1. 選択肢。救うことの意義。

〈——全探求者シーカーに伝達。戦闘終了。ゲートが閉じるまで二十分です。繰り返します。ゲートが閉じるまで二十分〉


 風を切る音に混じって、左耳に付けた無線機インカムから音声が聞こえた。


 大半の者は耳飾りピアス型の通信機を使う。

 だが、身体を天より与えられたものと考える翼族フィングたちは、それを傷つけることを忌避きひする。

 だから耳飾りピアスの穴を耳に空けることを良しとせず、無線機インカムを使う場合が多かった。


(……時間がないわね)


 急ぐ必要がある。浮力を生んでいる翼にいっそうの烽戈ふかを注ぎ込みながら、セツナは飛行速度を上げた。


 戦場となったのは獣族界エル・テイルの僻地。

 市街地が戦火に見舞われずに済んで獣族テイルにとって行幸だったが、戦う探求者シーカーには厳しい戦いになったようだ。


 無闇に広い区域。しかも遮蔽物のない荒野にあふれかえった機械獣ビスキウスの群れを、真っ向から叩かなければならなかった。

 そんな状況では探求者シーカー本部も、実際に戦地に赴いて指揮する隊長たちも作戦らしい作戦を立てられない。


 その中でも、とりわけ強い機械獣ビスキウスの反応が多く現れた区域が、今まさに眼下に広がっている。


「——見事ね……」


 上空からの光景に、セツナは思わず呟いた。


 最高難度の戦場の一つとされたはずの区域なのに、数えきれぬほどの機械獣ビスキウスが辺り一帯に転がっていた。

 俯瞰で見ると、地肌がほぼ隠れてしまうほど機械獣ビスキウスの黒色に染まっていて、不気味を通り越して感嘆させられる。


(たった二人で、よくもここまで。流石は鬼族オウガの精鋭……)


 鬼族オウガ朱桐隊あかぎりたい。その隊長が五人の隊員を三手に散らせたと報告があったときは驚いたが、なるほど勝算があってのことだったと納得する他ない。


 と、壮観な光景の中に一つの人影があった。


 なにやら刀を手にしたまま、立ち尽くしているようだ。

 一瞬の間があって、流れるような動作で刀を収めたらしいその人影が、ゆっくりとふり返った。


 その姿にセツナは、うすら寒い想いを抱いた。

 遠目ではあるが分かってしまった。悲痛と決意とを混同させ、それすら腹の底に押し込んで踏み出そうとする姿は、セツナが忌み嫌うそれだった。


 すぐさま高度を下げて、横たわる機械獣ビスキウスを避けて降り立った。そのまま翼を解き、烽戈ふかの羽根を右腕に収めながら歩み寄る。


 翼族フィングが扱う烽戈ふか術は、烽戈ふか製の羽根を媒体とする。その羽根は普段、術者の身体に紋様として浮かぶ。

 セツナの場合は右肩から右肘にかけて、白い肌の上に金色ブロンドの模様があらわになっていた。


 すべての羽根が収納されたところで、ちょうどあの人影と話せる距離まできた。


 若く見える青年だった。見た目の年頃などあてにはならないが、何となくこの青年はまだ若々しいのだろうと思った。


 鬼族オウガの戦闘服である和装。腰元には先ほどまで手にしていた和刀が存在感を放っている。美しい装飾の鞘だったが、なぜかセツナには、その中にある刃をひた隠すための虚勢のような美しさに思われた。


つのが……?)


 何より目を引いたのは、青年の額につのが一本しかないことだった。左眉の上辺りにひとつ。右側の角は戦闘で折れでもして、濡れ羽色レイヴンの髪に隠されているのではと思ったが、どうやらその痕跡もなく生来のようだった。


 知らず知らずのうちにじっと彼の額を見つめていたようだ。少々困惑した雰囲気を感じて目線を下げると、緋色スピネルの瞳とばちりと目が合って、思わずほうとなった。


 美しい色合いだった。ゆらめく炎のようでいて、それを律するだけの力を秘めて燃ゆる眼差し。


(似てる……)


 懐かしさを覚える眼差しに、過去の記憶へ意識がとびかける。しかしそんな場合ではないと、目の前の青年に意識を持ち直した。


「……朱桐隊あかぎりたいの方ですね? もうお一人はどうしました?」


 途端に青年の顏が曇った。大きく表情を変えることはなかったが、器から大きく溢れそうになるものに蓋をして、無理矢理すべてを封じ込めるようだ。

 もしかして泣き出すのではないかと、セツナはどきりとなった。


「俺は鬼族オウガ・朱桐隊の朱桐久遠だ。一緒に来た朱桐那由なゆは……」


 しかし青年は泣くことなどなく、むしろさらに屹然となって口を開き、なおも言い淀んだ。


 そこでようやく、セツナは青年——朱桐久遠の背後に横たわる患者に気付いた。

 駆けだした。久遠の隣を抜けて、痛々しい姿で横たわる少女の脇に膝をつく。


 朱桐那由。朱桐久遠もそうだが、朱桐隊の精鋭の名を聞いたことくらいはある。歴戦の猛者がここまでにされるとは、これが探求者シーカーたちの戦場かと実感させられる思いだった。


