消えたマカロン

第41話

一昨日おととい、街中で突然見知らぬ男に『久しぶり』と声を掛けられたんだが、こちらとしては一向に誰だかわからない。話しているうちに思い出せるかと、しばらく適当に話を合わせてみるんだが、やはりダメ。今度飲みに行きましょうと言われて別れたが、結局相手の名前すらわからないままだった。小林こばやし、お前ならこんなときどうする?」


 俺と小林こえは事務所で閑古鳥かんこどりが鳴いているのをいいことに、来客用のソファとテーブルで3時のおやつと洒落しゃれ込んでいた。仕事がないのではやることもない。ならばゆっくりと鋭気を養うのも探偵の務めなのだ。

 ちなみに今日のおやつは高級洋菓子店・花音カノンのマカロン。以前、幽霊の正体を突き止めて欲しいと依頼してきた女子高生二人組からの差し入れだ。


「私ならそんなことは起こり得ないな。私はお前のようにぼんやりとは生きていないから、一度会った人間の顔と名前は全てに記憶している」

 小林はそう言いながら、こめかみを指で突いてみせる。


「…………」

 本当に憎たらしい。嫌な奴だ。


「だが、万が一そうした事態に陥ったときの対処法は考えてある」


「ほゥ、その対処法とは?」


「自分には双子の姉妹がいるということにするのだ」

 小林はドヤ顔でそう言った。


「……どういうことだ?」


「自分と姿形が瓜二つの人間がもう一人存在するということにする。つまり、貴方の知り合いは私の双子の姉であり、私は貴方のことなど知らないと言う」


「そんなの信じて貰えないだろ」


「別に信じて貰う必要はない。こちらが嘘を言っているという確証さえ掴ませなければいいのだ。相手は十中八九、冗談かなにかだと思って笑うだろうが、こちらは真顔で否定する。そうすれば、相手は半信半疑ながらもこちらの設定に乗って話を続けるしかなくなる。そうなれば、主導権はこっちが握ったも同然。姉にお伝えするのでお名前を聞かせて貰えませんか? とでも言えば、相手の素性もわかって、その晩ぐっすり眠れるというわけだ」


「……そんなに上手くいくか? 嘘がばれるとあとで面倒なことになりそうだが」


「ばれるわけがない。考えてもみろ。実際の双子が知り合い全員に『私は一卵性双生児いちらんせいそうせいじの妹である』などと触れて回ると思うか? 双子というのは二人揃うことで初めて観測できる事象なのだ。双子の片方だけをみて双子かどうかを判断することは、夫婦茶碗めおとぢゃわんの片方だけみて揃いかどうかを判断するようなものだ」


「…………」


 確かに理屈としてはそうかもしれない。

 だが、推理小説的には双子の後出しはノックスの十戒じっかいに抵触しているのでアウトだろう。


「……ん?」


 そこで俺は異変に気付く。

 俺の皿にあったマカロンが一つ減っているのだ。俺の皿にはもともと三つのマカロンがあった筈だ。それが今、二つに減っている。


「……小林、俺のマカロンをどうした?」


「何のことだ?」

 小林は素知らぬ顔で言う。


とぼけるな。俺のマカロンをどこかへやったろ!」


「知らんな。自分で食べたのを忘れたんじゃないのか?」


「…………」


 そんな筈はない。まだ俺はマカロンに一つも手をつけていない。

 となると、犯人は間違いなく目の前の小林だ。こいつが俺の皿の上にあったマカロンを、一瞬のうちにどこかへ移動させた。


 しかし、小林の皿の上にあるマカロンの数も三つだ。単純に俺の皿のから小林の皿に移したのではない。

 そして小林はさっきから俺と会話を続けていた。もしマカロンを口の中に入れていれば、俺が気づかないわけがない。よって、その可能性も除外される。


 あと他に考えられるのは、小林の前にある使い捨ての透明カップだ。透明カップには牛乳がたっぷり入っている。


 ――あの中にマカロンを沈めていたとすれば……。


 ……ダメだ。

 マカロンはメレンゲを焼いた軽い洋菓子だ。牛乳に沈めようにもすぐに浮かび上がってしまうだろう。それに上手く沈められたとしても、カップにはたっぷりと牛乳が入っている。そこにマカロンの体積が加われば、牛乳はたちまち溢れてしまう。


「どうした鏑木? そんなに怖い顔して。食べないのか?」


 小林がマカロンを一つ指で摘まんで、口の中に放り込む。


「うむ、これは旨い!」


「…………」


 俺の中で静かに闘志が燃え上がった瞬間だった。


 今のうちに精々いい気になっていろ、小林。

 消えたマカロンのトリック、必ずこの俺が突き止めてやる!

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