カルテ251 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その32

「……すごい天才的考えですね。でも、だからって、何十人もの命を奪うような猛毒を薬として使ったんですか? さすがに難しくなかったんでしょうか……」


 エナデールは本多の熱弁振りに思わず拍手しかけたほどだったが、我に返ると当然と言えば当然ともいえる疑問を講師に投げかけた。発想としては間違っていないかもしれないが、あまりにも非常識すぎる。


「まあね~、ぶっちゃけ僕もよくぞこんなぶっそうな危険物を人体に注入したもんだと、初めて知った時はぶったまげたもんですが、医学では結構この手のトンでも昔話が多いんですよね~。毒と薬は紙一重っていうやつですか? もっとも成功の陰には莫大な数の失敗例があったわけなんですが、こういうある種の神がかり的な大胆極まる発想と、トライアンドエラーが、かつては不治の病といわれた業病の数々を順次攻略し、地上から駆逐していったと考えると、ちょっと感慨深いものがあります。悪魔的な恐怖の大魔王的存在でも、使い方によっては人類の救いとなる好例だと思いますね」


「……」


 やや低めの医師の声は、元毒竜の胸に慈雨のごとくしみ込んでいった。まさに、出口のない無明の闇の底で苦しみもがいているときに、一筋の光を見出した思いだ。


「んで、最初は人工的に病気にしたマウスで実験したそうですが、効果が確認されたため、次は悪性リンパ腫や白血病患者に使われるようになっていきました」


「……悪性リンパ腫?」


「おっと、言い忘れました。悪性化したリンパ球がリンパ節にかたまりをつくる疾患です。リンパ節とは、血液から浸み出したリンパ球が含まれるリンパ液が血管に戻る途中に通過する小さな豆粒状をした場所ですが、全身のいろんな箇所にあるこいつが腫れ、やがて播種性血管内凝固症候群という、全身の血管内で血が勝手に固まる恐ろしい症状を起こして死に至ります。この病気はリンパ球性白血病と同様リンパ球の異常が原因なので、同じ薬が効いたんでしょうねー」


 本多はあくまでマイペースだ。しかしよくまあこんなに覚えていられるものだとエナデールは感心した。だが彼女は、一番肝心なことを聞いていなかったことを思い出した。


「……その病気については何となくわかりましたが、そもそもどうして毒ガスから作られた薬が白血球の増加を抑えるんでしょうか?」


「おおう、すいません。そいつは重要でしたね。ダ〇ラム一生の不覚! えー、細胞っていうのはその中にDNAっていうねじ曲がった二重螺旋階段みたいな設計図をそれぞれ持っているんですが、こいつがマスタードガス及びそれをちょっと改良したナイトロジェンマスタードと反応を起こし、難しい言葉でアルキル化って言うんですが、その結果DNAが正常に働かなくなってしまうんです。こうなると細胞はお手上げで、もう増えることが出来ません。これらは皆、後ほど判明したことですけどね。この手の薬を抗がん剤と総称します」


「……がん、とは?」


「例えばおっぱいに硬いしこりが出来る乳癌とか、食道に腫瘍が出来て食べ物が飲み込みにくくなる食道癌とかが有名ですね。これらの命の危機がある疾患は、細胞がDNAに異常を起こして無限に増殖し、身体中を蝕んでいく、恐ろしい病気です。白血病も言ってしまえば血液のがんなんですね。ところでエナデールさんは、お師匠さんの旦那さんのことはご存知ですか?」


「……は?」


 いきなり明後日の方向から想定外の質問をされて、エナデールは面食らった。

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