17. 襲撃。最強の一角たる男。

 目を引く銀髪に、旅人族ノマド特有の翡翠ヤーデの双眸。

 纏っている外套は長旅に晒されたようにぼろぼろであったが、その姿はウィズと瓜二つだった。

 黒に染めているという髪を戻したウィズが成長すればこんなふうになるのかもしれない。それほど似通っていた。


 ただ、男が浮かべる表情がウィズとは対極を成していて、ともすると他人のそら似のような風情を醸した。


「うちの生意気なガキに勝つとは、七部族連合セヴァンスもまだまだ捨てたもんじゃねぇな」


 不遜とも呼べる薄ら笑いを湛えて男は言った。


 そのまま舞台へ向かってくる。会場中が静まりかえり、誰もが固まっていた。みな一様に、金縛りにでもあったようだった。


 久遠もまた、歩み寄ってくる男から目を離せない。呼吸すら忘れて、本能的に男の一挙一動を探っている。


 男が舞台へ上がった。救命領域の光が浮かぶ床を見つめ、次いで四方に設置された柱を一瞥した。


「……無粋だな。こんなもんはよ」


 呟くと、おもむろに人差し指を立ててみせた。


 その指先へ真っ赤な球体が浮かび上がる。小さいが、その中を無数の烽戈ふか印が複雑に渦巻いている。


 にわかにそれが膨れあがったかと思うと、圧力を伴った烽戈ふかが男を中心に拡散された。

 さながら突風のようなその烽戈ふかを、久遠はとっさに両腕を交差させて防御した。


 何かしらの烽戈ふか術だ。その効果を見極めなければと思考しながら、異変に気付いた。


「……?」


 防御のために身に纏っていた烽戈ふかがかき消えている。

 慌てて体内を奔らせていた烽戈ふかにも意識を向けたが、こちらは問題ないようだ。


 次いで、さらなる異変を視界に捉えた。


「救命領域が……」


 つい先ほどまで舞台に淡く浮かんでいた光が消失している。見ると、四つの柱の烽戈ふか印も消え去っていた。


 久遠が再度、烽戈ふかを体外へ放出してみると、これは問題なく行えた。


烽戈ふかを消失させる術です。持続性はないので、今は問題なく使えるはず。……しかし救命領域の効果は失われました。クオンさん、油断すると死にますよ」


 先ほどまで久遠相手に悠々と戦っていた少年が、どこか緊張した声音で言った。


「ウィズ? おまえ、その髪……」


 隣に立ったウィズが視界に入って、久遠は違和感を感じたが、正体は髪の色だった。つい先ほどまで黒かった少年の髪が、混じり気のない白色アンノウンに変わっている。


烽戈ふか術で染めていたのが戻っただけです。そんなことより今はあの人に集中を」


 そう言うウィズの姿は、白髪と銀髪という違いはあるものの、ますます乱入者の男と似通っていた。


「確かにヤバそうなやつだが……。知り合いか?」

「父です」


 やはりというべきか、納得の返答だった。


「件の親父殿か。良いタイミングで現れたな」


 意図せず口の端がつり上がる。殺気に等しい圧に晒されていることに、返って高揚させられていた。


「俺の烽戈ふか浴びてんのに余裕だなぁ」


 男が愉快げに言って、久遠を指さした。


