30.強敵。

「ギィアァァァアア——!!」


 機械獣ビスキウスが耳をつんざかんばかりの雄叫びを上げたかと思うと、ちぎった腕の断面に真っ黒な円環が浮かんだ。見たこともない式列の烽戈ふか印で構築されている。


 久遠は全身を危険信号が走るのを直感した。


「シエル——!」

「ちッ! いったんさがれ!」


 さすがのシエルも焦りを浮かべている。


 黒い円環の下で、傷口がにわかに盛り上がった。

 かと思うと、はち切れんばかりの勢いで無数の金属縄が形成され、それが互いに絡みついて元の腕の形を模していく。身体の形状を変化させる機械獣ビスキウスはこれまでもいたが、欠損箇所を復元するのを目にするのは初めてだった。


 すっかり元通りになった腕の先で、漆黒の掌が天を向いた。そこへまた黒色の烽戈ふか印が浮遊し始め、それが集束していく。綺麗な球体とはほど遠い、ゴポゴポと音を上げて波打つ塊が生まれている。


 あれはヤバい。全身がそう感じた。


「シエル! あそこへ俺を飛ばせ!!」


 久遠が叫んだ瞬間には周囲に翡翠ヤーデ烽戈ふか印が舞っていた。無秩序に見えて、実際は精緻に編み上げているシエルの烽戈ふか術だ。


 一瞬で暗転した視界を取り戻すと、久遠は機械獣ビスキウスの掌の上にいた。


 眼前にある黒い塊が放つ禍々しい烽戈ふかに戦慄したが、身が強ばることはなかった。

 居合い一閃。塊の核と思われる部分を斬った。質量を持たぬはずのそれはひどく固く、刀身にまとわりついてくるような嫌な感触があった。


 それでも何とか切れた。黒色の烽戈ふかが霧散していくなか、また機械獣ビスキウスが怒り叫んだ。


 上空に影が差した。見上げると、強靱な五指が閉じられようとしている。

 久遠を握りつぶそうとしているのだ。


 人差し指と思われる一本に狙いを定める。逡巡無く駆けだし、今まで以上の烽戈ふかと集中力を伴って、指の根元へ斬りつける。


 ——斬り損ねれば、死ぬ。


 ひりつくような感覚に恐怖したが、恐慌をきたすことはなかった。

 むしろ、戦場で怖いと思えたことが久々で、それを喜ぶべきと直感していた。


 はたして、斬れた。


 すぐさま、差し込んだ外の光へ向かって飛び込んだ。


 こちらを見上げるウィズとセツナの顔が見えた。

 久遠の無事を認めて心底安堵した様子だ。


 空中で体勢を整え、着地しながら敵の出方に注意を払い続ける。


 シエルが間断なく攻撃を与えつづけていた。そのおかげか、今は烽戈ふか術を扱う様子はなかった。


〈使ってきたな。烽戈ふか術〉


 なおも戦闘中のシエルから通信があった。


〈あれは発動させたらマズいぞ。どうする隊長殿?〉

〈傷も復元できるんじゃ、一撃で仕留めるほかなない〉

〈だろうな。そうなると、お前かウィズの烽戈ふか術だ〉

〈オレの方が確実だ。だが発動までに時間がかかる。お前ら三人でなんとか凌げ〉


 久遠が返事をするまでもなく、シエルが戦線離脱する。


「五分だ。絶対に術を発動させるな」


 隣に着地したシエルはさっそく術を編み始めている。


「簡単に言ってくれる……」


 機械獣ビスキウスに時間を与えるわけにはいかず、入れ替わる形で久遠が攻撃を仕掛けた。その周囲をセツナの羽根が追随している。


〈居合い斬りするときは言って。刀の進行方向へ重力かけてみる〉

〈わかった。だが機動力の補助を第一に頼む。俺たちで倒しきれなくてもシエルの一撃に繋げられればそれでいい〉

〈了解!〉


 呼応するようにますます身が軽くなるのを感じた。速度を上げて漆黒の身体へ一太刀浴びせて、すぐさま離脱する。それを繰り返した。


 機械獣ビスキウスはうっとうしそうに振り払おうとするが、久遠はそのことごとくを紙一重で躱している。


 時折出現する烽戈ふか印も合わせて斬り、烽戈ふか術を発動させないよう留意せねばならないのが厄介だった。


〈ウィズ、俺を何回飛ばせる? 無駄に巨大な相手だ。烽戈ふか印の出現位置によっては、排除が間に合わないかもしれない〉

〈距離とタイミングによりますが、最速で発動させたとして二度が限界と思います〉

〈よし。俺が合図したら頼むぞ〉

〈了解です〉


 深く踏み込みすぎず、それでいて余裕を与えない境界線ぎりぎりでひたすらに綱渡りを続けた。

 一瞬の油断も許されない緊張感の中、さすがの久遠にも疲れの色が見え始める。セツナやウィズとの連携が僅かに崩れれば、それだけで一気に崩れる。


