24.近くて遠い存在。
ある日突然、朱桐家の当主である久遠の父が、
後に久遠を生むことになる女性に関して父は何も明言しなかったが、他の側室と同様に扱い、母をやっかむ一族の者から守るように常に側に置いたという。
母に味方は少なかったが、少数ながら最大の味方を得た。
父の正室——すなわち千瀬と、当時は生まれていないが那由の母親となる女性が、ひどく気心知れたというのだ。
正室が認める以上、もう一人の側室や、他の一族の者も表だって母を忌避することはできないのが暗黙の了解となっていた。
そうして絆を深めていく母たちを眺めていた千瀬もまた、久遠の母とは相性が良かったようだ。
「姉さんいわく、俺の母親とは親友だったらしい」
「何だか不思議な感じね」
大人しく目元を隠されたままでいるセツナが言うように、腹違いとはいえ姉が、自分の母と親友だという構図は可笑しく感じる。
しかし寿命も老い方も異なる種族同士が親交を得れば、こういったことが起こるのは必然だった。
そんな母が久遠を身籠もった。
そういった事態は想像するに難くなかったはずだが、これに朱桐の一族に困惑が広がった。
血筋を重んじる一族であったし、一方で実力こそすべてとする向きもある鬼族にとって、
大半の者が、子供を堕ろすことを長である父に進言したらしい。
これに猛烈に反発したのが他ならぬ正室と、その娘の千瀬だった。
朱桐の血を引いていることに間違いはないし、未だ生まれてもいない赤子の力量を断定するなど馬鹿げている。
他の者からしたら到底納得できる理屈ではなかったが、当時から人心掌握に長けていた千瀬が奔走し、赤子を産ませることを了承させてしまった。
「でも、問題はそれだけじゃなかった」
「……お母様の身体のことね」
「あぁ。
母の出産には
医師は、赤子を産めば母体の命は保証できないとはっきり伝えた。
「母は即答したらしい」
「なんて?」
「この子を産めるのなら、死んで本望です……だとさ」
久遠にとっては顔も知らぬ母に対し、その愛情を享受できる話であると同時に、一人混血として残される赤子の未来を心配しはしなかったのかと思わされたものだ。
しかしその点に関して母は事前に手を打っていた。それも、これ以上なく心強い対策と言えた。
「自分に何かあったら、親代わりになってくれと姉さんに頼んだらしい。姉さんは二つ返事で引き受けた」
「正室さんじゃなくて、千瀬さんなのね……」
「正室は聡明だが、とても穏やかな方だからな。俺をやっかむ者を押さえ込むには少々心許なかったのだろう。その点、姉さんは抜かりなかったよ」
母が亡くなった後、千瀬は久遠を実の子供のように扱った。
久遠が赤子の頃は一切の面倒を自分で見て、侍女たちに抱かせることすらしなかったらしい。自分が鍛錬や戦場に出る際には、母である正室に預け、目を離さないようにと何度も頼み込む始末だった。
「千瀬さんって案外過保護なのね」
どこか面白がる響きがあった。威厳に溢れた千瀬しか知らないセツナにとって、子育てに奔走する千瀬の姿は想像できないのだろう。
「ところがそうでもなかった」
「え?」
久遠が苦笑しながら返し、セツナが不思議そうにした。
久遠が物心ついた頃から、千瀬は混血の子供を今後どう扱うか、その限界を試すように数々の困難を与えるようになった。
任務の合間を縫って自ら刀術を教え、久遠がそれなりに頑丈で、運動能力にも長けると判断するや、それまでの過保護が嘘だったように手を放した。
久遠を疎んじる一族の者に稽古するよう命じたり、分家への遣いに頻繁に行かせたりと、久遠が稽古で痛めつけられようが、分家で嫌がらせを受けようが千瀬は傍観に努め、ついには
他の鬼族の子供でもここまでしごかれることはまずない。
それでも、愚痴一つ零さず己を鍛え続ける姿に共感する者も現れてくれたことが久遠には嬉しかったし、何よりどこまでも自分を見てくれる姉の存在が有難くて仕方なかった。
「本当は俺には、生まれたときから居場所なんてなかったんだ」
目隠ししていた手をどけると、
そのおかげで、何でもないことのようにそれを告げられた。
「母と姉さんが俺に居場所をくれた。混血の俺でも朱桐の家にいられるようにしてくれたんだよ。
だからこの身がどうなろうと戦場で戦い抜く。それこそ、かつて母が口にしたように、
「死んで本望だ」
その言葉が穏やかに零れるにまかせた。
これがセツナの想いと対を成すことは分かっている。
だからこそ言っておかねばならなかった。
はたしてセツナが口にしたのは反論の言葉でも、慰めの言葉でもなかった。
「——もしかして久遠くんは、呪授者ではないの?」
理屈ではない。
どこまでも久遠と共感することで導き出したのだという響きがあった。
久遠は微笑まずにはいられなかった。
ずっと独りで抱え込んできたものを、セツナが痛いほどに理解してくれたことが泣きそうになるくらいに嬉しかった。
決して交わることのない志を頼りに生きる二人が、そこにいた。
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