16. 決着。最強種たる二人。

 心臓を圧縮するイメージ。それが肝要だ。


 意識の外で脈動する心臓を、意図的に潰すことで、烽戈ふかはより激しい奔流で体内を駆ける。

 圧縮した心臓が反動を伴って膨張。その勢いでまた烽戈ふかを加速し、同時にまた心臓を押しつぶす。


 あとは、それを繰り返すだけ。痛みは高揚が打ち消してくれる。


「——いくぞ」


 先ほどとは比べものにならない速度でウィズまでの距離を潰した。


 ——ド…クンッ。


 心臓の鼓動が遠くに聞こえた。ウィズの翡翠の瞳が驚きに瞠られているのを、見た。


 ——ドクンッ、ドク…ッ。


 右拳を振りかぶる。烈火のごとく振るわれた拳。ウィズの頬に届く寸前で、金色の円環がそれを防いだ。


 ——ドクッ、ドクッ……!


 高鳴る脈動に飽かせて拳に力を込める。硝子の割れるような音と共に円環が砕けた。


 円環でわずかに遅れた拳を、ウィズはぎりぎりで上体を反らして躱しながら、周りに無数の円環を出現させた。


 極度に身体能力を強化したことにより、久遠の視界はそれを遅延して見ていた。


(——斬る……)


 思考とも言えない概念に誘われるように、久遠が抜刀。自らの太刀筋を中空に想い描き、なぞった。


「なっ……!?」


 ウィズの面が今度こそ驚愕に染まった。目にも止まらぬ久遠の斬撃で、すべての円環が断ち切られていた。こうなってしまっては円環の術が発動することはない。


 霧散していく烽戈ふか印を尻目に、ウィズが後退の意思を見せた。


 それすら見切った久遠が悠然と、弾ける焔のような苛烈さで刀身をウィズの首に滑らした。


 一瞬の間があった。ウィズの首筋からおびただしい鮮血が吹き出し、ずるりと頭部があらぬ角度に滑り落ちようとした。


 その瞬間、舞台を包んでいた烽戈ふかの淡い光が輝きを増した。光はウィズの身体を包み、


「俺の勝ちだな」


 久遠がそう口にして刀を収めたときには、首の傷は無かったことになっている。


「あ……」


 まだ事態が呑みこめていないウィズが、きょろきょろと辺りを見回し、恐る恐るといった様子で自らの喉へ手をやった。白い肌に傷一つ無いことを認めると、混乱に揺れる眼差しで久遠を見た。


「これが救命領域……。本当に死んだかと思いましたが、何というか……変な感じですね。一度は死んだはずなのに、その瞬間の記憶が曖昧です」

「記憶も多少操作される。当初は身体の損傷を戻すだけのものだったらしいが、臨死体験の記憶で恐慌をきたす者が続出したそうだ」

「……なるほど。しかしそれでも心臓の鼓動が収まりません。やはり死とは恐ろしいもののようです」

「まあ、そのうち慣れるさ。本気で対戦できるから経験を積むにはもってこいの烽戈ふか式だからな、救命領域は」


 実際、救命領域が開発される以前は模擬戦での怪我など茶飯事だったし、加減を誤ったばかりに死者がでることも珍しくなかったらしい。烽戈ふかの扱いはそれほど繊細なのだ。


「クオンさんもですか?」

「何がだ?」


 とっさに質問の意図が分からず久遠は首を傾げた。するとウィズは、心底不思議そうな様子で続けた。


「これほどの実力のクオンさんを、何度も殺せる相手がいるのでしょうか?」


 あまりに直接的な問いかけに、久遠は思わず苦笑を零した。

 先ほどまで驚愕に値する戦闘を繰り広げていた少年と同一人物とは思えぬほどの純朴さがあった。


「俺より強いヤツなんかいくらでもいるぞ? 現に俺は姉と十回戦って一回勝てれば良い方だしな。……おまえこそ、あっちには強いヤツが大勢いたんじゃないのか?」


 少々濁した表現になったのは、種族によっては聴覚に優れた者が会場にいるかもしれないからだ。ウィズがいた第八界エイティスにはそれこそ強者、曲者がいくらでもいたはずだった。

「あちらの方々は変わり者が多かったですからね。おれみたいな子供は相手にされませんよ。……まあ、一緒にこちらに来た父は確かに段違いに強いですが、あれは例外ですよ」

「おまえにそこまで言わせるか……。今はこっちにいるんだったな? 一度会ってみるのも面白そうだ」


 本心から出た言葉だった。たった一度戦っただけだが、ウィズの力が並大抵でないことは実感している。そんなウィズが段違いと評する男がはたしてどれほどの者か気になっていた。


 ——そんなことを考えていたところで、突如として異質な烽戈ふかを感じ、身が震えた。本能的なものか、あるいは戦慄か。いずれにしても畏怖の念を抱かされていた。


 その発生源を探り、会場の入り口となる通路から発せられていることを認めた。


 コツ、コツと、嫌に響く足音を伴ってその男は現れた。

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