理解し難い生き物




「兄ちゃん」


 閉店作業中、ぶらぶらと落ち着きのないようすでほうきを持ったユーマは、またもや今回限りだと言って手伝うトーマを呼ぶ。



「どうしたんだ、ユーマ」



「人間ってさぁ、不思議だよね」



「⋯⋯? 唐突とうとつだな」


 ユーマの脈絡みゃくらくの無い物言いに、トーマは首を傾げた。


「ずっと思ってたことだよ! 今日のお客さん⋯⋯リリアーナさんだってさ、落ち込んでたと思ったらすぐに立ち直っちゃうんだよ。まあ、オレがれた紅茶と兄ちゃんが作ったお菓子のおかげなんだけどさ! ⋯⋯それにしても、人間って単純すぎると思わない?」



「何を言うかと思えばその事か。その単純さに助けられているのは俺たちだろう。単純明快たんじゅんめいかい、実に素直で良いじゃないか。その人間がいなければ俺たちは飢えて、いずれ消滅してしまうだろう?」



「それはそうだけど⋯⋯」


 トーマの答えはもっともだったのだが、ユーマが求めていたものでは無かった。そのことが面白くなくて、ユーマは頬をこれでもかと膨らませる。



「⋯⋯なんだ、今日のモノは口に合わなかったのか?」



「ううん。美味しかったよ。でも⋯⋯⋯⋯」



「⋯⋯でも?」



「こんな回りくどいことする必要あるのかな? 昔は好きな時に好きなだけ食べていたんでしょ? 人間って単純でバカだもん。きっと気付かないよ」



「⋯⋯そうだな。ユーマの言う通り、昔は人間の都合など構いもせず、皆思い思いに食事をしていた。人間は下等なえさだと見下してな。だが、そうやって人間をめてかかっていた同胞どうほうたちは何人も奴ら————祓魔師エクソシストに消滅させられたんだ」



「⋯⋯⋯⋯」


 祓魔師エクソシスト————。

 その忌々いまいましい名に、ユーマはグッと唇を噛んだ。



「人間は単純だが馬鹿ではないんだ。ただ黙ってやられるばかりの無力な生き物ではない。俺たちが放埒ほうらつに振舞えば、必ず奴らがぎ付けて俺たちを排除しにやって来るだろう」



「それなら、そいつらを倒しちゃえば良いんだよ。⋯⋯オレたちなら出来るでしょ?」



「⋯⋯無駄ないさかいは避けるのが双方そうほうのためだ。今のままで丁度良い。これまでみたく、気付かれないように少しずつ生きるためのエネルギーを貰うだけで事足りるだろう?」



 ユーマたちが人間の生気を取り出すと、その場所にはポカリと大きな穴が空いてしまう。しかし、そこに幸福や希望などの別の大きな感情を入れてやることによって、人間に勘付かれることなく食事を楽しむことが出来る。

 ユーマたち夢乃兄弟が経営するこのゼロカフェは、その為に作られたのだ。



「全てを狩り尽くす必要はない。感情の抜け落ちた廃人になられては祓魔師エクソシストに感知されやすくなってしまうからな。人間との共存を選んだ者だけが、今も密かに生き残っているんだ。これが、俺たち夢魔むまの新しい生き方だ————」



「新しい、生き方⋯⋯⋯⋯」


 ポツリとその言葉を繰り返した。


(兄ちゃんの言う通り、あんまり取りすぎると生きるしかばねみたいになって、取り返しが付かなくなっちゃうんだよね)


 トーマの言葉で昔の失態を思い出してしまったユーマは、苦虫を噛み潰したような顔になる。




 夢魔むまとは、インキュバスやサキュバスとも呼ばれ、人間から生気を貰う代わりにその者が望む夢を見せる悪魔だ。その多くは淫夢いんむである。しかし————


(人間の欲望にまみれた、それこそ単純なだけの感情は食べ飽きた。それに比べて、悩める女性の感情は非常に美味だ。彼女たちの感情は複雑怪奇でいて、いびつだがそれゆえに美しい)


 苦悩こそが至高のスパイスとなり、ユーマたちを虜にしていた。

 このカフェでは甘言かんげんによって招き入れた女性客に、彼女たちが望む素敵な夢を見せる。そして、その代償として不要な感情を貰い受けるのだ。

 需要と供給が成立し、確かな共存がここにはあった。




「さ、ユーマ。お喋りはこのくらいにして、そろそろ片付けを再開しないといつまでも終わらないぞ」


 普段よりも幾分か饒舌じょうぜつなトーマだったが、その言葉を最後に口を閉ざし黙々と掃除を始める。



「⋯⋯はーい」


 ユーマはそう返事をして、棚に立てかけていたほうきを再び手に取った。


(でもまぁ、兄ちゃんの言う通り、しばらくはこのままで良いかなぁ。たまに退屈だけど、案外この生活も悪くないしね⋯⋯!)



 ユーマは真剣な顔でシルバーを磨くトーマを見やる。

 そんな兄の分かりづらくも楽しそうな姿を目にしたユーマは、鼻歌まじりに床をき始めたのだった。





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