25.久遠の真実。

 †


「嬢ちゃんと何かあったのか?」


 ウィズとセツナが模擬戦を行う姿を眺めながら、シエルが尋ねた。


 学園に設けられた訓練室の一室にいた。

 だだっ広いだけの殺風景な部屋だが、その頑丈さは折り紙付きだ。現に先ほどまでは久遠とシエルが実戦形式の訓練を行っていた。

 救命領域がないから互いに力を抑えているとはいえ、二人の体術や烽戈ふか術を受けても、壁や床に大きな損傷は見られない。


「なんのことだ?」


 シエルに対して久遠は探りを入れる返答をした。

 世間話をするような気楽さで応えにくいことを聞いてくるのだからたまったものじゃなかった。


 隊員になることを了承し、一応の師弟関係になったとはいえ、まだこの男を全面的に信頼するわけにはいかなかった。何せ目的が曖昧すぎる。


 アハトへの嫌がらせ。そしてウィズを育てるためと本人は言うが、どうしても久遠にはそれだけとは思えないでいる。


「そう警戒すんなよ。お前らの距離感がちぐはぐだから聞いてんだよ。隊長としては、連携に支障をきたしてもらっては困るんだ」


 傍若無人に振る舞ったと思えば、やはりこういったところで妙に勘が働く。深く関わるほど、出会ったときの印象とは変わっていく男だった。


「お前が呪授者じゃないとバレた、あるいはバラしたか?」


 さすがにこれには動揺する他なかった。


「……大衆の面前で俺が呪授者だと公言してみせたのはお前だろう」

「公言も何も、探求者シーカーに近しい奴ならほとんど知ってる噂じゃねぇか。こっちに来て日の浅い俺の耳にも届くくらいだからな。あの時は、あえてそのまま口にしただけだ。嬢ちゃんが知らないふうだったからな。フェアだったろ?」

「その噂が間違っていると?」

「間違いなくなくな」


 不敵にも断定してみせるシエルは、鎌をかけているふうではなかった。ならばしらばくれても仕方ない。どうせなら情報を引き出してみるべきだ。


「……どうして分かった?」

「おいおい、もう認めちまうのかよ。張り合いねぇな。ま、理由はいくつかあるが、一番は朱桐千瀬の存在だな」

「姉さん? 何でそこで姉さんが出てくる」


 あまりに意想外の答えに久遠は顔をしかめた。


「お前が心臓に疾患抱えてて、しかも呪授者だなんて噂は悪評にしかならねぇだろ。それをあの女が放っておくってことは、そこに何か意図があるってこった」

「まるで姉さんを知ってるような物言いだな」

「よく知ってるさ。隊別ランク一位朱桐隊の隊長、朱桐千瀬。個人ランクでも二位と来た。一位に居座ってんのが我らが旅人族ノマドの大将様であることを差っ引けば、あの女が実質一位だろう」


 確かに個人ランク一位の旅人族ノマドの長老は、ランク制度が始まって以来一度もその座を譲っていない。そのくせ謎が多く、まともに姿を見た者も限られるというから、ある種の殿堂入りのような扱いになっていた。


 シエルが懐かしむように中空を見た。やけに老練として見えて様になっている。外見の年齢こそ久遠より少し上に見える程度だが、最も長い寿命を持つ旅人族ノマドだ。久遠には想像も付かない年月を経てきたのかもしれない。


