カルテ258 エターナル・エンペラー(前編) その3

「あいたたた……」


 少年は全身に走る激痛で、気絶から強制的に目覚めさせられた。彼は小石の上に仰向けに寝転がっており、空はとうに夕焼けの朱から宵の紺色へと移っている。中天を我が物顔に駆ける赤い彗星が不吉な光を投げかけていた。近くでザアザアという音が絶え間なく響いている様子から察するに、どうやらどこかの谷底の川原付近にでも落ちたのだろう。


 何とか起き上がって周囲をよく見ようと果敢に試みても、左手と左足が自分の物ではないかの如く全く言うことを聞かず、無理矢理動かそうとしても無数の刃物で切り刻まれるような衝撃が走り、再び意識が常闇に持っていかれそうになるだけだった。


「いけない、これは極めてまずい状況だな……」


 彼は、敢えて声に出して現状確認を行った。家の手伝いや畑仕事もせず、虫取りにばかりうつつを抜かす息子に対して口煩い両親も、これだけ帰りが遅いとさすがに心配するだろう。普段は呆れ返った目で彼を見る村の口さがない連中も、こんなところで死にかけていると知ったら、同情の一つくらいはしてくれるだろうか。


 せめて死ぬ前にあの夢の中の幻影のような蝶をこの手で捕まえてじっくり観察することができたら良かったのになあ、とこの後に及んで彼は未知なる生物に対して未練たらたらだった。


「だ……誰かそこにいるのですか?」


 急に近くから女性の声が聞こえてきたため、少年の後悔はぴたりと止まった。声は清流よりも澄み渡ってよく通り、現在彼を苛む疼痛ですら暫しの間忘れそうになるほどの魔力を帯びていた。


 やがてせせらぎのささらめく音に混じって小石を踏みしめる足音が響き、彼の頭の側で停止した。


「大丈夫ですか?」


 心配そうな声音とともに、金髪と銀髪の混ざった見慣れぬ髪の、二十代と思しき年若い女性の顔が少年の顔面間近にヌッと現れたため、彼は息が止まりそうになった。まるで天から地上に今しがた降り立ったばかりのように浮世離れした美貌の持ち主で、一国どころか世界の運命をも傾けるかと思わせるほどの佳人。瞳は髪と同じく黄金色に染まり、ほっそりとした顎の稜線はまるで触れば切れそうなほど。そしてその両耳も同様に細く先が尖っていた。明らかに人外の美。


「エ……エルフ!?」


 長命と美貌で有名な伝説の種族を目の前にして、少年は思わず全力で叫んでいた。


「に、人間の少年!? じゅるるるる……」


 一方、麗しき白磁の瓶にも似た絶世の美女は、何故か涎を垂らしそうになるのを堪えていた。

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