28.とある穏やかな日。

 †


「何かありましたか?」


 いつぞやも同じようなことを聞かれたなと思いながら、久遠は声の主をまじまじと見た。


 ウィズはいつもの外套を纏っていない。

 どういった心境の変化か、本人いわくリハビリとのことで、セツナが見繕ってくれた服を着ていた。


 久遠もまた、セツナが用意してくれた服を着用している。


「お前もシエルも、けっこう人を見てるよな」

「あの人にも言われたのですか? なら、それはもうクオンさんが分かりやすい性格をしているだけだと思いますよ」


 あんまりな物言いではあるが、そんなことを言われたのは初めてで新鮮な気持ちになった。


 シエルにも以前にセツナとの距離感が変わったことを指摘されているし、親子そろって因果なものだと、どこか他人事のように思っている。


「俺には姉がいる」

「アカギリ隊の隊長さんですね。うわさはかねがね聞いています。そのお姉さんと?」

「まあな。問題と言うほどでもないが、何というか……俺が勝手に拗ねてるだけなんだろうな」

「そうですか。まあ色々ありますよね」


 そんな一言で片付けてしまい、行き交う人々を見つめる少年は、大人びてはいてもやはりまだ幼く見えた。


 家具店や雑貨店などが立ち並ぶヒト族界の街の通りには、ヒト族ヒューマ以外にも様々な種族が行き交っている。


 その一人一人に人生があって、これまで生きてきて、これからも生きていくのだ。自分もまたその一部分なのだと思うと、何だか不思議な感覚になった。


 そんな見知らぬ人の群れの中に、見知った色を認めた。

 綺麗な琥珀色アンバーの髪は人混みに紛れてもやけに際だって見える。

 普段は学園や医者の制服を着ていることが多いが、存外おしゃれ好きらしく、ここぞとばかりに着飾ったセツナは、当人の器量と相まって人目を惹いていた。


「おまたせ。じゃあ、行こっか!」


 お気に入りなのだという店の珈琲を久遠とウィズに手渡して元気よく言う。


「にしても久遠くんもウィズも容姿がいいから、気合い入れて服を選んだかいがあったわね。注目の的になってるよ」


 三人並んで歩いていると、確かにちらちらと視線を感じるが、久遠としては目立っているのは当のセツナだと思って呆れるばかりだ。


 実際は久遠とウィズの見目もなかなかで、人目を集める要因だったのだが、当人たちは鬼族オウガ旅人族ノマドが珍しいのだろうくらいにしか思っていない。


「しかし、服装に興味を持つ翼族フィングも珍しいんじゃないか?」


 翼族フィングに対する久遠の印象は、飾らぬことを好む一族っといった具合だ。

 清廉を尊び、自分自身の思想や能力、容姿を磨くことは怠らない一方で、服装に関してはひどく簡素なものを好むように思われた。


 セツナの嗜好も決して派手ではなく、むしろ翼族フィングの好む清廉さの延長にあるように見えるが、それにしても一族の特徴から離れて見えた。


「私はこっちに来てもう長いからね。ヒト族ヒューマの文化はいろいろな種族のが混じっていて興味深いわ。……ただ、アクセサリーだけはまだ気が引けるのよね。小さい頃からの刷り込みかしら、憧れはあるけど身につける勇気は出ないかな」


 通信手段として主流になっている耳飾りピアスすら拒む翼族フィングらしい考え方だった。久遠にしてみれば服は良くて装飾品は駄目だというセツナの感性が今ひとつ理解できない。


「セツナさんが装飾品を身に着けたらすごく似合うとおれは思いますよ」

「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。そうね、いつかは挑戦してみたいところよね」


 本心しか口にしないウィズに言われて満更でもない様子のセツナ。

 久遠も絶対に口にはしないもののウィズの意見には同意だった。


 当初は、兼ねてから約束していた久遠の部屋の家具や調度品を見繕う目的でやってきたのだが、いつのまにか単純に遊びに繰り出してきたような雰囲気になっていた。最近は三人での鍛錬にずっと入れ込んでいたから、丁度良い息抜きになっている。


 姉に言われたことを考えないよう、いつにも増して鍛錬に打ち込んでいた久遠もようやくといった感じで、現実と向き合うことができそうな気分になっていた。おそらく、セツナもそういった気遣いでウィズと一緒に誘ってくれたはずで、内心ではひどく感謝しているのだった。


「おれはヒト族界エル・ヒューマが好きです」


 ウィズが唐突にそんなことを言った。


 はっとなって久遠とセツナがウィズを見た。


第八界エイティスではこんなふうに穏やかに過ごしたことはなかったし、何よりすべきことがありませんでした。探求者シーカーをまっとうするクオンさんも、医療隊を志すセツナさんも、おれにとっては憧れだ」


 そう言ったウィズの口元が柔らかに弧を描いて、これには久遠はもちろんセツナも驚いたようだった。


「おれの白い髪は、旅人族界エル・ノマドでは不吉の象徴らしいんですよね」


 続けてそんなことを言った。

 探求者シーカーとして訓練を積み、やりがいのある日々を送る中で訪れた穏やかな時間に、どうやら気分が高揚しているらしい。


「おれの母は未来視の烽戈ふか術を扱えたそうです。生まれる子供が迫害される未来を視て、父と共に第八界エイティスに逃れたと聞いています。……なぜよりによって第八界エイティスだったのかは定かではありません。父の真意も未だに分かりませんが、ここに連れてきてくれたことには感謝しなければいけませんね。おれはこれから、ここで色んなものを見たいし、クオンさんやセツナさんのようになりたいです」


 ウィズの口ぶりは晴れやかだが、憧れを抱かれた久遠の方は何だか申し訳ないような気持ちになっている。

 セツナはともかくとして、どう考えても自分はウィズが言うような人間ではなかった。


 しかし真っ先にこれに同調したのはセツナで、

「ここでは生まれも育ちも関係ないわ。私たちは、なりたい自分になりましょう」

 意気揚々とそんなことを口にしている。


 未だ暗い感情が胸中に渦巻いている久遠だが、セツナのこの言葉がひと筋の光になってくれたら、もしかしたら自分も変わることができるのではと思わされていた。

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