凄惨(仮)
第8話
俺が浮気調査を終えて事務所に戻ると、
テレビ画面の中の名探偵は、ちょうど断崖絶壁で殺人犯を追い詰めているところだ。夕方にやっている二時間ドラマの再放送だろう。
小林が我が
「小林、パンツ丸見えだぞ」
俺はドラマに集中している小林に、紳士的に忠告してやる。
「見るな変態」
小林はスカートの裾を直すでもなく、テレビ画面を見たままの姿勢で言った。
この少しも可愛げがないところが小林声の
俺は少々目のやり場に困り(何で俺がこんな奴の為に)、仕方なくテレビ画面に目を向ける。俺は小林と違って二時間ドラマ的なものが苦手である。たとえば密室とかダイイングメッセージとか長いサブタイトルとか、そういうものだ。
俺が探偵を志したのは再放送で見た
画面の中の名探偵は、青酸カリを口紅に付着させることで被害者を毒殺したというような推理を得意げに話していた。
俺はそれを聞いて、飲んでいたコーヒーを危うく噴き出すところだった。
青酸カリの経口致死量は約200㎎だ。口紅に塗ったくらいでは、とても人を殺すことなど不可能といえる。
被害者が口紅を一本丸飲みでもしない限りは。
俺がそう指摘すると、小林は不機嫌そうに口を尖らせた。けれど、すぐに人を見下したような何時もの顔に戻る。
「まァ鏑木は途中から見始めたのだから無理もない。殺されたのは犯人のストーカーで、変態的な趣味を持つ被害者は犯人の部屋から口紅を盗み出し、一本丸々食べてしまったのだ。故に被害者が口紅に塗られた青酸カリで死ぬことも充分あり得る話なのだ」
「……なるほど」
俺は一度納得しかけてから、ふとあることに気が付いた。
「嘘つけ。犯人髭面のおっさんだったじゃねェか」
小林はしれっと俺の淹れたコーヒーを美味そうに飲んでいた。
〇 〇 〇
俺はこの警部のことが嫌いだ。何故なら如何にも推理小説に登場しそうな、探偵に頼り切りの無能の警部だからである。これまでに挙げてきた手柄の大半は小林の活躍によるものだ。よって、俺と同様に小林に頭が上がらない。
「小林君に鏑木君、事件だ。今すぐ来てくれ」
警部は事務所に来るや否や、俺たちを追い出すようにしてパトカーの後部座席に押し込んだ。
「ちょっと待ってくださいよ警部、一体何があったんです?」
運転席に座る警部は渋面を作ると、ただ一言「不可能犯罪だ」と呟いた。
「それは興味深い。どういった事件なのです?」
小林は目を輝かせて、後部座席から身を乗り出している。三度の飯より謎と推理が好きなのだ。
「詳しい話は現場に着いてから。と言いたいところだが、移動中に簡単に説明しておこう。青酸カリを使った毒殺事件だ」
「青酸カリ!」
小林は益々目を輝かせてうっとりしている。
ミステリマニアの小林がそうなるのも無理はない。青酸カリといえばミステリの花形。毒物の代名詞と言っても過言ではない。
「で、この車はどこへ向かっているんですか?」
「駅前のバーガーファームだよ」
事件があったのは駅前のファストフード店、バーガーファーム。
被害者である
「黒田はこの後、婚約者の
「そんなの、婚約者の弟が犯人で決まりじゃないですか」
俺は呆れて言う。
「当然、我々も真っ先に綾部心を疑ったよ。しかし、心にはアイスコーヒーに毒を入れることは不可能だったのだ」
「どういうことです?」
「黒田たちのテーブルは、防犯カメラに映る範囲に位置していた。つまり、綾部心に毒を入れるような不審な行動は見られなかったということだ。他に容疑者として考えられるのは店のキッチンスタッフたちだ。彼らなら飲み物の容器に毒を入れることくらい簡単だろう。だが一人として被害者と関りのある者はいなかった」
俺はガックリと肩を落とす。
「犯人は他のテーブルにいたのではないでしょうか?」
そう言ったのは小林である。
「ストローのような細い管の先に毒を仕込んで吹き矢の要領で飛ばせば、遠い場所からでも青酸カリを入れることは可能かもしれません」
「流石は小林君だ。しかし残念ながらその方法でも毒を入れることは不可能だ」
桶狭間警部は口では残念だと言いつつも、小林が謎を解けないことを喜んでいるように見えた。
「間もなく現場に到着する。詳しくはそこで説明しよう」
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