第9話

 バーガーファームの飲み物の容器は、プラスチック製の蓋ですっぽりと覆われていた。蓋の中央に小さな穴があいており、そこに赤白ツートンのストローが突き刺さっている。


 なるほど。これでは他の席からアイスコーヒーに毒をいれようにも、蓋で防がれてしまう。小林こばやしの言った吹き矢のトリックは使えないだろう。


 一方その小林はというと、遺体の口元に犬のように鼻を近づけていた。


「何だ、アーモンドの匂いなどしないではないか」


 ここで事件について簡単におさらいしておこうと思う。

 殺されたのは会社員の黒田くろだ幹彦みきひこ。死因はアイスコーヒーの中に混入していた青酸カリによる中毒死。事件現場は駅に近いファストフード店だった。

 黒田はこの後、婚約者の綾部あやべ麻衣まいの手料理を食べに行くことになっていた。そして麻衣の弟、しんが店に迎えに来たところで事件が発生する。


 第一の容疑者である綾部心には防犯カメラの映像から、毒を入れるような不審な行動はないことがわかっている。また、バーガーファームのキッチンスタッフたちの中に黒田と関係のある者はおらず、彼らの中に犯人がいることは考え難い。

 さらにアイスコーヒーの入っていた容器にはプラスチック製の蓋がされており、他のテーブルから毒を入れることは不可能である。


「動機は一先ず置いといて、可能か不可能かで考えれば、キッチンスタッフの中に犯人がいるというのが一番現実的なように思いますけどね」

 俺は桶狭間おけはざま警部に率直な感想を言ってみる。


「それはどうかな?」

 桶狭間警部は挑みかかるように言った。


「さっきも説明したが心は黒田を迎えにここまで来ていたのだから、黒田は心より先にファストフード店に来ていたことになる。監視カメラの映像で確認してみたところ、実際に心は黒田がテーブルについた五分後に来ている。それまでの間、当然黒田はアイスコーヒーを口にしていたが、このときは異変は起こらなかった。さらにカメラの映像では、心もテーブルについたときに黒田の買ったアイスコーヒーを一口飲んでいる。つまり、青酸カリはそれ以降に入れられたことになり、キッチンスタッフに黒田殺害は不可能ということになる」


「そんなことは簡単なトリックで何とでもできますよ。例えば青酸カリを氷の中に閉じ込めておく。そうすれば氷が溶けるまでの間、アイスコーヒーは無毒の状態を保っていられます」


「問題はもう一つあるな」

 小林は飽きたのか遺体の匂いを嗅ぐのをやめて、会話に加わった。


「そもそも被害者の黒田さんは何故青酸カリの入ったアイスコーヒーを飲んでしまったのでしょうか?」


「……小林君、君は何を言っておるんだね?」

 桶狭間警部は訳がわからないようで、ポカンとしている。


 一方、俺は頭をガツンと殴られたようなショックを受けていた。

 そうなのだ。青酸カリといえば毒薬の代名詞と呼ばれるまでに有名だが、実際には殺人には不向きな道具と言えた。まず、味が途轍もなく苦いのだ。アイスコーヒーに入れたくらいでは余程の味覚音痴でもない限り、口に入れただけですぐに吐き出してしまうだろう。これではとても致死量の200mgには達しない。さらに、青酸カリは微量であれば肝臓で解毒されてしまう。


 つまり、謎は二つ残る。


 謎1、犯人はどうやってアイスコーヒーに青酸カリを入れたか?


 謎2、犯人はどうやって被害者に青酸カリ入りのアイスコーヒーを飲ませたか?


「小林君、君には事件の真相が分かったのかね?」

 桶狭間警部は渋面を作って尋ねる。


「ええ、勿論です」

 小林は自信満々にそう答えて、不敵な笑みを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る