23.心の傷。

 †


 穏やかな寝息をたてるセツナをじっと見守った。


 本当はベッドに寝かせてやりたかったが、治療院のベッドは患者たちでいっぱいだ。

 セツナを師匠の執務室へ運び、長椅子ソファに寝せたあと、何もすることがなくなった久遠は向かいの椅子に座って、セツナが目覚めるのをただ待った。


 セツナの師匠は仕事があると言って出て行ってしまったから、部屋には久遠とセツナの二人だけだ。セツナの穏やかな寝息だけが聞こえている。


 セツナの普通でない様子が気になり、師匠に尋ねてみたが、本人から聞きなさいと突っぱねられてしまっている。


「……聞けと言われてもな」


 普段あんなにも朗らかなセツナが取り乱す姿からは、ただならぬ事情があると察せられるし、そもそも自分のような者が彼女の根底に関わる部分に踏み入っていいか判断が付かなかった。


 ——兄さん。


 そう呟いたセツナの幼子のような顔が焼き付いて離れなかった。

 あれこれと考えながら、眠り続けるセツナを眺めた。


 やがて、穏やかに眠っていたセツナが苦悶の声を漏らした。

 表情を歪め、ひどく苦しんでいる様子に、久遠はすぐさま駆け寄る。


「おい、起きろ。大丈夫か?」


 声を荒げそうになるのを抑え、できる限り優しくセツナの肩を揺すった。


 セツナが目を覚ます。長いまつげが持ち上がり、まだ覚醒しきっていない琥珀色アンバーの瞳が久遠の姿を映した。


「久遠くん……?」


 セツナは不思議そうに周囲を見渡して、最後にもう一度久遠を見てその名を呼んだ。


「起きたか……。具合はどうだ?」

「そっか私、気を失って——」


 どうやら記憶が蘇ってきたらしい。はっとなって身を起こして、声を上げた。


「患者さんたちは!?」

「さしあたっての治療は終わった。今、後処理している。あんたは大人しくしていろと師匠殿から言付かっている」


 放っておくと飛び出していってしまいそうだったから釘を刺すと、セツナは一気に脱力したようにへたり込んだ。


「呪授者の翼族フィング——あの患者さんは?」

「亡くなったよ」

「……そっか。他の患者さんを見殺しにしちゃったな」


 自嘲するようにセツナが言った。感情を殺し、久遠に胸中を見せないようにしているのがばればれだった。


「戦場では、結果論だけですべてを語ることはできない。あの場でも同じだ。あんたが、あの翼族フィングを救う未来もあったかもしれない」


 セツナは決して愚鈍ではない。むしろ理知的な彼女に、久遠の言葉が慰めにならないことは分かっていたが、それでも言わずにいられなかった。


「久遠くんは止めてくれたのにね」

「俺の判断が正しいとは限らないさ。それにあの場では、医者であるあんたの方が見識は深かった。こういうこともある」

「……ごめんなさい」


 そう言って項垂れてしまったセツナを前に、久遠は大きく溜息を吐いた。やはり薄っぺらな慰めの言葉が、今の彼女の心を癒やすことはなさそうだった。


「……誰かに責めて欲しいというならそうしてやる。あのとき、どう考えてもあんたは冷静じゃなかった。現場で自己制御できないなら最初から退くべきだった。それが嫌なら、冷静な判断を下せる者に従って、自分を歯車と見做してただ働くべきだった。違うか?」

「……うん」


 セツナがこくりと頷いてみせる。


「あんたは俺を隊長に据えたいと言ったが、いくら俺が指示を出しところで、あんた自身が従えないなら何の意味もない。なにがあったか知らんが、まずは自分の問題を解決する必要がある」


 ごしごしと目をこすったセツナが顔を上げて、泣き腫らした目で久遠を見て微笑んだ。


「そうよね。ごめんなさい……ちゃんと自分で、考えてみる……から」


 言いながらぼろぼろと泣き出してしまった。涙を見せまいとまた顔を伏せてしまう。迷子の女の子が気丈に振る舞っているようだった。


(こういうのは俺に向いてないんだがな)


 あの姉ならどうするだろうと考えながら、がしがしと頭をかいた久遠は立ち上がって、セツナの隣に腰掛けた。


 驚いたセツナが顔を上げるのも構わず肩を抱いて引き寄せた。先ほどまで生死の現場にいたからだろう。その温かく柔らかな感触に、彼女が生きているのだということをひどく実感させられた。


「顔を見られたくないなら見ない。何があったか話せ。どうせ俺は過ぎ去っていくだけの存在だ。誰にも言わない。吐き出せ」


 あまりにぶっきらぼうな物言いに、自分はここまで唐変木だったかと思い知らされたが、強ばっていたセツナの身から緊張が解け、ことんと肩に頭を乗せられた。

「貴方は通り過ぎていくんじゃないわ。私と一緒に歩くの」


 涙ぐんだ声ではあったが、少しはいつもの調子を取り戻したようだ。


「……私には、兄がいたの」

 そうして、ぽつりぽつりと話し始めた。


 兄や他の探求者シーカー、その家族たちとヒト族界へ移住したこと。兄が誇らしく、その兄のために医者を志したこと。そんな兄が呪授者で、兄を救えなかったどころか、兄に執着するあまり仲間たちを見殺しにしてしまったこと。


