20.治療院にて。

 †


 セツナが勤務する治療院にいた。


 学園の講義が入っていない久遠が、一日をどう過ごそうかと思案していたところ、烽戈ふか術を用いた医療を見学してみないかとセツナに誘われたのだ。


 セツナとしては久遠を隊長に据えた医療隊のためにも、医療のことも知っておいて欲しいといった思惑なのだろう。

 以前までの久遠ならにべもなく断って、鍛錬や烽戈ふかの勉学に励んでいたところだが、シエルに烽戈ふか術を教わるようになってから、これまで専門外と断定してきた分野からも大いに学べることがあると思うようになっていた。


 セツナの誘いに乗ったのもその延長に過ぎなかった。

 なのに久遠が了承するやセツナは意外そうに目を丸め、すぐさま喜色満面になったもので、久遠はちくりと心が痛んだ。

 未だ、セツナの志す医療隊に入る気など微塵もないのだ。


「私、午後から心臓手術の助手に入るんだけど……久遠くん、見学してみる?」


 院内を案内したり、外来患者の対応をしながら隙を見ては医療烽戈ふか術を解説してくれるセツナだったが、昼食の席で緊張も露わにそんなことを尋ねてきた。どうやら心臓の手術ということで、久遠に気を使っているらしい。


「心臓の烽戈球体スフィアを操作するのか?」

「うん! 合わせて外科的にも処置するけど、主に烽戈球体スフィアでの治療になるわ」


 久遠が興味を示したことが嬉しかったのだろう。セツナはいつもより幼い感じで食いついてきた。


「その患者、種族は?」

剣族ジエンよ。現役の探求者シーカー

「そうか。……剣族ジエン烽戈球体スフィアを見るのはいい経験になるかもしれないな」


 心臓に限らず、全身にある烽戈球体スフィアには生物が生きるための構造が記されている。

 それは当然ながら種族によって異なるが、剣族ジエンの本質は鬼族オウガと似通っていると聞いたことがあった。双方とも和を文化とするという点からしても、起源が同じ、あるいは関係性があるのではと主張する学者もいるようだ。


「見学したいところだが、患者の承諾は取れているのか? というかあんた、そういう情報をペラペラと話してしまっていいのか」


 セツナの仕事が一段落したところで訪れた治療院の食堂は、昼時を外していることもあって人がまばらだ。二人の話が聞こえるほど近くに人がいないとはいえ、そもそも久遠が部外者だった。

 探求者シーカーの情報も漏洩には大概厳しい方だが、医療の現場でもそれは変わらないはずだ。


「それくらい弁えています。久遠くん以外には言わないから大丈夫よ。私、口は固いから。患者さんにはこれから聞いてみるわ」


 なぜか得意げのセツナだが、久遠になら漏らしても大丈夫という判断がそもそも見当違いだった。呆れる久遠をよそにセツナは、片方の掌を内緒話するように口に添え、少し身を乗り出してきた。


「——ここだけの話、その剣族ジエンの患者さん、朱桐隊のファンらしいから久遠くんに会えたら嫌な顔はしないはずよ」


 ついつられて身を乗り出した久遠の耳元で、さらなる個人情報を漏洩させるセツナだった。


「……そういうヤツは大抵、姉さんか那由が目当てだ。それか、俺の従兄弟の隊員が刀術の達人だから、剣族ジエンならそっちかもな」

「ふぅん。そういうものなの? 私は久遠くんの臨機応変な戦い方がすごいと思うし、好きなんだけど」


 セツナの開けっ広げな褒め言葉に、久遠はどう反応したいいのか分からなかった。

 セツナはこういうことを本人を前にしても平気で口にする。

 そしてそれは、ことごとくが彼女の本心から出た嘘偽りないものなのだ。


 人たらしと言えばそうだが、良くも悪くも打算しないから、戦闘以外における隊員の管理や、時には探求者シーカー本部や他の隊とのやり取りも必要になる隊長には、セツナはやはり向いていそうにない。


 鬼族界エル・オウガでの、久遠を巡る千瀬との交渉は結果的に上手くいったが、あれはセツナの言い分が偶然にも千瀬の思惑と合致し、加えて千瀬個人がそういうセツナの態度に好感を抱く気質だったことも大きい。


 今後も同じように上手くいくとは久遠には思えないし、そういう意味でもセツナを見ているのにはハラハラさせられた。


「……まあ、その患者に一応聞いてみてくれ。快諾してくれたら見学させてもらうよ」


 何だか徐々に医療の現場に踏み込んでいくようで油断ならないと思う久遠だが、それ以上に医療系の烽戈ふか術の奥深さに感嘆してもいた。戦闘用のものとはまた違った発想の術が多く、何より繊細さが比ではなかった。

 自分の術に応用できることもあるだろう。それに自分や仲間の応急処置を戦場で行えるようになるのも悪くないことだと思った。


 そこまで考えて、これまたセツナの思考に毒されていると自省する。


「油断も隙もないな……」

「ん? なにか言った?」


 独り言だったのだが、食事を進めていたセツナは律儀に反応する。


 何でもないと久遠が返すと、二人して食事に集中した。お互いに沈黙が気まずいということはなかった。

 セツナは基本的におしゃべりが好きだが、相手が乗り気でないときは自然と自分も口数を減らす。そんなセツナが近くにいることに、久遠も最初は足元が浮き立つような違和感を覚えたものだが、それは嫌な感情ではなかったし、そんな不思議な感覚にも、朱桐の屋敷や、ヒト族界エル・ヒューマの塔で共に過ごす内に慣れてしまっていた。


