ON-BEATER

葛史エン

Prologue.戦場にて。戦士と医師。

 ——ドクン。


 悲鳴を上げる心臓を意に介すこともなく戦い続けた。右耳の耳飾りピアスが共鳴し、持ち主への警告もあらわに震える。


 在るべき戦場にいた。


 戦場では時に、仲間の覚悟を受容せねばならない。それがたとえ、死という悲痛を伴うものであっても。


 朱桐久遠あかぎりくおんはそう信じた。


 戦闘中の探求者シーカーは、体内を奔る烽戈ふかの熱に身を焼き続ける。身体は強化され、思考を置き去りにするほどの反射神経を生み出す、烽戈ふかの奔流。


 極限の反応速度が視界をゆっくりと流し、すぐ隣の、少女の覚悟を、見た。


 幼い頃から見知った少女の、溌剌とした光を湛える瞳に決意の色が差す。


 相対する敵・機械獣ビスキウス

 久遠たちより一回り大きい人型の異形。漆黒の金属縄ワイヤーを編み込んだ無機質な筋肉が露出されたつくりで、呼吸や脈動といった生物由来の熱を一切感じさせない存在だった。


 光を宿さない機械獣ビスキウスの紅い瞳が、鏡のように少女を映した。

 痛々しい姿だ。鬼族オウガ特有、和装の戦闘服はあちこち破れて血が滲んでいる。いたいけな少女の姿はしかし、額に生えた二本の角が象徴するように勇猛果敢だった。


 機械獣ビスキウスが片腕を掲げた。漆黒の腕がグニャグニャと歪に変容し、刃の形を模す。

 それはひどく鋭利で、鬼族オウガが好んで使う和刀顔負けの切れ味だ。それを久遠も少女も身をもって知っていた。


 振り下ろされた刃を、それでもあえて避けなかったのだと久遠にはわかった。

 少女が刀を左手に持ち替える。その瞬間、空いた右腕が呆気なく切断され、少女の身体から離れて中空に飛んだ。


 少女の胸元に下げられた救命石が、持ち主を救おうと蒼く輝く。


 しかし、刀を口に咥えて残された腕を空けた少女は、救済を拒むように、救命石を首紐ごと引きちぎって放り捨てる。

 宙をゆく少女の右腕と血液、その中で光を失っていく救命石の蒼色。


 烽戈で研ぎ澄まされた反射神経が、それをゆったりと見せている。


 来たるべき悲痛に耐えようと心が準備した。

 だから立ち止まるわけにはいかなかった。


 痛みを追いやるように少女が固く唇を噛んだ。精気に満ちた血色の唇から、新たな血がひとすじ零れた。


 追撃の動きを見せた機械獣ビスキウスの懐に、少女が躊躇なく踏み込む。


 刀を斜め下段に構える。

 一閃。

 片腕を失ったとは思えない、見惚れるほどの太刀筋だ。白銀の残像から遅れること数瞬、今度は機械獣ビスキウスの片腕が切断されている。


 しかし機械獣ビスキウスは動じず、残された腕を掲げた。

 その五指の先で、なまくらのような爪が鈍く光った。驚異的な速さで、それが振るわれた。端整な少女の顔に、死を運ぶ影が差した。


 ふいに、少女がこちらを見た。


 防御も攻撃も。少女は次の動きを見せようとしない。先ほどの一太刀が、それほど命を振り絞った一撃だったと知れた。


「久遠兄。——あとはお願いね」


 ふっと笑みをこぼした少女が、呪いにも似た言葉を発した。


 久遠は脳裏に湧いた、少女を助けようという思考を冷徹に振り払わなければならなかった。


 無防備の少女の身が機械獣の爪に裂かれる。


 それを視界の端に収めながら、久遠は機械獣ビスキウスの首めがけて刀を振り下ろした。


 一瞬の間。やがて、機械獣ビスキウスの首がずるりと落ちて、地面で音を立てた。


 遅れて、後を追うように少女の身体が傾いて倒れ、砂埃が舞うと、波が引くような静寂が訪れた。


 身体に籠もった烽戈ふかの熱が大気に放たれていく心地よさのなか、久遠は今度こそ立ち尽くした。


 岩と砂ばかりの荒れ果てた大地に佇む自分と、眼前の二つの身体。

 一人は痛々しい傷そのままに血だまりに沈み、一体は機能を停止させた一つのモノとしてそこにあった。


 視線を持ち上げると、少女と二人で戦い抜いた戦場が広がった。

 数十にもおよぶ、大きさも姿も様々な機械獣ビスキウスが累々と廃棄されていた。戦果は上々。だが、失いゆくものが大きすぎる。


〈——全探求者に伝達。戦闘終了。ゲートが閉じるまで二十分です。繰り返します。門が閉じるまで二十分〉


 右耳に付けた、もう一つの耳飾りピアスから、全隊員への通知があった。


 二十分。この場所からゲートへ戻るには余裕のある時間だが、仮に少女を連れ帰ったとしても、この傷では命を繋ぎ止めることはできないだろう。


 ——あとはお願いね。


 それが目の前で死にゆく少女の願いであり、覚悟だったはずだ。


 久遠にできることはそれを汲み、この先も少女の分まで戦い続けることだけだ。そう信じることしかできない。今は、まだ。


 慟哭どうこくを漏らさぬよう感情を殺し、横たわる少女を一瞥した。


 途端に、幼き頃から今に至るまでの少女との記憶が脳裏に巡った。自分が死ぬわけでもないのに、走馬燈とはこのことかと思った。


 記憶の中の少女は笑っていて、ときに怒って、泣いていた。おそらくそれは、久遠も同じだった。


 痺れ軋むような頭痛があった。

 心臓は耳の裏で響くほどにうるさかったが、


「よく、戦った」


 意図せず自分でも驚くほど落ち着いた言葉が零れた。

 同時に、ごく自然な成り行きとして納刀していた。


 それを合図と決めて踵を返した。

 死にゆく仲間を見送るのではなく、自分が見送られているような気分だった。


 ふり返れば迷う。それが分かっていたから、すぐさま岐路へ踏み出そうとした。


 ——その時だった。


 久遠の正面、少し離れた場所に上空から何かが降り立った。


 淡く光る何かだ。少し驚きながらも、それが一人の女性であることを久遠は視認した。


 光の正体は女性の背に生えた翼だった。烽戈ふかでつくられた、金色の翼だ。

 ふいにその翼がほどけ、無数の羽根となって女性のまわりに舞った。


 その中にある女性の髪と瞳が、羽根に負けず美しい琥珀色アンバーであることが遠目にもわかった。羽根の輝きより薄い色彩にもかかわらず、その琥珀色アンバーの方が鮮烈に印象づけられる思いがした。


 肩から肘にかけて右腕だけがあらわになった、アンバランスな服装をしていたが、身体の一部を露出させる戦闘服は、その種族の特徴に起因している。


翼族フィング……?)


 女性が歩み寄ってくる。久遠は呆気にとられて見守ることしかできないでいた。


 話せるほどの距離になったとき、いつの間にかあの烽戈の羽根は消えていて、代わりに女性の右腕に美しい金色の模様が浮かんでいた。


 女性は立ち止まったが、何やらじっとこちらを見つめている。


 訝しむ久遠が声を発しようとしたとき、ばちりと琥珀色の瞳と目が合った。

 思わず言葉を呑み込んだ。


 鋭さすら湛えるその視線に久遠は魅せられた。

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