「オレが探求者シーカーだったころ、生意気にも張り合ってきたのはあの女だけだったよ」


 そう付け足された情報に、今度こそ驚きを隠せなかった。

 シエルが探求者シーカーだったことは察していた。というか、放浪者ロトスの大半は元探求者シーカーなのだ。


 それよりも姉とこの男が互いにしのぎを削った旧知だということが初耳だった。


「あの女は個でも強いが、それ以上に他者を使うのが巧い。朱桐隊の活躍を見れば明白だ。どうせ、次期朱桐家当主としても有能だろう?」


 これには久遠も素直に頷く。ひねくれ者のシエルが手放しで姉を褒めていることも満更ではなかった。


「でもな、あの女にも弱点がある」


 とっておきの情報とばかりにシエルが声をひそめるから、久遠もつられて顔を近づけた。あの姉に弱点など思いつきもしなかった。


 と、シエルがおもむろに久遠の額を指先でつついた。


「お前だ」

「は?」

「だから、朱桐千瀬の弱点。お前だよ、クオン。あの女、お前のためだったら手段は選ばないぜ? そこに付け入る隙がある」


 これには久遠も呆れてしまった。


「馬鹿言うな。確かに大事に思ってくれている自覚はあるが、それでも姉さんは誰よりも朱桐の次期当主。隊や探求者シーカーとしての務め、延いては朱桐家のことが第一だ」

「ほんとうにそう言い切れるか?」

「くどい。現に前回の戦場でも、妹と共に最前線に放り出されたんだぞ。妹は瀕死の重傷を負い、俺も危なかった。もちろん俺も妹も、微塵も恨んじゃいないが、あの人は俺たちを甘やかすことはしない」


 確固たる自信の元に言ったのだが、はたしてシエルはますます意地の悪い笑みを浮かべるばかりだ。


「やっぱ、まだまだ小僧だな。あの女の甘やかし方が、世間一般の姉や母と同じと思うなよ」

「どういうことだ」

鬼族オウガ旅人族ノマドも長寿だ。老い方も遅く、最も戦闘に適した若い姿で長く過ごすことになる。お前、あの女が今いくつか知っているか?」

「千と、飛んで十二だな。ヒト族ヒューマ換算で二十三歳」

「くく、いちいち鬼族オウガの年齢を数えてるとは、お前も大概お姉ちゃん大好きだな。まあ、家族想いなのは良いことだ。で、オレはそれ以上に生きてるわけだが、長年生きていると、その意味を考え始める。戦場に立つヤツや、頭の回るヤツは特にだ」

「そんなものは——」


 自分だってそうだと言いかけて、口をつぐんだ。久遠のそれは長年を経て見いだしたものではなく、生まれ持ったものだった。

 それがシエルや姉の年輪に届くとは思えなかった。


「お前が戦場で死にたがってるのは戦ってみて分かった。知ったふうなことを言いたくはないが、お前の出自を考えれば動機も想像はつく。そんで、あの女ならそれを汲む。変なところで不器用なヤツだからな。となれば、お前が忌み嫌われる呪授者だなんていう不名誉な噂を放置するわけがないのさ。お前が迎えるべき、名誉ある死を整えてくれるだろうぜ」

「主観に過ぎる憶測だな。なら、俺が呪授者だという噂はなぜ必要なんだ?」


 口にしながら、もうこの男にはばれてしまっているだろうという確信が湧いていた。しかし不思議と嫌悪はなかった。


「心臓の疾患の方は事実なんだろう。心臓は烽戈ふかを奔らせる根本だからな。そこをいじりたくないとお前は考えたんじゃねぇか? で、姉が心臓の治療を命じる前に、お前は手を打った。手術すれば朱桐隊にいられなくなる可能性があるからな。協力者……まあ大方、現当主の親父殿だろう。いっしょに画策して、お前が呪授者だということにした。呪授者なら、暴走の危険がある手術はできないし、心臓の病もいっしょに噂に流すことで暴走した瞬間、死に至るということにできる。晴れてお前は今のままの力で最期まで戦場に立てるって算段だ」


 どうだとばかりにシエルが久遠を見た。


「……まるで、見てきたようだ」


 もはや観念するしかない。


 シエルの言うとおりだった。しかしまさか、姉がすべてを知っていたとは思わなかった。今になって思えば、自分が呪授者だと告げたとき、千瀬は何も言わなかったことに気づく。あの時には既に久遠の意図を悟っていて、あえて黙っていてくれたのかもしれない。


 途端にうすら寒い思いが湧いた。

 姉が自分の死を許容していたという事実が、どうしようもなく寂しいことに感じられたのだ。自分で決めておいて勝手に過ぎたし、姉が自分を想って判断したことは分かる。

 それでも、ぽっかりと心に穴が空いたような虚無感は拭えない。


 自然とセツナの方へ意識が向いた。


「嬢ちゃんは、それを良しとしないだろうな」


 代弁するようにシエルは言う。


 悔しいがその通りだった。

 寂しさを抱えたままで、それでも丸ごと包んでくれるような安心感をセツナに覚えている自分に久遠は戸惑った。

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