31.異変。

「朱桐か……」


 思案げに呟いたのはシエルだ。翡翠ヤーデの瞳で、未だ威力の衰える気配のない炎の柱を見上げている。


〈本部、シエル隊のシエルだ。通信を朱桐隊の隊長へ繋いでくれ。緊急事態だ。すぐに頼む〉


 何を思ったのかそんな要求をした。


 本部の通信士から了解の返答があると、思ったよりもすぐに千瀬と通信が繋がった。


〈朱桐隊の朱桐千瀬です。お久しぶりとでも言っておくべきかしら、シエル?〉

〈相変わらず生意気だな、朱桐。挨拶はいい。今の派手な術はお前だな?〉

〈えぇ。大きな人型の敵がいたのだけど、うちの隊員がいくら斬っても焼いても再生するものだから、消し炭にするしかなかったわ〉

〈戦果は?〉

〈少し待って〉


 気付くと炎の柱が終息を始めていた。その余熱が戦場全域を包む中、少しあって千瀬が続けた。


〈——目標沈黙。というより、火加減しなかったから何も残っていないわ。すべて蒸発してしまったわね〉

〈昔以上のでたらめな火力だ。……よし。お前、今からこっちへ来い。おそらくお前が焼いたのと同じ敵だが、オレたちでは殺しきれない。今ならミンチ状態。焼き払ってくれるだけでいい。急げ》

〈身勝手ぶりは健在ね……。もちろん手伝うことにやぶさかではないわ。昔のよしみもあることだし。ただ一つ問題が〉

〈何だ?〉

〈敵将を葬ったからかしら? 何十体も機械獣ビスキウスがこちらへ向かっている。今私が抜けるわけにはいかないわ〉

〈問題ない。俺がそっちへ行く〉

〈だめね。先ほどと同じ術を使うなのなら私の火を押さえ込む役がそちらに必要よ。私以外の隊員全員でようやく押さえ込んだ術なの〉

〈それはちょうどいい。息子がオレの代わりを務める〉

〈息子? でも彼は……〉


 ウィズの話題がでたところで、流れるような会話が一瞬途切れた。

 珍しいことに、千瀬は何か逡巡しているようだったが、やがて意を決したように言った。


〈……心得ました。引き受けましょう〉

〈悪いな、朱桐。恩にきる〉

〈ほんとうに勝手な人ね、シエル〉


 なにやら含みのある感じで会話が終わった。

 とたんに、先ほどまで炎の柱が上がっていたあたりから膨大な烽戈ふかが放出された。


 どうやらシエルに転移の術を発動させるために、千瀬が自身の烽戈ふかを目印としたようだ。


「行ってくる。しばらくの間、指揮はクオンが執れ」


 シエルもシエルで、すでに転移用の術を編み終えている。


 探求者シーカーの筆頭とも言える二人のやり取りに、久遠たちは置いてけぼりだ。


 シエルの足下で烽戈ふかの光が生まれ、その姿が消失。代わりにやってくる者があった。


 かつては久遠も身に纏っていた朱桐隊の戦闘服。

 陣の中から威風堂々といった佇まいで姉の千瀬が姿を現していた。


「姉さん」

「大事ないようで何よりね、久遠。……セツナさんも。ついに探求者シーカーとして戦場に立てたわね」


 シエルとはまた違った落ち着きぶりだった。

 油断ならない状況にも関わらず、久遠もセツナも毒気を抜かれそうになってしまう。


 次いで千瀬がウィズを見た。


「あなたがシエルのご子息ね? あの男が父親では色々大変でしょう」

「はい。しかし、学ぶべき事は多いです。良い面も悪い面も含めてですが」

「そう。良い心がけだと思うわ。ソレーユ……お母様は元気にしている?」

「——姉さん、まずは敵を斃してくれ」


 なおも世間話を続けようとする姉に、久遠もさすがに口をはさむしかなかった。こうしている間にも機械獣ビスキウスの再生は続いているのだ。


「必要な工程よ。あなたは次の戦いに備えて、その乱れた烽戈ふかを整えておきなさい」


 しかし千瀬はなおも落ち着き払った調子で、宥めるように言った。


「母はずっと前に死にました」


 久遠が押し黙ったのを確認したウィズが淡々と告げた。


 そんなウィズを観察するようにじっと見つめた千瀬が、そっと目を閉じ、寂しげな表情を浮かべる。長年一緒にいた久遠も初めて見る姉の顔だった。


「ウィズさん、だったわね」

「はい」

「先ほどのようにあれを焼くなら、誰かが私の術の矛先を制御しなくてはなりません。私が自分で制御できる範囲の火力では葬り切れなかったから。先ほどの火柱は那由たちが無理矢理に私の烽戈ふかを押さえ込んだ結果よ」