「何をしている……!」


 横たわる少女に手を伸ばすと、後ろから肩を強く掴まれた。

 振り返ると、厳しい表情の久遠がいた。


 咎めるような久遠の言葉に対する返答は「あなたこそ何をしているの?」という至極当然な疑問だったが、それを口にはしなかった。


「助けます」


 端的に答えると、久遠が目を瞠った。その瞳にほんのわずかな希望の光が浮かんだのを見た。しかし、またすぐに決意が色濃いあの目に戻ってしまう。


 肩を掴む手に力が込められたのを感じた。


「致命傷だ。それに時間がない。あんたも早く撤退するんだ」


 まるで自分に言い聞かせるようだった。

 そのあまりに悲痛な声にセツナは思わず、肩を掴む彼の手に自らの掌をそっと重ねた。


「私は医者よ。大丈夫、那由さんは必ず助ける」

「医者? あんた、医療部隊か?」

ヒト族界エル・ヒューマの医療部隊所属、|空木《うつぎ〉セツナよ」

「やはりか。こんな奥地までもう来たのか……」

「朱桐隊の隊長さんからの依頼でね」

「姉さんが……? しかしそれにしたって早すぎる。まさか独断専行か?」


 医療部隊は、完全に戦いが終息した区域で怪我人の治療にあたる役割を担っている。今いる場所は、先ほど久遠と那由が倒した機械獣ビスキウスの沈黙をもって終戦とみなされたから、久遠の疑問も当然だった。


 だが今は、そんな問答をしている場合でない。


「ちょっと早めに来ただけよ。正解だったようね」

「馬鹿な真似を。だが尚更、探求者シーカーでもないあんたを死なせるわけにはいかない。ゲートへ戻るぞ」


 患者から意識を逸らせるように強く肩を引かれた。自然と顔を突き合わせる形になる。


「那由さんを助けたくないの?」


 時間が惜しかったが、久遠を説き伏せない限り処置させてもらえそうにない。

 鬼族おうがの頑丈さゆえか、那由の身体は何とか即死を避けている。セツナなら救える可能性が十分にあるのだ。


「那由は覚悟して戦い抜いた。俺たちがそれを継ぐ。俺はもちろん、あんたもここで死ぬことは許されない。それは那由の覚悟を踏みにじる行為だ」


 これはそういうことなのだと言うように、久遠の言葉は確信に満ちている。


(——あぁ、やっぱりこの人は……)


 自分が忌むべき病に冒されているのだとセツナは思った。

 ただ、不思議とこの青年そのものを嫌う気にはなれなかった。


「あなた自身が、生きる覚悟を定められていないわ」


 これが久遠の急所となるのだという、根拠のない確信をだった。


 はたして久遠が、虚を突かれたように言葉を失った。

 何か反論しようとする素振りを見せたが、結局は何も続けられないでいる。


 戸惑う久遠に申し訳なさを抱きつつ、セツナは患者の治療に戻った。


(——胸元に五本の傷。これは機械獣ビスキウスの爪によるものね。心臓まで届いていそう……。切断された右腕の切り口は綺麗ね。これなら繋ぎ直せる。まずは開胸して心臓を診る。それから——)


 傷を確認しながら手術の段取りを組んでいく。時間はなかったが焦ってはいけない。


 一本でも道を違えれば、間違いなくこの患者は死ぬ。


「……おい、あんた」


 集中状態にあるセツナの耳に久遠の声が届いたが、

「今は話しかけないで」

 ほとんど無意識にあしらって、頭ではなおも手術の工程を選別し続けた。


(……時間が足りない。心臓の損傷具合次第だけど、腕をつなぎ合わせる時間が……。いや、そもそも心臓を治したとしても、この失血量は……。私の烽戈ふかで増血、それで——)


 考えを巡らせながらも、同時に手術の準備も始めている。


 セツナの手術には烽戈ふかの羽根を用いる。その羽根を器具に変形させ、さらには必要と思われる烽戈ふか薬を構築するのだ。


 着々と準備を進めるが、手術の方針決定が難航した。どう考えても時間が足りないのだ。


 諦めるつもりはない。それでも刻一刻と過ぎていく時間に、さすがに焦りが生じ出す。


 ——その時だった。

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