 そして、塔の翼族フィングたちが故郷へ帰ってしまったこと。家族を失った彼らはセツナに何も言わなかったが、その瞳には兄やセツナへの恨みの念があったこと。


 ヒト族界に独り残り、医療部隊の一員として戦場で死にゆく探求者シーカーに触れる日々の中、彼らを救う医療隊を結成するという願いを見いだしたこと。


 そしてその願いが決して高尚なものではなく、単なる贖罪と知りながらも奔走しつづけてきたこと。


「でも私は、あの時と何も変わっていなかった」


 セツナは最後に弱々しく呟いた。


 聞けば聞くほど、先ほどの状況はセツナのトラウマと似通っていた。セツナが我を失うのも無理はないと久遠は思ったが、それを口にはしなかった。ただひたすらにセツナの独白を聞くに努めた。


 ふいに肩の重みがなくなったかと思うと、セツナがごろりと倒れ込んできた。


「おい」


 久遠が眉をひそめるのも気にせず、セツナはクオンの膝の上に頭を乗せ、

「ありがとう。話したら楽になった」

 にっこり笑って見せる。


「動機はどうあれ、医療隊の存在は多くの探求者シーカーを救うわ。そしてそれは、種族を問わず多くの人々を助けることに繋がる。それだけを信じて、私は進もうと思う」


 健気にそう言い切っている。


「そうか」


 久遠はただ肯定してやり、これは無意識だったのだが、セツナの頭を撫でてやっていた。


 ふわふわとした髪の感触があった。

 膝の上から見上げるセツナの目が、ぱちぱちと瞬きしている。かと思うと、今度はその端整な顔が困ったふうになった。


「どうした?」

「兄さんが、こんなふうによく撫でてくれたなぁって思って」

「それは悪かった」


 自らの行動に気付いた久遠が手を離すと、セツナは「あ……」と名残惜しそうな声を上げた。


「なんでそこで謝るのかな?」

「なんでって、兄貴との大事な思い出だろう。俺が汚してしまうのはよくない」

「……そういう捉え方をしますか、久遠くんは」


 呆れ顔のセツナが仕返しとばかりに、久遠の耳に手を伸ばした。術式の刻まれた耳飾りピアスに触れて、物憂げな表情になる。


「そうね。あなたは兄さんに似てるわ。性格は違うけど、すごく優しいところとか。自分を省みず戦おうとするとこも……あと、呪授者ってところも」


 自分で口にしておいてまた泣きそうな顔になるセツナ。


「あなたにはあんなふうになって欲しくない。ねぇ、しばらく烽戈ふかを使わないでいてよ。そうすれば呪いが暴走することはないし、心臓への負担も減らせる」

「前にも言ったが、あんたは俺に戦って欲しくてここへ呼んだんだろう。烽戈ふかを使わない俺など何の役にもたたないぞ?」

「私が研究して呪いを解く方法を探すわ。シエルさんとの約束でもあるしね。もちろん貴方の心臓も私が治す」


 堂々と言ってのけたものだ。長年停滞している呪授者の解決策を自ら見つけることに気後れしていない。


「また大きく出たな。しかし仮に呪いが解けたとしてだ。心臓を治した場合、俺の烽戈ふか能力は大幅に落ちる可能性が高い。そうなったときの俺は、並み以下の探求者シーカーかもしれない。ならば今のままの俺を戦力として隊に入れる方が理に適っている。実際のところ、呪いなんていつ発動するのか分からないんだ」


 客観的に損得だけで考えればそうなる。

 実際、老衰で亡くなった探求者シーカーが実は呪授者だったと判明した事例もあったはずだし、いくら心臓に病があるといっても鬼族オウガの混血である久遠なら、よほど荒い烽戈ふかの使い方をしなければしばらくは生きていられるはずだった。


 今セツナが触れている耳飾りピアスはまさにそのためのものだ。


 耳元に添えられていたセツナの手が、今度は久遠の頬をつねった。

 むっとした表情のセツナは思いきり力を込めているらしいが、久遠にはこそばゆい程度の感触しかない。


「どうした?」

「怒るよ?」


 言葉通りお怒りの様子のセツナは、ぐにぐにと頬を引っ張る。


「前に言ったでしょう? 私は貴方を一介の傭兵と見ているわけじゃない。たとえ弱くなったとしても、呪いと病から解放された貴方が欲しいわ」


 その嘘偽りない言葉に、久遠はどう応えるべきか逡巡し、やがて観念してしまった。


「あんたの話だけ聞いてしまっては、筋が通らないよな」

「何の話? ——わっ!?」


 突然目の前が真っ暗になったセツナが小さな悲鳴を上げた。久遠が掌で目隠ししたのだ。


「ど、どうしたの?」

「あんたの泣き顔も見ないでいてやっただろう。ちょっと俺の話も聞いてくれるか?」

「う、うん。それはもちろん、構わないけど」


 一気にしおらしくなるセツナに苦笑しながら、久遠はどこから話したものかと思案して、

「俺の母親がヒト族だという話は前にしたな?」

 自らの出生から語るのが早いと判断した。セツナが小さく頷くのを確認して、話し出す。

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