「鬼の小僧、ちょっと遊んでやる。死なねぇ程度にな」


 事態の把握が追いつかなかった。

 ウィズの父親が、なぜ自分と戦いたがるのか判然としない。しかし今この瞬間、久遠にとってそんなことはどうでもよかった。


 気付いたときには抜刀し、さらなる烽戈ふかを流しながら男へ突撃していた。


 ウィズの制止の声が聞こえた気もしたが関係なかった。


 上段から斬りかかる。


 男は動かない。余裕の表情で、品定めするような視線を送るばかりだ。


 刃が凄まじい速度で振るわれたとき、ようやく変化が訪れた。

 螺旋状の烽戈ふか印が刀身に巻き付いていた。


 久遠はむしろ、さらなる力を込めて刀を走らせた。

 敵の烽戈ふか術を防ぐ最たる方法は、発動する前に叩くことだ。

 自分にはそれを成すだけの判断能力と速度がある。そう信じた。


 背中に怖気が走った。その先の行動は経験など関係ない、本能的なものだ。

 両手で握っていた刀を片手持ちに変えながら、体勢を大きく崩して男の真横へ倒れ込むように踏み込んだ。


「——ほう」


 久遠の姿を横目に追った男が、感心したように笑った。いかにも愉快といった様子だ。


 少し遅れて追いついた思考が、久遠に事態を把握させる。手にした刀。その刀身が半ばで折れたように消え去っていた。

 しかし愛刀の重量にも重心にも変わりはなく、折られたわけではない。


 ——消え去った刃はどこか。


 視界の端にそれを見つけた。つい先ほどまで久遠がいた中空に浮いている。体勢を崩した久遠の動作、正確には手にしている刀の機動に合わせて動いている。


(空間の烽戈ふか術……!)


 信じがたいがそう結論付けた。久遠の斬撃を空間移動させて、本人に当てようとしたようだった。


 空間に作用する烽戈ふか術は、神族デウスのみが扱えるはずだが、それ以外の可能性を見つけられなかった。


 驚愕を抱きながらも久遠は集中を維持している。ほんのわずかな逡巡が死を運び来ることを嫌というほど知っているのもある。


 そもそも、ひとたび戦闘となれば、反射神経と、体内の烽戈ふかの奔流に飽かせながら、要所でこそ思考を働かせられるのが久遠の天性だ。


 脳裏を駆け巡るのは、極限まで無駄をそぎ落とした、ただただ相手を屠るための思考だった。


 刀を片手持ちして崩れた体勢のまま、倒れ込むように身を回転させて男へ斬りかかった。


 同時に、先ほどは身体強化に特化させた烽戈ふかを、今度は愛刀へ流し込んでいる。


「おいおい、無駄ってのが分かんねぇのかよ」


 呆れたように男が言った。また先ほどのように刀身に烽戈ふか印がからみついた。


 しかし今度は、その烽戈ふか印が半ばで弾けた。鎖がちぎれるかのような有り様だった。


 男が目を瞠り、次いで翡翠ヤーデの瞳に嬉々とした光が差した。


 男はわずかに上体を反らしただけで刃を躱す。驚くべき反射神経だ。


「ちぃ……!」


 久遠の脳裏に、二つの選択肢が浮かぶ。離脱か、このまま追撃か。


(——高位の術士相手に距離を置くのは愚策。このまま近接戦だ)


