枯れ尾花

第31話

 ――午後5時。

 空も暗くなり始めたというのに、益子ましこれい相川あいかわ百華ももかは教室で黙々と作業を進めていた。


「どう? 益子さん、完成しそう?」


「……ん。あとちょっと」

 益子さんが作っているのはゾンビのマスクだ。私のクラス、二年四組の今年の出し物はお化け屋敷である。凝り性の益子さんはマスクの出来に納得がいかないようで、更に細かい作り込みを施していく。今は飛び出している目玉の充血を描いているようだ。


「…………」


 私からすればもう充分過ぎるほど怖いマスクだし、一時間前と比べて何が変わったかもよくわからないのだが……。


 一方の相川さんが作っているのは発泡スチロール製の墓石と、段ボールの卒塔婆そとばだ。

 こちらは大雑把な相川さんの性格を大いに反映して、随分チャチな造りだ。

 だが高校の文化祭の出し物のお化け屋敷ということを考えれば、それで充分とも言える。それに暗い部屋の中で見れば、細かい部分などどうせわからないのだ。


「二人とも、続きは明日にしなよ。もう大分遅いよ?」

 クラス委員の私は二人にそう提案する。


「今、あたしノってるんだよね。それに明日は軽音部の練習もあるし、クラスの作業は今日で終わらせておきたいんだ」

 相川さんはそう言いながら墓石に赤い血の跡をつけている。


「……私も。今いいとこ」

 と益子さん。


「……仕方ないな。でも、学校で作業できるのは6時までだからね」


 私がそう言って何気なく窓の外に視線を向ける。すると、見知らぬ女子生徒と不意に目が合った。


 ――目が合う?


「……ねえ、私らの教室って確か三階だったよね?」


「何? 委員長、寝ぼけてんの?」

 相川さんが馬鹿にしたように言う。


「……み、見て。あれ」

 私は震える指先で二人に窓を見るように指し示す。


 そこには髪の長い女子生徒が逆さまの状態で、教室の中をじっと覗いていた。胸に緑色のリボンをつけているので、多分三年生だ。目から流れ出ている血が、女子生徒の艶やかな髪を赤黒く濡らしている。


 私は恐怖のあまり、声を出すことすらできない。


「……窓の外がどうしたんだ? 別に何にもねーけど?」


 相川さんの声で私は我に返る。


「え? 嘘!?」


 次の瞬間には、さっきまでこちらを見ていた逆さまの女子生徒の姿は影も形もなくなっていた。


「……どしたの委員長? 青い顔して」

 ゾンビマスクを抱えた益子さんが不思議そうに小首を傾げている。


「い、今そこに女の幽霊が……」


「あっはっは、その手には乗らねーぞ委員長。幾ら早く帰りたいからって、そんな古典的な……」

 相川さんはそこまで言って、私の異変に気づいたようだ。


「…………もしかして、マジのやつ?」


 私は何と返事していいのかわからない。今見たものが夢か幻だったならどれだけ良かっただろうか。


「……誰かの悪戯いたずらなのでは?」

 益子さんがポツリと呟く。


「確かに。委員長が嘘を言ってないんだとすれば、誰かがあたしらを脅かそうと悪戯した可能性もあるか。でも悪戯ならネタばらしまでセットでやらないと、相手のリアクションがわからないんじゃない?」


 それもそうなのだ。脅かすだけ脅かしておいて何もないのは、やはり妙だ。


「……確かめに行く?」


 私は益子さんの提案に全力で反対する。


「いやいやいや、やめとこうよ。多分私の見間違いだろうし、二人の作業の邪魔しちゃ悪いよ」


「それを言うならとっくに邪魔になってるっての」

「そうそう」


「……ううッ」


 二人にそう言われて、私たちは四階を調べに行くことになった。

 ちなみに二年四組の真上の教室は使われていない空き教室で、鍵もかけられていないのでその気になれば誰でも入ることができる。


 空き教室には誰の姿もなかった。机と椅子がズラリと並んでいるだけで、誰からも忘れられたような場所である。実際、用もないので普段は誰も近寄らない。


「ここって何で机と椅子が並べてあるんだっけ?」

「……何かの選択科目の授業で使おうとしていたのでは?」

「まあ、そんなところだろうな。それで結局誰からも使われなかったわけだ」


 相川さんは窓を開けると、真下を見下ろした。


「うへェ、こりゃ高い! 地上まで15mはあるぞ。こんなところから逆さ吊りになんかされたら、口から心臓飛び出そう」


「……じゃあ悪戯じゃないってこと?」


「それはわからないけど、遊び半分にやるにしちゃ命懸いのちがけってこと。それに引き上げる人間も必要だから、最低でも二人がかりじゃなきゃできない芸当だわな、こりゃあ」


「……じゃあ本物の幽霊?」


「今ある材料だけでは何とも言えないところだな」


 そんなことを話している間に、空はすっかり暗くなっていた。


「そんじゃ、そろそろ6時だし帰るか」

「……だね」


「…………」


 結局あの幽霊が何だったのかわからないままだったけど、相川さんと益子さんはそこまで気になっていたわけではないらしい。あっさり空き教室を後にした。

 私としても時間が経つにつれて、あれは何かの見間違いだったのではないかという疑念が膨らんでいくのを感じていた。


 そして実際、翌日にはそんな怖い体験をしたことなんてすっかり忘れてしまっていた。


 ――を知るまでは。

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