 やがてウィズの転移術も上限数使ってしまい、いよいよ凌ぐのが難しくなってきたころ、

〈できたぞ。さがれクオン〉

 シエルの合図があって、久遠はすぐさま敵の攻撃範囲から逃れた。


〈もっとだ。巻き込まれたらひとたまりもない〉


 言われるままにシエルいるところまで退いた。


 見ると、シエルの目の前に異常なまでの烽戈ふかを圧縮した翡翠の球体が浮いていた。両腕で抱ける程度の大きさで、球体の周りを二本の帯が円の軌道を描いていた。


 シエルが指先を一振りすると、目で追えぬほどの速さで流れる烽戈ふか印で成したその球体が、機械獣ビスキウスの巨体に向けて放たれた。


 頭上で静止した翡翠の球体を、機械獣ビスキウスの紅い目が無感情に見上げる。


 にわかに球体が膨れあがって、半透明の幕が機械獣ビスキウスの巨体を包んだ。

 かと思うと、前触れもなく機械獣ビスキウスの片足が鋭利に切り取られていた。


 体勢を崩して倒れようとする身体で、今度はその腹のあたりがすっぱりと切り裂かれる。それが連鎖するように漆黒の身体が次々と切断されていく。


 みるみるうちに翡翠の膜の中は荒れ狂う刃の嵐と化した。腕が飛び、さらにその腕が、中空で指先まで細切れになっていく。それが全身に及んだ。


「風の斬撃を乱反射する術だ」


 あまりの規模と威力に魅入ってしまう久遠に、シエルが言った。誇るでもなく、何でもないことのように言ってのけたものだ。


「……お前が敵でなくて良かったよ」

「ふん。お前らもこれくらいできるようになれ。一人でとは言わん。隊で強くなればいい」


 そんな諭すようなことをシエルが口にした。


 その後はただ黙って術が収束するのを待った。いつもなら不測の事態に備えて次の手を用意する久遠だが、さすがにこんな光景を前にしてはそんな気もおきない。


「終わりだな。次に行くぞ。雑魚どもの数を減らすか、朱桐隊が手こずっているようならそっちの助太刀だ」


 刃の嵐がやみ、後には細切れになった金属縄の残骸だけが散らばっている。それに目もくれず立ち去ろうとするシエルに呆れつつ、久遠も後に続いた。


「嬢ちゃんとウィズは、まだ戦えるか? 烽戈ふか切れが近いなら安全地帯で待機か、鎮圧した区域でなら怪我人を診ていても構わん」 

「おれは行きますよ。烽戈ふかは残りわずかですが、まだ大丈夫です」


 転移の術を使ったウィズは汗びっしょりで息も荒いが、まだまだやる気十分といった感じだ。


 シエルはじっとウィズを観察し、少し間を置いから了承するように頷いた。


「私もまだまだ大丈夫です。というか私はほとんど何もしていませんし……。戦況は予想以上に早いし、優勢です。怪我人は医療部隊が診てくれるはずです」


 殊勝にもそんなことを言うセツナを、意外とも納得とも思える不思議な感情で久遠は見つめた。機会があれば医療隊として振る舞いたいと思っているはずのセツナなのだ。


 久遠の視線に気付いたセツナが不思議そうな顔になった。


「どうしたの、久遠くん?」

「いや……。あんたも成長したんだなと思ってな」

「ふふ、何よそれ」


 戦場にいるとは思えぬ柔らかな雰囲気になって、久遠は努めて気を引き締めなければならなかった。


 そうして四人が移動しようとしたとき、異変が起きた。


 最初に気付いたのは久遠だ。肌を刺すような嫌な予感にふり返ると、粉々に散らばった機械獣ビスキウスの破片が次々と浮遊し、あちこちで集まって塊になっていく光景に出くわした。


「再生、している……?」


 久遠の呟きで事態に気付いたシエルが瞠目し、舌打ちした。ウィズとセツナは言葉も発せず呆気にとられている。


「全員構えろ。さて、どうするか……」

「お前の烽戈ふか術で空間ごと滅せないのか?」

「範囲が広すぎて厳しいな。おそらく一度ですべて片付けなければ再生されるだろう」


 シエルと久遠が揃って全身に烽戈ふかを流しながら次の策を練っているところへ、さらなる異変があった。


 場所は目の前ではない、はるか遠くだ。


 天を衝く炎の柱だった。建物の屋根越しに見えたそれは、圧倒的な烽戈ふかを孕んだ熱風をここまで運んでくる。


 久遠はその烽戈ふかに、ひどく懐かしさを感じた。長い間離れていたわけではないのに、自分がずいぶんと遠くに来てしまったような気持ちになっている。


(——姉さん)


 間違うはずのない、姉の千瀬の烽戈ふかだった。

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