4. 嘆願。恩人たる少女の望み。

 部屋には先客がいた。美しい琥珀色アンバーの髪をした翼族フィングの女性だ。

 家の者が貸し与えたであろう和装を纏っていて、翼族フィングの証である金色の紋様が浮かぶ右腕は、今は隠れて見えない。


 翼族フィングは自身の羽根が隠れる服装を好まないと聞いたことがある。見ず知らずの場で、最たる武器を控える行為は、彼女に害意がないことを示すことにも一役買っていた。


 空木セツナ。

 ヒト族界エル・ヒューマの医療部隊所属。

 戦闘終了後に活躍の場を与えられる身であるにも関わらず、戦場の真っ只中に単身で踏み込んできた異端者だ。


 そして、那由を救ってくれた恩人でもあった。


「ごめんなさい、セツナさん。客人を待たせてしまったわね」


 詫びながら、千瀬がセツナと向き合う形で座した。セツナはふるふると首を振り、問題のないことを告げている。


 この一室は当主である父や、その跡継ぎである姉が特に親しい者を招く客間で、決して広くはない。和やかに差し込む陽光と、木と畳の香りが中にいる者の気持ちを穏やかにさせてくれる部屋だった。


 久遠は、向かい合う二人を横から眺める形で壁際に位置取った。慣れた所作で座す途中、セツナの琥珀色アンバーの瞳がちらりとこちらへ向けられた気がしたが気付かぬふりをした。


 セツナもまた、特に思うところなどなかったように千瀬に意識を向け直している。


「朱桐家の世子さま。この度は、ご多忙の中お時間をつくっていただき感謝しております」


 恭しく頭を垂れたものだった。和の文化を持つのは鬼族オウガと剣族〈ジエン〉のみ。翼族フィングであり、ヒト族界エル・ヒューマに属するセツナが、畳に座す行為に慣れているとは思えない。現に、これぞ正座の手本とばかりに座す千瀬とでは明らかに佇まいが異なっている。

 なのに、全身に無駄な力を込めず、それでいてぴんと背筋を伸ばしたセツナの座装は凜と美しい。


 模範と質朴。そんな二人を前にした久遠はというと、自然と足を崩して胡座をかいていた。敬意を欠いたのではない。この場においてはむしろ、自然体でいることこそ礼儀と思わされていた。


「改めてセツナさん、先日はうちの者を救っていただきありがとうございました」

「いえ、私は医師ですので。当然のことをしたまでです」


 セツナの返答は形式張ったものだが、彼女が口にすると気取ったふうに聞こえないから不思議だ。


「患者……那由さんのお加減はいかがですか?」

「すでに目を覚ましていますよ。右腕を失ったことには少々気落ちしていましたが、強い子なので大丈夫。今は早く戦場に戻れるよう、片腕での稽古がしたいと言って聞きません」

「そうですか……。まだ絶対安静ですので稽古は控えさせて下さい。私も後ほど診察させていただきますが」

「心得ました。よろしくお願いしますね」


 千瀬は先ほどから淹れていた茶をセツナに「どうぞ」と差し出す。


 器を受け取ったセツナは行儀良く唇をつけ、


「あ、おいしい……」


 思わずといった感じで呟いてから、しまったという顔になる。


 微笑ましいものを見たように姉の雰囲気が少し和らいだ。

 少なくとも久遠にはそう見えた。


 久遠は、自分にも差し出された器を身を乗り出して取り、作法など気にせず指先でむんずと掴んで飲んだ。

 確かに美味かった。何においても完璧を志向する姉らしく、また腕前を上げたらしい。


「それでセツナさん。何かお話があると聞いたのだけど?」


 見計らったように千瀬が切り出した。

 セツナは緊張の面持ちで居住まいを正す。


「——世子さま、実は折り入ってお願いしたいことがございます」

「呼び方、千瀬でいいわ。堅苦しいのは苦手なの」


 まったくそうは見えない平坦さで言われ、セツナは出鼻を挫かれたように言葉を詰まらせた。茶で緩まされた気持ちを律した矢先のことで、久遠はセツナが少し気の毒になった。

 何を願い出るつもりなのか知らないが、この姉相手に交渉事など、久遠なら絶対に遠慮したいところだ。


「……では千瀬さん」


 セツナは負けじと仕切り直す。敬称まで改めてしまうあたり、素直なのか負けず嫌いなのか判断が難しいところだ。

 何だか面白くなってきた久遠は茶を啜りながら静観に徹している。


 にも関わらず、


「久遠くんを私に下さい」


 セツナの口から飛び出した言葉に、茶を吹き出すところだった。

 さしもの千瀬も目をまんまるにしている。


「あの……?」


 一方のセツナは二人の反応に戸惑った様子だ。当初の凜然さはどこへ行ったのか、今は年若い少女のような愛嬌が垣間見えている。


「それは、その……どういう意味で言っているのかしら?」


 あの千瀬が言葉に困り、ひとまず相手を窺うという稀な事態になっていた。


「どういう、と言われましても……そのままの意味、で……」


 言いながら、セツナの頬が一気に紅潮した。

 どうやら自分の言葉足らずに思い至ったようだ。


「ち、違いますよっ……!? お嫁に来てくれとかそういう話じゃなくて……ッ!」


 もはや自分で何を言っているかも分かっていないらしい。

 わたわたと慌てるセツナの姿を眺めながら、久遠はこれまでのセツナへの印象を改める必要を感じている。


「セツナさん。落ち着いて」


 さすがに見かねた千瀬が、こればかりは裏表ないであろう心遣いで、新たに淹れた茶を差しだした。

 それをあわあわと受け取って一息に傾けるセツナ。

 意図してぬるく出されたらしい茶を飲み干して、大きく吐息した。もしも熱い茶だったらどうなっていただろうと久遠は呆れる思いだ。


「……久遠くんをヒト族界エル・ヒューマの学園に入学させて欲しいのです」


 少し落ち着いたらしいセツナはそう口にした。


 久遠は思わず腰を上げ、反論の声を上げそうになったが何とか押しとどめた。

 まずは千瀬の返答と、セツナの真意を窺う必要がありあそうだ。

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