18. 運命。戦う為の代償。

 ‡


 久遠が傷を負った瞬間には、肩に刻まれた烽戈ふかの羽根をとっさに解き放っていた。

 舞台上でウィズが割って入るのを目にしながら、セツナは羽根の浮力で観覧席を飛び出している。


 そのまま一直線に舞台へ降り立った。


「何のつもりですか、シエルさん?」

「なんだ嬢ちゃん。えらくご立腹だな」


 怒りも露わにウィズの父——シエルを睨みつけるが、当人はいつもの飄々とした態度を崩さない。


「品定めだよ。嬢ちゃんが惚れ込んだ人材だ。どれほどのものか試してみたくなった」

「……やりすぎです」

「そうは言うが、嬢ちゃんも小僧がオレ相手にどこまでやれるか気になってたんだろ? こんなギリギリまで傍観決め込んでたのがいい証拠だ」


 図星だった。久遠なら、もしかしたらシエルとも対等に戦えるのではないかと思ってしまった。同時に、久遠に価値を見いだした自分の目が確かだったという証拠が欲しかった。


 結果、久遠に怪我を負わせた。

 もちろん、久遠とシエルの戦闘にセツナが割り込む余地など有りはしなかったが、事はそういう問題ではない。

 人としても医者としてあるまじき行為で、数十秒前の自分を思い切り殴りつけてやりたいとすら思った。


「まだやるというなら、私が相手を」


 後悔をおくびにも出さぬよう、堂々と言い放った。


 ウィズも、倣うようにセツナの隣に立つ。

 久遠が背後で抗議の意を唱えたのが聞こえたが無視した。


 久遠が立ち上がろうとする気配を感じて、セツナは久遠のまわりに羽根を散らせた。普段使っている浮力を逆転させて、その圧で久遠の動きを抑止する。


 久遠にとっては抜け出すに造作ない縛りだったろうし、何より傷口を慮っているから大した力は込めていない。


「久遠くん、ごめんなさい」


 むしろその謝罪こそ久遠に重くのしかかったような気がした。

 なぜあんたが謝るのかと困惑する久遠の顔が思い浮かんだ。


「……興を削がれた。ま、今回はこの辺にしておくか」


 しかし一方的に矛先を引っ込めたのはシエルの方だった。


「小僧、一つ確認だ。あの噂は本当か?」


 こちらが本題だとでも言うように、真面目くさった様子でシエルが尋ねた。

 その視線はセツナとウィズを通り越して久遠へまっすぐ向けられている。


「……うわさ? なんのことだ」

「しらばっくれんなよ」


 シエルが、どこか呆れたようになる。


「——お前が呪授者っつう噂だ」


 その内容にセツナは反応せずにいられなかった。


(呪授者……久遠くんが!?)


 久遠には探求者シーカーの間で知れ渡ってしまっている噂があると、以前に千瀬が言っていたことをセツナは思い出す。

 心臓の病以外にあるというもう一つの問題、それが呪授者であることだとしたら。


 にわかに信じたくはないことであったが、


「……それが、どうした」


 久遠が肯定と取れる返答をしたことで、セツナは突然足場が崩れたような目眩に襲われた。


(久遠くんが呪授者……。でもそれって……)


 探求者シーカーに限らず誰もが知っている呪授者という忌み嫌われる存在。

 そして、久遠が抱える心臓の病。その二つがセツナの中で繋がり、思わずふり返って久遠を見た。


 傷ついた久遠の姿が飛び込んできて、混乱の渦の中で涙が滲んだ。


「——面白い」


 シエルの嬉々とした声が空々しく聞こえた。


「決まりだ——朱桐クオン。空木セツナ、そしてウィズもだ。お前ら、オレの隊に入れ!」


 旅人族ノマドの男は、高らかにそれを告げていた。


  ‡


「あんた、俺の心臓を治すと息巻いていたらしいな?」

「……千瀬さんから聞いたの?」

「それとなくだがな」

「一応言っておくけれど、心臓のこと千瀬さんが自発的に話したわけじゃないわよ? 私が勝手に気付いただけ」

「わかっている」


 学園の医務室にいた。


 半ば無理矢理に久遠を連れてきたセツナは肩の傷を縫ってやっている。

 この程度の傷は放っておけば治るだとか、痛み止めなど不要だとか、自身を省みない久遠の態度にいちいち苛立つセツナは、半ば意地になって丁寧に丁寧に烽戈ふかの針を肌に通している。


「……那由ちゃんの肌は針が通りにくかったけれど、貴方はそこまでではないわね」

「混血だからな。純粋な鬼族オウガより軟弱だ」


 琥珀色アンバー烽戈ふか糸が、傷口を塞いでいく。それなりに深い傷だが、切り口が綺麗だから跡はほとんど残らないだろう。


「——呪授者。角が片方しかないのも、その影響だったてこと?」


 患部に目を落としたままセツナはぽつりと呟いた。


「……おそらくな。俺が混血なのは本当だから、良い具合に隠れ蓑になってくれる」


 ——呪授者。それは、七つの世界すべてで忌避される存在だ。


 第八界エイティス神族デウス、アハトが七部族連合セヴァンスを抜ける際に残した呪いの一つで、烽戈ふかを暴走させる。


 一度暴走すれば、本人の意思関係なく死ぬまで烽戈ふかを放出し続けるのだ。

 やっかいな点がいくつもあり、発動するまで当人に自覚症状がないことや、発動後の呪授者は破壊衝動にかられて無差別に攻撃すること、そして発動の条件が不明なことが最たるものだった。