「俺の術でそれを行えということですね?」

「聡明ね。久遠の烽戈ふか量でも、セツナさんの羽根でも不可能。でもあなたの術なら可能性があるわ。……本当はあなたの父親がやるべきなのだけど、どうやらあなたにやらせたいようね」

「分かりました。やってみます。クオンさんとセツナさんは退避して下さい。おれがしくじったら巻き込んでしまう」


 ウィズが健気なことを言うが、久遠にそんなつもりはなかった。

 この判断が合理的かと問われれば即答はできないが、仲間を置いて逃げることが今はどうしてもできそうになかった。万が一に備えて、主攻撃を担う二人以外の人員も必要なのだと、取って付けたような言い訳を胸中で呟くばかりだ。


 セツナも同じ気持ちに違いなかった。

 久遠は反論を口にしようとしたが、先に言葉を発したのは千瀬だった。


「ウィズさん、それはだめよ。久遠もセツナさんもそこにいなさい。何が起こっても対応できるよう、準備はしておくこと」


 あまりに屹然とした姉の態度に少々面食らったが、文句があるはずもなく久遠とセツナはすぐさま頷いた。


 ウィズも半ば諦めたように、それ以上は言わなかった。


「お姉さん、おれが烽戈ふか術で枠をつくります。そこへ攻撃を放って下さい」

「心得ました」


 ウィズが翡翠ヤーデ烽戈ふか式を組み合わせて術を編んでいく。


 すでに機械獣ビスキウスの破片は大きな塊と化していて、それが徐々に人型を成していこうとしていた。


 いつもは素早く術を発動させるウィズだが、今回は万全を期すように丁寧に烽戈ふか術を編んでいるようだ。

 あの火力を押さえ込むための準備であり、無理もなかった。


「できました」


 ウィズが言った。ひどく息が上がり、苦悶も露わな表情だ。


 しかし出来上がった烽戈ふかの球体は見事だった。

 翡翠ヤーデの球体が機械獣ビスキウスの塊を覆い、表面には複雑な烽戈ふか印がびっちりと刻まれていた。


 そんな烽戈ふか印の中に、円をかたどった空欄がある。

 どうやらそこへ攻撃を流し込む構造のようだ。


「こちらも準備できています。——いくわよ」


 無遠慮な足取りで球体へ近づいた千瀬が掌を掲げ、鬼族でも生粋とされる烽戈ふかの炎を一気に放出した。


 球体の中で爆音が起こったが、外にはくぐもった音を漏らすに止まっている。次いで綺麗な形だった球体が内部からの圧力に大きく膨らみ、乱反射する炎に押されて歪に形を変えた。


「ぐっ……!」


 ウィズが苦しげな声を零す。汗が頬を伝い、術を制御しようと掲げていた手も、その足下も震えている。


「絶対っ……保たせる——。おれが……、みんなを——ッ!」


 歪に変形する球体。その度に持てる烽戈ふかを注ぎ込み続けて維持しているウィズは必死に耐えている。


 久遠とセツナは固唾を呑んで見守ることしかできなかった。


「もう少しよ! 頑張りなさい!」


 千瀬が鼓舞する。その言葉の通り、球体の中で荒れ狂う炎は勢いを増して輝いている。今にも暴発しそうな凄まじさだが、それだけの威力を孕んでいる証でもあった。


 そして一際大きな瞬きが起きたかと思うと、球体の中で爆音が轟いた。同時にウィズの術が砕けて、爆発の余波が周囲を見舞った。


 久遠はセツナを背に庇いながら、熱風に晒される目を何とか薄く開いて事の成り行きを見守った。


 爆煙が晴れる。

 はたして、機械獣ビスキウスの破片は跡形もなく消え去っていた。


「よくやったわ」


 千瀬の一言で、ひとつの戦いが終息したことを実感した。


 すでに烽戈ふかが枯渇していてもおかしくないウィズが、両膝をついて崩れ落ちた。久遠とセツナが思わず駆け寄る。


「はっ、はッ——はァあ……!!」


 烽戈ふかの使いすぎで心臓と烽戈ふか脈を酷使している。

 外套の胸元を押さえて過呼吸に苦しむウィズに、久遠は為す術がなかった。


「どうしたらいい?」


 冷静を保ちながらセツナに問う。

 セツナはすでにウィズを診ているが、その表情は険しい。


「まだ烽戈ふかが流れ続けている。まずはこれを鎮めてそれから——」

「久遠。セツナさん」


 久遠とセツナが処置を始めようとしていると、背後で千瀬が口を挟んだ。


「姉さん! ウィズの烽戈ふかが止められない。止める方法を知らないか?」


 ふり返りもせず聞いた。だが、千瀬の返答は思いも寄らないものだった。


「その子から離れなさい」


 一瞬、なにかの聞き間違いかと思って、姉の顔を見た。ひどく真剣な表情の姉がいた。


「姉さん? 何を言って——」


 久遠が口を開いたそのときだった。


「がッ……あ! あァあああ——ッ!!」


 突如としてウィズが苦しみの声を上げた。胸元をむしるように握り、額を地面に着けて身を縮こませている。


 その身体から、尋常ではない烽戈ふかが溢れ出す気配があった。


「始まったわね」


 千瀬が有無を言わさず久遠とセツナを抱えて大きく後退した。

 ウィズから距離を置いたところで二人を解放する。


《シエル、終わったわ。……あなたの思惑通りの展開よ》


 繋がったままにしてあったシエルとの回線へそんなことを告げた。


《……そうか。助かった、礼を言う。こっちも粗方片付いた。あとは頼む》

《私もこちらに残りましょうか? そちらはもう那由たちで十分でしょう》

《いや、いい。オレたちだけで何とかする》

《そう。たしかにそれが道理かしらね。武運を》

《あぁ。大事な弟を巻き込んじまって悪いな》

《久遠が望んだことよ。もちろんセツナさんもね。まあ上手くやってくれるでしょう。私の自慢の弟たちだもの》


 思わぬ形で姉の口からそんなことを言われて、久遠は何と言っていいのか分からなかった。こんな状況でなければ、照れ隠しの悪態でもついていたのかもしれない。


「それじゃあね、二人とも。私は戻るわ。……そのうち、ウィズさんも連れて三人で遊びに来なさいね」


 またも、らしくない優しい言葉を言い残し、姉は足下に出現したシエルの円環に連れられて行ってしまった。


 代わりに戻ってきたシエルが久遠とセツナを見て、その視線が息子のウィズに移った。


「シエル、どうなっている? ウィズの様子がおかしいぞ!」


 詰め寄る久遠を掌で制止し、シエルはウィズの状態を見極めようとしている。


「説明はあとだ。ありったけの烽戈ふかで防御しろ」


 言うや足下に烽戈ふか印が浮かび、三人を半球状の烽戈ふかが覆った。防御のために編んだシエルの烽戈ふか術だ。


 戸惑いを隠せない久遠だったが、暴走していたウィズの烽戈ふかがさらに膨張したことで我に返った。


 烽戈ふかを総動員して身に纏い、

「あんたも身を守れ!」

 はっとなったセツナが羽根を展開するのも確認せず、庇うように抱き寄せた。


「くるぞ——!」


 シエルの声が聞こえた。瞬間、すべての音が掻き消え、視界が真っ白に染まった。遅れて重苦しい地響きを身体の芯に感じた。


 衝撃はなかった。どうやらシエルの烽戈ふか術が守ってくれたらしい。


 光が収まって視界が戻る。広がった景色に、腕の中でセツナが息を呑んだ。久遠もまた、そのあまりの光景に言葉を失っていた。


 辺り一面、更地と化していた。建物も消失してしまっている。


「おい……シエル、どういうことだ!?」

「安心しろ、他の探求者シーカーどもは巻き込まれていない。すでに勧告して遠ざけてある」


 その一言に安心していいのか分からない。つまりシエルは、この事態をずっと予期していたということだった。


 平坦と化した大地で、自分たちとは別に唯一動くものが見えた。

 脱力したように佇み、今にも暴発しそうな烽戈ふかを漂わせている。


 精気のない翡翠ヤーデの瞳がこちらを、見た。


黒かった髪は真っ白になっている。自我を失ったことで、髪を染めていた烽戈ふか術が解けたようだ。


「ウィズが、呪授者……?」


 ——セツナのつぶやきが、現状をを物語っていた。

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