ひと匙の勇気を




「ごちそうさまでした」


 来店時の暗い顔が嘘のように、晴々とした表情のリリアーナ。彼女はお会計をしようと席を立った。



「お帰りですか? では、お見送りします」



「え⋯⋯? お会計は本当にないの?」



「はい。表の看板にも書いてあった通り、御代は一切いただきません」



「じゃあ、カロリーがゼロって言うのも⋯⋯⋯⋯」



「はい。そちらも嘘偽りない真実です」



「何故、貴方たちはこんなことを⋯⋯? こんなことをしても貴方には何の得も無いじゃない」


 リリアーナは心底不思議そうな顔でユーマへと尋ねる。ユーマは暫しの間腕を組んで考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「何故でしょうね。強いて言えば、ここを訪れるお客様のうれいや悲哀ひあいを取り除き、世の悩める女性たちの力になりたいから⋯⋯でしょうか? それに、良いこともたくさんありますよ。今日はリリアーナさん、貴女の笑顔が見れた」


 ユーマがニッと悪戯っぽく笑ってリリアーナの瞳を見つめると、彼女は頬を赤らめてうつむいた。







✳︎✳︎✳︎







「こちら、お土産にどうぞ」


 見送りに出たユーマは、小さな紙袋を差し出す。


「⋯⋯え?」



「先ほどお客様にお出ししたマカロンをお土産用に包んだものです。大切な人とお召し上がりください」



「⋯⋯⋯⋯ありがとう」


 ユーマから紙袋を受け取ったリリアーナは、大切そうにギュッと抱きしめた。



「上手くいくと良いね、リリアーナさん」


 ユーマの言葉に、リリアーナはクスリと声を出して笑う。


はなから上手くいくなんて思っていないわ。私はただ、何もせずに他人ばかりねたんでいる自分に嫌気がさしていたの。でも、不思議ね。ここに来て⋯⋯貴方と話をして、紅茶を飲んで、お菓子を食べるうちになんだか吹っ切れたわ。私、自分に正直になってみる。例え1%の可能性すらない報われない恋だとしても、やってみなきゃわからないわ。もう、後悔なんてしたくないもの」



「⋯⋯⋯⋯貴女は強いね。力になれたようで良かった」



「そんなことないわ。このお店と貴方のお陰で気付くことが出来たのよ。本当にありがとう。まるで、魔法にかけられたみたいに夢のようなひと時だったわ」


 リリアーナはそう言って、今日一番の笑顔を見せた。き物が落ちたような彼女は、生き生きと青の瞳を輝かせている。



「苦しくなったら、またおいで。もう一度、僕が魔法をかけてあげる。⋯⋯それでは、またのお越しをお待ちしております」


 ユーマは胸に手を添えて、ぺこりとうやうやしくお辞儀をした。


「ええ、ありがとう」


 夕陽が照らす石畳みの街道を、リリアーナは前を向いて歩いていく。ユーマはそんな彼女の後ろ姿を静かに見送った。








✳︎✳︎✳︎







 ユーマは淡いピンク色のガラス玉を手に取り、窓から差し込む夕陽にかざしたそれをジッと眺めていた。光を受けてキラキラと輝く球体の中には黒いモヤのようなものが混ざっており、それはゆらゆらと頼りなさげに揺れている。


「きれい⋯⋯⋯⋯」


 そう呟いたかと思うと、ユーマはガラス玉をパクリと口に含んだ。瞬間、ジュワリと口いっぱいに広がる甘ったるい味。

 それをコロコロと舌で遊ぶように転がすと、徐々に苦味が口内に広がっていく。辛い、苦しい、嫉ましい、嬉しい、幸せ。そんな感情が目まぐるしくユーマを包み込んだ。

 甘いのに、苦い。幸せなのに、不安。その球体には様々な相反する気持ちが詰まっており、ユーマが今までも、そしてこれからも経験し得ない感情であふれていた。



「これが、恋⋯⋯⋯⋯」


 ユーマは感情が一切消え去った表情でポツリと呟く。エメラルドの瞳は輝きを失い、鬱蒼うっそうとした森のように暗く沈んでいる。


「何故、こんなにも曖昧あいまいで生産性のない感情なんてものを持つのか⋯⋯⋯⋯つくづく、人間って不思議だよね」


 あざけるように笑ったユーマは、未だ口内に残る球体をごくりと一息に飲み込んだのだった。













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