3. 姉弟。寒空の下にて。

 屋敷内の廊下を行く。

 朱桐家の母屋だ。


 鬼族界エル・オウガの季節は冬。

 幼い頃から修練を積んでいる広い庭園は、雪が降り積もって真っ白だった。木板を連ねた柵の上に広がる空は、嫌みなくらい澄み渡っていて、これから寒さが深まっていく気配がある。


 鬼族オウガの血が混じる身体が凍えることはない。

 なんとなく、今は雪に埋もれて見えない木々や岩々を自分と重ねてしまった。

 寒さも痛みもなく、真っ暗闇の中で雪解けのときを待つのは、はたしてどんな気持ちなのだろう。


「久遠」


 無為な感傷に浸っていると、前を歩いていた姉の千瀬の声がした。


「何だ、姉さん?」


 立ち止まってふり向いた千瀬に倣って、久遠も足を止めた。

 自分より濃い緋色の瞳をまっすぐに見つめるが、いつもの通りというか、感情に乏しい姉の心情を推し量ることはできなかった。


 二人の白い吐息が重なり、ゆったりと虚空に溶けていく。


「これからセツナさんに会うわ」


 その名を耳にした途端、久遠の眉がぴくりと反応した。


 セツナとは、戦場から探求者シーカー鬼族界エル・オウガ支部へ帰ってきた後で別れていた。ヒト族界エル・ヒューマに属するセツナは一時保護の扱いとなるため、久遠は係の者に丁重に扱うよう厳命したきりだったのだ。


「うちに来ているのか。……それで? 次期当主が直々に謝辞でも述べようって?」

「それも一つね。次期当主としてではなく朱桐隊の隊長として、だけど。でも、それだけじゃない」

「……面倒事はごめんだぞ?」


 千瀬の含むような言い方に、久遠は今度こそ眉をひそめる。


 自室で読書をしていた久遠は、突然やって来た千瀬に「来客よ。貴方も来なさい」と半ば無理矢理に連れ出されていた。かと思うと部屋に着く直前で、今度は来客相手を明かすときたものだ。


 千瀬の思慮深さは朱桐に関わるすべての者が認めるところだが、本人はその胸中を必要以上に漏らさないのが厄介といえば厄介だった。万事が千瀬の掌の上にあり、気付いたときにはすべて丸く収まっているのが常だ。

 最終的に上手くいくのだから、大抵の者は異論があるはずもなく、むしろ「さすがは名門朱桐家の次期ご当主様だ」と讃えるばかりだった。


 しかし、久遠は違う。

 姉だって一人の人間だ。この華奢な双肩にいっさいの責任を負わせるのが筋とはならないと考えていた。何より、この出来の良すぎる姉を、久遠は誰より尊敬し親愛の念を抱いている。


 朱桐家、延いては貴女の手を煩わせる些事は避けるべきだと暗に告げる弟の気持ちを、はたしてこの才女が察しているのかは不明だ。


 千瀬は今も、その整った面を崩さない。


「面倒事を好転させるのが私の役目でもあるわ。それに多分だけど、悪いようにはならないと思うの」


 そう言った千瀬が、ふいに笑んだ。口元を緩め、二本の角の下でわずかに眉が下がる。穏やかでいて、どこか含みのある笑い方だった。


 珍しいこともあるものだと久遠が呆気にとられていると、気付いたときにはいつもの無表情さに戻ってしまっている。

 その姉が、真摯な響きのある声音で言った。


「セツナさんとの面会、貴方は私の味方をする必要はあません。ただ貴方の心に従って発言なさい。いいわね?」


 突き放すようでいて、幼子を見守る母親のような雰囲気があった。


 久遠はただ頷くことしかできなかった。

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