8. 閑談。姉としての心。

 那由の検診をしたいと願い出ると、千瀬は快く案内してくれた。


 一方で久遠は、鍛錬があるとかで足早に出て行ってしまっている。

 最終的に判断したのが千瀬とはいえ、強制的に家を出ることになってしまったから、久遠が怒っていたとしても当然だろう。


 雪で真っ白の庭園を脇目に廊下を歩きながら、セツナは久遠に対して申し訳ない気持ちになった。そのくせ一切の後悔もないことに我ながら呆れつつ、自分の目標がそれほど大切なのだと実感する喜びも湧いた。


「セツナさん、他に私に話しておきたいことはあるかしら? 今なら久遠もいないわ」


 前を歩く千瀬が足を止めずに言った。

 疑問の形ではあるが、こういう発言が出る時点で思うところがあるに違いない。


 やはりこの人は侮れないと思う。いったんは和らいだはずの緊張が、冬の寒さと相まってセツナの身をひとつ震わせた。


「一つだけ、あります」

「でしょうね」


 自然と先を促すような相づちだった。歩みをゆるめることすらない。

 それがセツナを少しだけ楽にさせた。ちょうど、ヒト族界へ帰るまでに、折を見て千瀬に確認しておかねばと考えていたことがあった。本人がその機会を与えてくれるというのだから甘えてしまおう。


「久遠くんの身体についてです……」

「やはり気付いていたわね。あの噂を聞いたのかしら?」

「噂、ですか……?」

「あら、てっきりそうだとばかり。一部の探求者シーカーには知れ渡ってしまっているけど……そうね、セツナさんはまだ探求者シーカーではないものね。ならどうしてそんな疑念を? あの子が自分で話すとは思えないけど……」

「久遠くんの耳飾りピアス……、あれはヒト族界で開発されたものです。烽戈ふかの使用に上限を設けるもので、通常は烽戈ふかの扱いがまだ上手くない子供が用いるものです。……でも、烽戈ふかの供給器官である心臓に問題がある大人が身につける場合もありますよね?」

「なるほど、素晴らしい洞察力ね。ご想像の通り、久遠は心臓に病を抱えている」


 淡々と言ったものだった。そんなことは何でもないことだと告げられるようで、セツナをわずかに苛立たせた。


「どのような治療を?」

「朱桐家の侍医では手に負えなかった。外部に助けを求めようとも思ったけど、父が許さなかったわ」

「……なぜです?」


 問いかける声音に怒気が孕んだのを感じ取ったのだろう。千瀬が歩みを止めてふり向いた。


「怒ってくれるのね」

「私たち医師は、患者を救うために存在します。それを阻害する権利は誰にもない。ましてや父親が子どもを……」

「久遠自身が望んだのよ。父はその想いを汲んだだけ」


 とっさに何を言われたのか分からず、セツナは言葉を失った。病人が快気を拒むなどということがあるのだろうか。


「どうして……」

「それは私の口から言うべきではないわね。久遠に直接聞いてちょうだい」


 それはつまり久遠と信頼関係を築けという意味だ。もしかしたらそれこそが千瀬の望みなのかもしれないと、なぜかそんなふうに思った。


「久遠が抱えている問題は心臓だけじゃないの。もう一つ大きな問題がある。だから、もし貴女が本当に久遠を仲間にしたいなら、ちゃんと向き合ってあげてね」


 セツナは思わず息を呑んだ。

 今の千瀬は、名家の次期当主でもなく、強者たちを率いる隊長でもなく、ただ弟を想う優しい姉のように見える。


「行きましょうか。早くしないと那由が久遠を追って稽古に行ってしまうわ」

「……はい」


 話はこれまでとばかりに踵を返そうとした千瀬が、思い出したようにまたセツナを見た。


「そういえば、久遠の病に気付いていたなら、なぜ貴女は先ほどの交渉で、久遠の心臓を診ることを交渉材料にしなかったの?」

「え? だって、それとこれは話が別ですよね?」


 ぽろりと零れた本心だった。


 次いで、なぜ千瀬はセツナが久遠の心臓を治せるかもしれないと思ったのだろうという疑問が浮かんだ。

 心臓手術の難度は並みではない。たしかにセツナは過去に困難な心臓手術を成功させているが、そんなことを千瀬が知っているとは思えなかった。


 ふいに千瀬と目が合った。その端整な顔を見つめ返すうちに、なんとなく納得してしまった。


 ——外部に助けを求めようとも思ったけど。


 先ほど口にしたその言葉を答えと断じて、どうやら良さそうだった。


「そう。あなたはそんなふうに考えるのね」


 千瀬の声音は優しげで、おそらくこの人は、セツナが久遠の心臓を交渉の引き合いに出していたら、久遠をヒト族界エル・ヒューマに行かせようとはしなかったのではないかと思った。


(——目的だけに捕らわれてはダメだ)


 久遠や、千瀬にもしっかり報いなければならない。

 セツナは心の内で強く誓っていた。

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