35.これからのこと。

 †

  

「身体は問題なさそうね。あとは体力と烽戈ふかが回復するまで安静にしていれば大丈夫」


 ウィズの烽戈球体スフィアを診終わったセツナが言った。


 治療院の一室にいる。

 セツナの師匠の判断で個室を与えられたウィズは順調に快気に向かっていた。ここ数日、少し起きてはまたこんこんと眠ってしまうことを繰り返しているが、どうやら心配はないようで久遠も一安心だ。


 窓際にもたれかかっていた久遠は、検診を終えてベッド脇の椅子に腰かけたセツナの背に声をかけた。


「あんた、学園は? 最近行ってないだろう」

「うん。ウィズが心配だったし、こっちの仕事も忙しかったから。でも一段落したし、そろそろ学園にも行かないとね。……久遠くんこそ、どうするの?」


 こちらを見ようとしないセツナが、恐る恐るといった感じで聞いた。


 どうするもこうするもなかった。

 少なくとも久遠は四年の間は学園に通うしかない。

 そういう約束だった。


 しかしセツナが聞きたいのは、久遠の意志なのだろう。


 隊長が死んだことで、シエル隊は次の隊長を決めて存続するか、解散するかを決めなければならない。実際のところ、シエルを失った時点で、ヒト族界エル・ヒューマにとって、この隊の価値は地に落ちている。

 仮に存続したところで、もう特別扱いで戦場に投入されるようなこともないだろう。


 学園内で隊を組み、ランクを上げて探求者シーカーを目指している者は少なくない。彼らと同じ場所に立ち、これから切磋琢磨していくのか、あるいは……。


 久遠は自らの右耳へ手を伸ばした。


 心臓の病を知ってから常に着けていた耳飾りピアスはもうない。セツナに預けたままになっていて、この数日間、久遠もセツナもあえて言及しないでいた。


 長年あったはずのものがないことに違和感はなく、それどころかせいせいとした気分だった。それはきっとこの人のおかげなのだろうと思った。


「——セツナ」


 気付いたときにはその名を呼んでいた。


 はっとなったようにセツナがふり向いた。


「心臓の手術、受けるよ。あんたが切ってくれるんだろう?」


 自分でも驚くほど優しい声が零れた。


「ほんとう!?」


 椅子が倒れるのも構わず、勢いよく立ち上がったセツナが久遠に近づいた。

 身体が密着しそうな距離まで詰め寄られたが、後ろは窓だ。


 逃げ場はなかった。逃げる理由も。


「でも……烽戈ふか能力は落ちちゃうよ? そうしたら……」


 うって変わってしおらしくなったセツナが少し距離を開けて、細々とそんなことを言う。


「なんだ? 弱くなった俺でも、必要としてくれるんじゃなかったのか?」

「もちろんそうだけど……久遠くん、ほんとは千瀬さんの隊に帰りたいんじゃ……」

「らしくないな。絶対に俺を引き込むようなことを言っていたのに」

「シエルさんやウィズを見てたら、やっぱり家族や故郷っていいなって思っちゃって。もし久遠くんが帰りたいなら、その方がいいのかもって……」


 久遠はめそめそと項垂れるセツナの頭に手を置いた。

 そして少し乱暴にわちゃわちゃと撫でてやる。


「ちょ、ちょっと——!」

「俺は、逆のことを思ったよ」


 抵抗の素振りを見せつつ、それでも身を退こうとはしないセツナが、その一言に顔を上げた。くしゃくしゃになった髪もそのままに間の抜けた感じで久遠を見つめる。


「逆って?」

「故郷を離れても、ちゃんと生きられるのだと思った。だから俺もここで、もっと外の世界を見てみたい。力を無くした俺でも、ここに居場所をつくれるか試してみるよ」

「じゃあ、私たちの隊長になってくれるの……?」

「あぁ。医療隊、必ず実現させよう」


 かつてないほど自然な心持ちで微笑むことができていた。


 はたして、セツナの琥珀色アンバーの瞳に涙があふれて、頬を伝った。

 そのきらきら光る涙を久遠は優しく指で拭ってやる。


「それに、無鉄砲で泣き虫なあんたを、ほうっておけないしな」

「泣き虫じゃないもん……」

「そうか? あんたの泣き顔はもう何回も見てる気がするけど」

「それは、久遠くんが泣かせることばっかりするから……!」


 羞恥に頬を上気させるセツナの姿に、久遠はくつくつと笑みを零す。


「久遠くん、なんかシエルさんに似てきてない……?」

「そういうこともあるさ。あいつは俺の師匠だからな。——そういう俺は嫌いか?」


 またもからかい半分に言ってやると、セツナの顔がますます真っ赤になる。


「し、しらないわよ! それじゃあ隊は存続ってことでいいのね!? 私、学園に戻って手続きしてくるから……っ!」


 そう言って逃げるように部屋を出ていってしまった。


 そんなセツナの背を優しげに見送り、静けさがやってきて、

「で、お前はいつまで寝たふりしてるんだ?」

 おもむろに久遠は声を発した。


「……ばれてましたか」


 眠っていたはずのウィズが目を開けて、身を起こした。


「何で寝たふりなんかしてた? あいつ、大丈夫なんて言いながら心配していたし、元気な姿をみせてやれば良いものを」

「いや、あの雰囲気のお二人を邪魔するのはちょっとおれには無理ですよ」

「どういうことだ? お前も隊の仲間だ。問題ないだろう」

「えと、そういう意味じゃないのですが……。まあ、いいです。それよりクオンさん、ついに隊長になってくれるんですね」

「そういえば、お前にはまだ承諾をもらっていなかったな。おれが隊長でいいのか? お前が隊長をやっても俺はいっこうに構わないぞ」

「なに言ってるんですか。クオンさんが適任ですよ。父もそう思っていたようですし」


 ウィズがあまりにあっけらかんとシエルの話題を口にした。

 シエルの最期は久遠の口からすでに伝えてある。

 この少年は自分なりちゃんと受け止めているようだった。


「わかった。シエルのようにはいかないだろうが、お前らが誇れる隊長になってみせる」

「はい。おれも、セツナさんやクオンさんが志す医療隊は絶対に必要だと思います。一緒に頑張りましょう」


 家族を失ったばかりの少年が発する、心強い言葉に久遠も奮起させられる思いがした。


 障害は多いが、この仲間たちとなら何とかなるだろうという根拠のない自信を抱けたことが幸福だった。

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