 直前まで善良だった隣人が、突如として烽戈が尽きるまで暴走するのだ。

 その存在が明らかになった当初、誰もが疑心暗鬼に陥った。


 実際、実力者の探求者シーカーが暴走した剣族界エル・ジエンでは街が一つ崩壊している。


 この呪授者の問題には数多くの高名な術士や医師がこぞって解決に当たっている。謎は多いが、分かってきたこともあった。


 呪授者は、久遠の片角のように容姿に何らかの異常が見られるという分かりやすいものに始まり、個人差はあるが烽戈球体スフィアに共通した烽戈ふか印が刻まれている場合が多いこと、そしてこれが最も決め手となったのだが、烽戈ふかを扱えない身体にしてしまえば呪いは発動しないということだった。


 今では呪授者と判明した者は皆、手術で烽戈球体スフィアに処置を施され、烽戈ふかを扱えない身体にされる。


 本当は烽戈ふか球体に刻まれた、呪いの元となる烽戈ふか印をどうにかできたらいいのだが、それを試みたことで被験者が暴走した過去もあり、こちらは手詰まりの状態だった。


 最後の針を通し終え、セツナは烽戈ふかを解いて針と持針器を消失させた。

 残った烽戈ふか糸を、締めすぎず、それでいて決して解けることのない絶妙な力加減で結んだ。


 ほっと一息ついて顔を上げる。いつもより近い距離に久遠の横顔があった。


「何も知らずにあなたを勧誘した私は滑稽ね」

「呪授者のことは知らなくても、俺の心臓に難があることは知っていたんだろう。大差ない」

「だって心臓は私が治せばいいし……」

「すごい自信だな……。奢りでないのがやっかいだが……まあ、バレたのであれば、ちょうどいい。あんたも分かったはずだ。俺の心臓を治すなんてできない」

「やっぱり、その……久遠くんが今も烽戈ふかを使えるのって……」


 セツナは言い淀んで、久遠のことを見ていられなくなって俯いた。


「俺が呪いを受けていると分かったのは、探求者シーカーになってすぐのことだ。あんたも知っての通り、通常は烽戈ふかを扱えない身体にされるわけだが、俺の場合は少し特殊だった」

「心臓のことね……」

「あぁ。俺の心臓は暴走した烽戈ふかになんて耐えられない」

「それはつまり…………」


 言い淀んだセツナの言葉を、久遠はためらいなく引き継いでみせる。


「呪いが発動した時点、正確には烽戈ふかが暴走し始めた時点で俺は死ぬ。まわりに被害を及ぼすことはないだろう」

「……っ」

「生まれ持った心臓の弱さをずっと恨んできたが、このときばかりは感謝した。父に頼んで、そのまま探求者シーカーでいられるよう取りはからってもらった。俺は最後まで、ちゃんと戦える」


 そんなことをつらつらと言ってしまえる久遠の胸中を、セツナは推し量ることができない。

 これまで数多くの患者を診てきたが、誰もが快気を望んでいた。たとえ病気に打ちのめされて気弱になってしまうことはあっても、本心では生きたがっていることがちゃんと分かった。


 はたして久遠は何を望んでいるのだろうか。

 額面通り受け取るなら、死ぬまで戦場で戦い続けたがっている。

 それは、医者としてもセツナ個人としても看過することのできないことだ。


「……心臓を治すべきだと思う。もちろん、呪授者の処置も受けて……」


 しぼり出すように言うと、久遠がこちらを見た気配がした。


「そうなったら俺は烽戈ふかも扱えない軟弱な混血種に成り下がるな。あんたは、俺を隊に引き入れたくてここへ連れてきたんだろ? 自分のすべきことに集中しろ」

「でも……っ!」

「ま、どのみち俺があんたの隊に入ることなんてありえないがな」


 セツナの言葉を遮り、からかうような響きがある。そのくせ穏やかな言い方だった。

 セツナが思わず顔を上げると、本心をひた隠すおどけた笑みがあった。


 セツナが何も言えずにいると、その笑みが苦いものへと変わった。

 いやに優しい表情だ。この人は、こんなときに限ってこういう表情を見せる。


「手当て、ありがとう」


 縫い終わったばかりの腕を持ち上げて、セツナの頭にぽんぽんと優しく触れた。


 そのまま去って行く背を見つめながら、久遠の快気を望む自分と、同じ隊で二人して肩を並べる夢想の狭間で、自分の気持ちが分からなくなってしまっていた。

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