第42話

「ふふん、どうした鏑木かぶらき? 降参するならマカロンをどこへやったか教えてやらんでもないぞ」

 小林こばやしが意地の悪い笑顔で俺にそう言った。


「……いいや結構だ。絶対自力で解いてやる!」


 思えば俺は何時も小林にやられっ放しだった。ここらで一泡吹かせて、鏑木探偵事務所の長が誰であるかをわからせるいい機会だ。


 とはいえ、現段階でマカロンの行方は謎のままだ。まずは推理をする上での前提条件を整理していくことにしよう。


 第一に、俺が自分の皿のマカロンから目を離したのはほんの一瞬だということだ。その間、小林はずっと俺の正面に座っていた。つまり、小林が手を使ってマカロンを動かせるのは小林の手が届く範囲、テーブルの端から端くらいまでに限定される。


 第二に、テーブルの上にはマカロンを隠せる場所がないことだ。小林の皿に俺のマカロンを移動させた形跡はない。小林の前に置かれている使い捨ての透明カップには牛乳がたっぷり入っており、沈めて隠そうにも軽いマカロンは浮かび上がってしまう。俺のカップに入っているアイスコーヒーにしてもそれは同じことだ。そしてもし小林がマカロンを口の中に入れていれば、それまで会話していた俺が気づく筈である。

 それから小林は俺から奪ったマカロンを自分で食べる気でいるだろうから、床に落としたりポケットの中に隠した可能性も排除される。


 ――以上のことを踏まえた上で導かれる結論は、マカロンはということだ。


 おそらく天井に予め針を用意しておいて、小林が上空に投げたマカロンがそこに突き刺さるという仕掛けだ。

 俺は小林の真上の天井を見上げる。


 しかしそこには蜘蛛くもの巣が張ってあるだけで、マカロンは突き刺さっていない。


「…………」


「……ふふふ、もうそろそろ降参だろう?」


「いいや、まだだ!」


 こんなところで諦めるわけにはいかない。

 必ず何か方法がある筈だ。

 とはいえ、あまり根を詰めすぎるのもよくないかもしれない。焦りはときに視野を狭めることに繋がる。ここは一度気持ちを落ち着かせて、柔軟な思考を心掛けることが肝要だろう。


 俺は自分の皿からマカロンを一つ摘まみ、一口齧る。サクサクの食感と、口の中でとろけるピスタチオクリームの甘さが絶妙だ。そこへブラックのアイスコーヒーを流し込めば、も言われぬ旨さだった。


 ふと視線を感じて小林を見ると、何故か苛立ったように俺を睨んでいる。


「どうした小林?」


「……う、うるさい。わからないならさっさと降参しろ!」


 明らかに様子がおかしい。

 さっきまで俺が頭を悩ませているのを楽しんでいたのに、急に機嫌が悪くなった。まあ、小林は元々よくわからないところはあるが……。

 何よりおかしいのはマカロンを一つ食べたあと、小林はそれ以降一向に二つ目を食べようとしないことだ。折角用意してある牛乳にも全く口をつけていない。


 俺はもう一つマカロンを口に運び、アイスコーヒーで喉をうるおす。


「……あ」

 そこで俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。


 もしかして小林はマカロンを食べないのではなく、のではないか?

 牛乳も飲まないのではなく、のでは?


 使い捨ての透明カップにはたっぷり牛乳が入っているようで、実際にはカップの三分の一程度の量しか入っていない。それなのにたっぷり入っているように見えるのは、透明カップの内側にからだ。

 大きい透明カップと小さい透明カップ。二つのカップとカップの隙間に牛乳が入り込むことで、外から見ると少量の牛乳がたっぷり入っているように見える。

 そして、カップの中にはマカロンを隠せるだけのスペースが生まれる。カップ同士の隙間に入った牛乳が目隠しになって、中に隠したマカロンが外から見えないという仕掛けだ。


「…………」


 本来ならここで、小林の使ったトリックを暴いてもいいところなのだが……。


「どうなんだ鏑木? 流石にもう降参だろう?」

 小林が痺れを切らせたように訊いてくる。


 小林は今、マカロンを一つ食べたことで、口の中の水分をかなり持って行かれた状況にある。本来なら一刻も早く牛乳を飲みたい筈だ。

 それなのに俺が中々負けを認めないものだから、タネ明かしできずに小林は苛立っていたのだ。


「……いや、もう少し、あと少しだけ」

 俺はそう言って優雅にアイスコーヒーを一口飲む。


 ――そう。もう少し、あと少し少しだけ。


 俺は思い通りにいかないことに歯噛みして悔しがる小林の顔を、もう少しだけ見ていたかったのだ。

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