 刀を握らぬ方の手を床に着き、それを軸に、鎌を振るうかのごとく蹴りを放つ。

 男が後退。久遠が着地、肉食の獣が得物に飛び掛かる瞬間のように身を縮めて屈み、即座に男との距離を詰めた。


 男の周りに無数の烽戈ふか印が浮かぶのを見た。

 ウィズのときのように円環の形状を模すのではなく、光る文字がでたらめに浮かんでいるようにしか見えず、それが一つの烽戈ふか術なのか、あるいは複数なのか判然としない。


 考えたわけではない。


 ただ本能に従って、二度三度と烽戈ふか印を断ち切った。

 それが男の烽戈ふか術の根源であるという確信があった。


 はたして中空にあった全ての烽戈ふか印が粉々に砕け散った。

 男の面に、今度こそ驚愕が浮かんだ。が、一瞬のことだった。


「ホント、面白い小僧だ」


 そんな言葉と共に、久遠は肩口に凄まじい熱が走るのを感じた。

 視界に鮮血が吹き、遅れて烈火のごとき激痛がやってきた。肩を見るが何かされた様子はなく、ひとりでに傷ができたようだった。


 今度は久遠が大きく飛び退った。男と距離を置いたところで、切り裂かれた肩を反対側の掌で押さえて止血。

 同時に体内の烽戈ふかを操作することでも止血を始める。


 信じがたい事態だった。

 烽戈ふか印は全て断ったはずなのだ。なぜ烽戈ふか術が発動したのかまったく分からなかった。


「信じられねぇって顔してるな。ま、その状態で戦線離脱、すぐに烽戈ふかで止血しようとするあたり、さすがに実戦慣れしてるなぁ」


 男が余裕の佇まいで言った。追撃の気配はない。


「術は全て断ったはずだ……」

「あれは、まあまあだったな。展開された烽戈ふか術の、根幹の烽戈ふか印だけ斬るとはデタラメなやつだ。旅人族ノマド烽戈ふか術に詳しいのか?」

「……ついさっき、ウィズと戦ったばかりだ」

「数回見ただけでオレたちの烽戈ふか術を把握したって? ヒト族ヒューマとの混血と聞いて惜しいと思っていたが、戦闘センスは鬼族オウガでも随一と言える。はは、ご褒美に種明かししてやるよ」


 男が、久遠の血しぶきに染まった床を軽く蹴って見せた。


「ここで、さっきお前はオレを斬ろうとした。ま、惜しくも当たらなかったけどな」

「それがどうした」

「そのときの斬撃を、オレの術でここへ持ってきた。お前は自分に斬られたわけだ。分かるか?」

「時間の烽戈ふか術……。救命領域や救命石に通ずる術か……!?」


「あー、そいつはちょっと違う。生物の時間操作は別物。あれはもはや神族デウスどもの特権だな。死体を巻き戻して生かすとか離れ業すぎるだろう。俺でも命を懸けるだけの烽戈ふかを燃やしたとして、生きた身体の時間を操作するのがせいぜいだな」


 それにしたって、時間を操作していることに変わりはなく、常軌を逸していた。

 そもそも男が構築した烽戈ふか印は全て久遠が消し去ったはずなのだ。


 押し黙る久遠の胸中を代弁するように男が続ける。


「他に烽戈ふか印は無かったって? それはな——」

烽戈ふか印を透明化する烽戈ふか術です。クオンさん、あまり無茶しないで下さい」


 久遠を庇うように立ったウィズが、言葉を挟んだ。


「おい、ウィズ。邪魔すんじゃねぇ。こっから面白くなるところなんだからよ」


 到底、我が子に対する物言いとは思えない態度だったが、ウィズは気にした様子もなく、むしろ完全に久遠を背に庇うよう移動する。


 気持ちは有難かったが、久遠もまた、この強者との戦闘を中断するのは勿体ないと感じてしまっていた。


「ウィズ、どいてくれ。まだ終わっていない」

「何を言っているんですか。落ち着いて下さいよ。救命領域は無効化されているんですよ? 殺されてしまいます」

「むしろ好都合だ。本気でやってみたい。俺は強くならなくてはいけない」


 姉と同等、もしかしたらそれ以上に強い者との真剣勝負など、なかなか実現するものではない。それを糧に成長せねばならないという想いがあった。


「……もっと冷静に物事の善し悪しを判断できる方だと思っていたのですが。なにをそんなに焦っているんです?」


 ふり向きもしないウィズの無感情な謂いではあったが、どこか落胆の響きがあった。


「あなたもだ。くだらないことでヒト族界エル・ヒューマに不審を抱かせないでください」


 ウィズは久遠の返答も待たず、父へそう言った。


「……相変わらずつまんねぇガキだよ、お前は。ほんと、誰に似たんだかな」

「退いてください」

「断る。邪魔すんなら、二人まとめて蹴散らすだけだ」


 二人の旅人族の間で、緊張が張り詰めていく。


 一触即発。しかしそんな空間に、何かがフワフワと舞い落ちてくるのを久遠は見た。


 美しい琥珀色アンバーの、烽戈ふかの羽根だった。

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