9. 出立。待ち受けるものは……。
観念してはいたが、いよいよ引き返せない所まできてしまったと久遠は実感していた。
異邦人がよその世界に滞在できる時間は限られている。
セツナの場合は
がらんとした石造りの広間に、久遠はセツナと共にいた。
千瀬と那由も同伴しており、他には
「セツナさん、絶対また来て下さいね! 久遠兄をお願いしますね……っ!」
感極まった様子の那由が、右手でセツナの手を取って胸元に抱いた。
左腕の袖は空洞でだらりと垂れていて、下手をすると憐憫の対象になりそうなものだが、那由の天性の無邪気さがそうさせなかった。
セツナの方はされるがままで、自分より頭一つ分ほど低い那由の髪を優しげに撫でてやっている。
「いろいろありがとう、那由ちゃん。またきっと会えるわ。体を大切にね」
どちらかと言えば慎ましい性格のセツナと、こちらは生まれ持った性分として天真爛漫な那由は意外にも意気投合した。那由にとっては命の恩人ということもあるが、このひと月、那由は事あるごとにセツナの側にいたがった。
久遠としても片腕を失った妹が楽しそうにする姿に安堵したし、自分の客人である向きの強いセツナの相手を那由がしてくれるのは有難いことでもあった。
しかし問題は、那由が久遠にも懐いていることにあった。
那由はセツナと楽しげに話していても、通りすがる久遠の姿を見つけると、右腕を尻尾のように振って嬉しそうに呼び止めるのだ。
打算がないぶん久遠も無下にすることができず、自然と三人でいる時間は増え、セツナともそれなりには話すようになっていた。
「久遠、しっかりやるのよ」
一方の千瀬は冷静で、いつも通り感情を悟らせない様子で餞別の言葉を贈っている。端からは冷たい態度に見えるかもしれないが、激務の姉が、その合間を縫ってこの場に来てくれていることを知っている久遠は、どうにも申し訳ない気持ちになるのだった。
とはいえ自分を
「心配しなくても、すぐに帰ってくるよ」
「えぇ。待ってるわ」
多分に嫌みを含んだつもりだったが、素っ気なく返されてしまった。
面白くなくて小さく唇を尖らせていると、生温かい視線を感じた。見ると、那由に抱きつかれて、あやすようにその背中を叩いてやっているセツナだった。
何だとばかりに久遠が睨むと、セツナはくすっと小さな笑みをこぼした。どうやら千瀬との会話を聞かれていたようだ。嫌な感じはしないが、これまた面白くない。
「……
ぶすっとした感じで歩み寄って言うと、セツナの胸元から顔を出した那由は、今度は久遠に抱きついてきた。
「久遠兄も元気でねっ……! セツナさんに迷惑かけちゃダメだよ!」
「……迷惑してるのは俺なんだけどな」
久遠は溜息をこぼしながら、先ほどセツナがしていたように、ぎゅうっと引っ付いてくる妹の頭を撫でてやる。こうしていると那由の片腕が失われたという事実が感触として実感させられて心苦しくもなる。
一方でその温もりが腕の中にあることに、途方もない幸福の念も覚えるのだった。
やがて名残惜しそうに那由が離れると、久遠とセツナはどちらともなく
「いってらっしゃい!」
いよいよ泣き出しそうな那由の大きな声と、見守るような優しさの千瀬の視線を背中に受けながら、久遠は
長年過ごした地を離れることに早くも郷愁めいたものを感じた。
そんな感情が自分の中にあったのかと、嬉しいのか悲しいのか分からない迷子の心持ちだった。
(——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます