32.覚悟。

腕の中ですがるように久遠の服を握っているセツナの視界を、久遠は自らの身体で遮ってウィズが見えないようにした。


「呪授者だと!?」


 にわかには信じがたいことだった。問いただすべきことは多くあるが、とにかく時間が惜しかった。


「すまんな」


 シエルのその一言で、久遠は口にしかけた言葉をすべて呑み込んだ。

 今はただ、成すべきことを成さねばならない。


 暴走した呪授者と対峙するのは初めてだ。

 すぐにでもこの先の方針を確かめるべきであり、それをシエルに託すのが最善であるのは間違いない。


「あとから全部話してもらうからな……!」

「助かる」


 果たしてシエルは久遠を見やって微笑んだ。

 かつて見たことのない、他意のないその笑みに、久遠は内心で舌打ちした。


「簡潔に方針を示せ。今は従ってやる、隊長殿」

「あぁ。頼む」


 またも偽りない態度で頭を下げて、シエルはウィズを見やった。


「——呪授者の暴走だ。最初に最大の一撃を放ち、しばらく活動休止する。今がその状態だ。ここでとどめをさしてやるのが、暴走する呪授者と対峙したときの基本行動だが……今回はそれをしない」

「ウィズを救う手立てがあるんだな?」


 久遠の発言に、腕の中でセツナがぴくりと反応した。

 シエルも頷いて肯定している。


「ある。この後、ウィズは再度暴走するが、先ほどのような大規模攻撃はない。最初の一撃で周辺を一掃し、それを防ぐ力量の者を各個撃破するようにアハトが仕組んでいるからな。この先は、辺り一帯の生き残りを駆除する工程に入るはずだ。俺たちはそれを、ひたすら凌ぐ」

「凌ぐ? ウィズの烽戈ふかが切れるのを待つのか? それではウィズが死ぬぞ」

「それでいい。一度心臓が止まれば呪いは解ける。その直後、嬢ちゃんがウィズを蘇生する」


 俯いていたセツナが、驚いたように顔を上げた。


「シエルさん……私は……」

「頼む、嬢ちゃん。オレの息子を助けてくれ」


 言外に、そのための準備はしてきたことを告げていた。

 事実、考えれば考えるほど、今の事態がシエルの想定内であったことが分かる。


 暴走したウィズの攻撃範囲外に逃がされた味方たち。

 烽戈ふか印を斬る久遠の刀術は、機械獣ビスキウス相手というより術を暴走させるウィズとの戦いに必要だったのだろう。


 そしてセツナには予め呪授者を救う手立てを探らせておいた。

 久遠の一件もあって、セツナが心臓の手術に重きを置いて練度を高めることも見越していたに違いなかった。


「すべては掌の上だったわけか……」


 今になって思えば、ウィズが呪授者だということに気付くことも不可能ではなかったのかもしれない。


 ウィズの髪の色が一般的な旅人族ノマドと異なることもそうだし、シエルが呪授者に関して深い知識を持っていたこともそうだ。


 おそらく、未来視の烽戈ふか術を扱えたというウィズの母親と共に、シエルが第八界エイティスに渡ったのは、呪授者を生み出した張本人であるアハトに探りを入れるためだったのだろう。

 結果的に第八界エイティスではウィズの呪いを解くことができず、次に取った手が、ヒト族界エル・ヒューマの医療技術だったのかもしれない。


 ただ、それを悟らせぬようシエルに仕向けられていたようだ。

 自分が片角の混血で、しかも呪授者であることを偽っていたことも思考の枷になっていた。


「年期が違うんだよ、小僧」


 いきなりいつもの調子に戻ってシエルが笑った。意地の悪い笑みだった。それに久遠は呆れた。


 シエルはまた表情を引き締め、話はこれまでとばかりに烽戈ふかを奔らせた。


「そろそろ、呪いが再活動する。オレは先に行く。どうするかは二人で決めろ。お前と嬢ちゃんがウィズのために命を張ってくれるかが、オレにとって唯一にして最大の賭けってわけだ。お前らがどう判断しようと恨みはしない。……それはウィズも同じだろう」


 そんなことを言い残して行ってしまった。

 ここにきて運命を共にすることを強要できないシエルに、また新たな一面を見せられた気がした。


(つくづく分からない男だ。……さて)


 セツナを抱き寄せていた手をほどいて、少し距離を置く。


 シエルが残した烽戈ふかの防御はまだ消えていない。

 少し話す時間はあるだろう。


「二択だ。命がけでウィズを救うか、このまま二人で退くかだ」


 これ以上ないほど端的に告げた。


 セツナがどう答えるかなど分かりきっていたが、彼女自身の口で言わせることが大切だった。

 それが覚悟となり、窮地で力になると疑わなかった。


「——あなたに従うわ」


 返ってきたのはあまりに意想外の言葉だった。


 責任から逃れる類いの自棄とは違う。

 未来への最善手を取るための選択であり、それが久遠の判断に寄ると本気で思ってくれているのが分かった。


 久遠は目を瞠った。次いで呆れるやら嬉しいやらよく分からない想いが湧いていた。こそばゆいが、柔らかな感情だった。


「俺が二人で逃げようと言えば、そうするのか?」


 少しいじめてやりたくなって聞いたのだが、セツナの返答に揺らぎはなかった。


「従う。四人の命と信念。そして、私たちの未来を天秤にかけた上で、久遠くんがそうすべきと考えるなら、私はそれを信じるわ」


 いつの間にこんなにも強い女性になったのだろうと思わずにいられない。

 辛い過去と、それゆえに見いだした信念に翻弄される少女の姿はもうなかった。


「ずるいな。俺の考えが分かって言っているだろう」

「何のことかな? でも、気が合うわね」


 微笑み合った。


「ウィズは俺たちに必要な仲間だ。むろん、シエルもな。あの二人が将来救うはずの命を考えれば、ここで俺たちが命を懸ける価値はある。——助けよう」

「うん!」


 今度こそ華やぐ笑みを浮かべるセツナを前に、久遠は自分の耳に手を伸ばして、耳飾りピアスを外した。烽戈ふかの最大量を抑え、心臓への負担を軽減するための烽戈ふか式だ。


「これはもう必要ない。あんたが持っていてくれ」


 セツナの手を取り、掌の上に置いた。


 途端に困惑の表情になるセツナに、久遠は笑んで見せた。


「要所で火力が欲しい場面もあるかもしれないからな。その一瞬だけ烽戈ふかを高めるくらいなら問題ないだろう。大丈夫、死ぬ気はないよ。ここで俺が死んだら、あんたはまた泣くだろうからな」

「……もちろんよ。ずっとずっと泣きはらしてやるんだから」


 すでに涙ぐんでいる琥珀アンバーの瞳でまっすぐに久遠を見つめた。

 受け取ったピアスを、胸元で大事そうに握りしめた。

 久遠に顔を近づけて、角のない場所へ、自らの額をこつんとぶつける。


「約束よ」

「あぁ」


 押しつけるのではない。祈るような約束だった。


 どちらからともなく身体を離し、見つめ合う。


 互いの瞳に映る自分の顔に覚悟が定まっているのを認め、頷き合って立ち上がる。

 行く先は、シエルとウィズが待つ戦場だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る