蝙蝠

第43話

 神奈川県横浜市郊外のアパート、コーポ東風はるかぜの103号室。

 1Kワンケーのその部屋の中に、頭から血を流している若い女の死体が倒れている。

 死体の女は103号室の住人、鳴海なるみ愛莉あいり。頭を花瓶で殴られて殺されていた。現場にはスーパーのレジ袋から零れたタマネギとニンジン、ジャガイモ、豚肩ロースのパックの他、割れたワイングラスが散乱していた。

 グラスには赤ワインが入っていたようで、フローリングの床には血だまりのように赤い液体が広がっていた。


桶狭間おけはざま警部、ご苦労様です」

 桶狭間啓司けいじが現場を観察していると、近所を聞き込みに回っていた桜川さくらがわ篤志あつしが現場に戻って来る。背の高い短髪の日焼けしたイケメン刑事だ。


「桜川、何か掴めたか?」


「隣の104号室の住人の話によると、14時30分頃にこの部屋から大きな物音がしたそうです。重たいものが倒れるような音の後、ガラスが割れるような音が聞こえたとのことです」


「……14時30分か、ふむ。死亡推定時刻とも矛盾はなさそうだな。恐らく、被害者はそのとき犯人と争って殺害されたのだろう」


「桶狭間警部」

 すると、同じく聞き込みに回っていた仲村なかむら功明こうめいが戻ってくる。こちらもオールバックの髪にノンフレームの眼鏡がクールな印象のイケメン刑事だ。


「仲村、何かわかったのか?」


「14時30分頃、コーポ東風から走って出て行く怪しい人物が目撃されています。最近、この辺一帯に出没していた空き巣犯ではないかと考えられます」


「……ふむ。ガイシャの鳴海愛梨は買い物から帰ってきたところで、偶然空き巣犯と遭遇。焦った空き巣犯は手近にあった花瓶で、ガイシャの頭を殴って逃走、といったところか」


 窓ガラスが綺麗に割られていることと、スーパーのレジ袋から肉や野菜が零れている状況もそれで説明が付く。


「警部、ガイシャは今晩肉じゃがを作ろうとしていたようですね」

 床に落ちている食材を見て、桜川が大真面目な顔で言う。


「馬鹿、肉じゃがなら普通牛肉を使うだろうが。ガイシャが作ろうとしていたのはカレーだな」

 そう反論するのは仲村だ。


「ものを知らん奴だな。肉じゃがといえば普通豚肉だろうが。これだから田舎者は」


「何だと貧乏人」

「何を」


「やかましい!」

 いがみ合う二人の若手刑事を桶狭間が一喝する。


「そんなことはどうでもいい、それより逃げていった空き巣犯の足取りを追ってこい!」


「「はッ!!」」


「それからガイシャが作ろうとしていたのは、私が思うに肉じゃがでもカレーでもない。シチューだ!」


 二人の若手刑事は桶狭間に敬礼してから、コーポ東風の103号室を勢い良く飛び出した。

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