2. 救命。技術と判断の能力。

「腕は諦めろ」


 思考の渦を裂くように声が聞こえた。


「え?」


 反射的に声を辿ると、存外近くに久遠がいた。いつのまにかセツナの隣に片膝をついて、那由の傷を見ている。


「致命傷になった胸の傷だけ治せ。腕の傷は俺が焼いて塞ぐ」


 先ほどまでの悄然とした態度は完全に立ち消え、迷いのない口調で指示をしている。


「でも、那由さんは探求者シーカーよ? 腕を失ったら……」

鬼族オウガを舐めるな。片腕くらいなくても戦える。胸の傷はどうなんだ?」

「あ、えっと……傷が心臓まで届いてる。直せるけど失血量がひどい。鬼族オウガの身体には詳しくないけど、輸血が必要だと思うわ。ただ増血の烽戈ふか印を構築する余裕がない」

「血を補えれば良いわけか。……那由の意識を戻すことはできるか? 無理矢理でもいい」

「え? ……止まっている心臓を再鼓動した後でなら、気付けの烽戈ふか印でなんとかなるかもしれないけど……」


 久遠が淡々と質問を繰り返すものだから、セツナもつられて答えてしまっていた。


「よし。まずは心臓を治療してくれ。その先は那由自身に延命させる」

「なっ——!?」


 自分は腕の傷を焼くための準備を進めながら、久遠がとんでもないことを何でもないように言った。


 患者自身の烽戈ふかを用いて治療させようというのだ。そんなやり方は聞いたこともなかった。少なくとも患者がヒト族ヒューマなら絶対に不可能な芸当だ。


 だが那由は、頑丈な身体と、高い烽戈ふか能力を持つ鬼族オウガ。何より有無を言わせない久遠の調子には逆らえない気がした。

 というより、この突拍子もない発案に感嘆している自分にセツナは気付いた。


「わかった。それでやってみる」


 心を決めて、流れるように処置に移る。


 羽根の烽戈ふかで構築した琥珀色アンバーのメスを手に取るや、五本ある傷の一つを延長する形で開胸。次々と器具を形成し、流れるような手際であっという間に心臓が露わになる。


 その間も、那由の周囲で無数の烽戈ふか術を発動させて、残された血液を体内や脳に循環させ、他にも身体に悪影響を及ばさぬよう可能な限りの烽戈ふか薬を投入し続けていた。


 異端と言って良いほどの医療技術だ。

 医師ではない久遠もそれを感じ取ったのか、腕の傷を塞いでやりながら呆気にとられている様子だった。


「損傷した心臓の縫合に入ります。同時に心臓烽戈球体ハート・スフィアを可視化——」


 烽戈球体スフィアは生物の身体をつくる構築式そのもので、身体の各部位、各器官ごとに存在する。烽戈ふか印と呼ばれる光る文字が無数に流れを生み、それが球を形づくるのだ。

 その色は、烽戈ふかの源とされる瞳の色と同じ場合が多く、那由の烽戈ふか球体は深い緋色だ。


 しかし那由の心臓烽戈球体ハート・スフィアは、動きがなく、形も綺麗な球体ではなかった。心臓が停止しているせいであり、一文字ごとの烽戈ふかも弱々しく、まさに風前の灯火だった。


 セツナは烽戈ふか製の針と糸で素早く心臓の傷を縫っていく。こればかりは心臓が止まっていて都合が良い。動いている状態では到底不可能な速度で縫い進めることができた。


 最低限縫い終わったとろこで、次は烽戈ふか的な術式に移行する。

 弱った烽戈球体スフィアに、羽根で書いた琥珀色アンバー烽戈ふか印を注ぎ込む。


 緋色の烽戈球体スフィアに取りこまれたセツナの烽戈ふか印は、次第にその色が馴染んでいき、やがて同色となって完全に那由の一部となっている。


 何度も何度も烽戈ふか印を書き、注ぎ込む。

 処理能力の限界を超えた脳が焼けるように熱かったが、構わず続けた。


 やがて、あれほど弱っていた心臓烽戈球体ハート・スフィアが光を取り戻し、ゆったりと流れ始めた。


 そしてついに、止まっていた心臓も再び動き出した。


 ——ドクン、ドクン。


 動きをじっとみつめ、


「——おかえり」


 これが健全な脈動であることを確認したセツナは安堵と共に笑みを零さずにはいられなかった。


「助かった、のか……?」


 セツナの優しげな声に反応し、久遠も感極まったようだった。


「ひとまずはね。でもやっぱり血液が足りていないわ。何とかしないと、脳や身体が……」

「わかっている。もう時間もない。那由の目を覚ましてやってくれ」

「うん。でも最終的には那由さんの気力次第になってしまうわね」


 言いつつセツナが、那由の額に触れて、新たな烽戈球体スフィアを出現させた。直接触れていないから完全には可視化できていないが、脳の烽戈球体スフィアだ。


 そこへ新たに書いた烽戈ふか印を投入する。


「んっ……」


 どうやら上手くいったようで、那由の目がうっすらと開いた。


「まだ覚醒しきっていないわ。あとはお願い。私は閉胸する」


 久遠に後を託して自分は急いで閉胸を行い、さらには五本の傷すべてを縫い合わせていく。


「那由、聞こえるか?」


 とっくに腕の傷を塞ぎ終えていた久遠が、那由の耳元で言った。この期に及んで、ここまで冷静でいられる胆力にはセツナも感心するばかりだ。


「く……おん、にぃ……?」


 息の漏れるか細い声だったが、確かに那由が言った。


「しゃべらなくて良い。しっかり聞いてくれ。お前は機械獣ビスキウスに斬られたが、幸いにも助かった。だが血が足りていないそうだ。お前の烽戈ふかで代用する必要がある。ゆっくりと烽戈ふかを全身に巡らせるんだ。分かるか? 大丈夫なら二回まばたきをしてくれ」


 ゆっくりと確実に伝えられた久遠の言葉に、那由は二度のまばたきをして応えて見せた。


「よし。大丈夫だからな。呼吸に意識を向けろ。烽戈ふかを心臓でゆっくり送り出すんだ」


 那由は目を閉じてしまったが、ゆったりとした呼吸を規則正しく続けているのが聞こえる。どうやら大丈夫そうだ。


「全部終わったわ。引き上げましょう」


 傷を縫い終えたセツナは、羽根で那由を運ぼうと試みたが、治療に烽戈ふかを使い果たしていて、これ以上烽戈ふか術を扱うのは難しかった。


「那由は俺が運ぶ。あんたは走れるか? 無理そうなら俺の背中に負ぶされ」


 那由を抱き上げた久遠に、自分は大丈夫だと告げてセツナは立ち上がる。


「一番近いのは鬼族界のゲートだ。あんたも一緒に来い」


 そうして二人して駆けだした。


 無事に患者を救えそうで安堵する一方、結局久遠には助けられてしまったと感謝の思いが湧いた。


 同時に、セツナはこの青年にひと筋の光を見つけた気がしていた。

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