(……せっかくヒト族界エル・ヒューマまで来たんだ。すべてを糧にしてやる)


 数多の種族が共に過ごす学園での生活も、シエルから学ぶ旅人族の烽戈ふか術も、そしてセツナが傾注する医療烽戈ふか術も。すべて無駄にせず、自分を高める。そして自身の全てを戦場に注ぎ込む。


 それが久遠の生き方であり、鬼族界エル・オウガでもヒト族界エル・ヒューマでもやることは変わらないのだという考えには我ながら少し安心させられた。


 そのためにも今日は剣族ジエン烽戈ふか球体を学ぼうと、まだ見学できると決まったわけでもないのに何だか楽しみになってきた。


「なあ」

「うん?」


 打てば響くような反応がある。それに心地よさを覚えていることに、クオン自身は気づいていない。


剣族ジエン烽戈ふか球体について聞きたいんだが——」


 予備知識なしで見学するのも勿体ないから、ある程度把握しておこうという考えだった。

 久遠の意図を察したセツナが、これまた嬉しげな顔になる。こういうときのセツナは一を聞くと十教えてくれるお節介でもあるのだが、今この場では久遠も望むところだった。


 しかし、その先の会話も、予定していた剣族の手術すらも実現することはなかった。


『院内の医師全員に連絡します……!』


 各部屋に備えられた拡声の烽戈ふか式から、院内放送があった。ひどく慌てているのが窺える。冷静さを取り繕おうとする雰囲気が、事の緊急性を自然と伝播させていた。


『まもなく多くの急患が運び込まれます。手の空いている医師は上長の指示のもと、治療に参加して下さい。繰り返します、手の空いている医師は上長の指示のもと、治療に参加して下さい!』


 ただ事でない様子に、セツナの顔が緊張に引き締まった。


「ごめんなさい、久遠くん。私、行ってくるわ」

「俺も行こう。手伝えることがあるかもしれん」


 久遠の申し出に、セツナが頷く。

 二人して立ち上がり、足早にセツナの上司となる者の元へ向かった。


 院内の廊下はすでに、慌ただしく行き交う医師や関係者たちで溢れかえっていた。無数の声の中からいくつか拾ってみると、大規模な事故が起こったらしいことが窺えた。その怪我人たちがこれからやってくる。


「師匠! 何があったんですか!?」


 セツナは上司の執務室を訪れるや聞いた。この師匠と呼ばれた者こそ、セツナの直属の上司だった。鬼族界エル・オウガからヒト族界エル・ヒューマへやってきたとき、セツナを説教したあの機械族マキナの女性だ。


「待っていましたよ、セツナ。それとあなたは——」

「朱桐久遠だ。ここには偶然居合わせた。俺にもなにか手伝えることはあるだろうか? 力仕事か、単純な怪我の応急処置くらいなら可能だが……」

「……それは助かります。ひどく人手が足りなくなりそうですからね」


 師匠の物言いは穏やかだった。落ち着いているクオンはともかく、やけに焦った様子のセツナを落ち着かせるための態度なのかもしれない。


「規模の大きい事故か何かありましたか?」

「事故……と言えばそうですね」


 久遠が尋ねると、曖昧な返答があった。そして師匠は、補足するように続けた。


「呪授者が暴走しました」


 その一言に久遠もセツナも思わず息を呑んだ。

 ふいに片手が引っ張られるのを感じた。見るとセツナが華奢な指先でぎゅっと久遠の袖を握っている。


 呪授者である久遠の心情を慮っての行動かと思ったが、どうやらそれだけではないようだった。心配無用と告げようと隣のセツナを見やって、久遠は固まった。


 顔が真っ青だった。相変わらず久遠の袖を握ったまま、もう片方の手を握りしめて胸元にやっている。よく見ると、身体も小さく震えているようだ。


「おい、あんた……」

「——セツナ」


 久遠が声をかけようとしたところへ、師匠の声が割って入った。反射的といった感じで、セツナは己を律するよう試みたようだが焼け石に水だった。琥珀色アンバーの視線は迷子のように揺れている。


「セツナ。多くの患者の命がかかっています。奢りも謙遜も捨てて、ただ客観的に判断なさい。——今のあなたは戦えますか?」


 それでセツナの目に決意の色が差した。


「もちろんです……!」


 握っていた久遠の袖を離して、力強く言った。

 未だ様子のおかしいセツナを品定めするように師匠は観察し、やがて頷いて見せた。


「現場では私の指示に従いなさい。行きますよ」


 執務室を出て行くセツナに続こうとした久遠だが、


「朱桐さん」


 押さえた声の師匠に背後から呼び止められてふり返った。


「もしセツナが使い物にならなくなったら、あなたが退かせて下さい」

「は? それはどういう……?」

「いずれわかります。……そうならないことを祈っていますけど」


 話はこれまでとばかりに師匠も出ていってしまうものだから、久遠もそれに倣うほかなかった。

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