだろう。


 フィーは、リレイを巨大な動くぬいぐるみだと思っている。

 黒猫は、少なくとも乗り物にはなり得ると判断して狼の存在を許容している。

 リレイも、黒猫に搭載されている精密なAIと情報貯蔵庫ライブラリディスクが便利だと考えて排除せずにいる。

 絶妙な関係を保つさんにんだが、もしもここに思わぬ横槍が投入されれば、この危ういバランスは崩れてしまうのかもしれない。


 切っ掛けはいつでも、突然に訪れるものだ。

 少女の口から唐突にこぼれた一言がかりそめの仲良し関係を変化させるだなんて、天狼も黒猫も予想だにしていなかっただろう。


「ねじまきって、何の? エメの?」


 優しく尋ね返すリレイにフィーは、感情が希薄なゆえに澄みきった目を向け、訴えた。


「くまちゃんに、歌ってもらおうと思ったのに。りれくん、探して」


 平和で穏やかを装っていた三にんの関係にピシリとひびが入った――気がした。



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