カルテ250 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その31
(……このみょうちきりんでへんてこりんなお医者さんは、一見おちゃらけているけれど、私が告白するきっかけを敢えて作ってくれて、罪を償う切っ掛けを与えてくれようとしたんだ)
「わわわ、ど、どうしちゃったんですか!? いきなり泣き出さないでくださいよ! ちょっと面白過ぎましたか?」
「……え?」
急に本多が慌てふためき出したため、感慨にふけっていたエナデールの方が動揺してしまった。知らないうちに灰色に戻った彼女の双眸からは、ぽたりぽたりと熱い雫が滴り落ちていたのだ。
「えーっ、僕らの世界でかれこれ八十年ほど前、世界中が第二回ガチンコバトル大会やらかしていた第二次世界大戦中の出来事です。長靴みたいな形でパスタが美味いイタリアって国の南部のバーリって港に、温水プール付きの安いモーテルにだけは絶対泊まるなと、かの村〇春樹先生が横断旅行記の中で忠告された、世界一の勝ち組アメリカって国の艦隊や貨物船などが停泊していました。しかしそこを夕刻ドイツ軍の爆撃機……まあ、簡単に言うと鉄製のドラゴンみたいなものが襲い、16隻の艦隊と28隻の貨物船やタンカーが爆発・炎上・水没し、米軍兵士や乗員たちは海に投げ出されました。間の悪いことに、実はこの中の貨物船「ジョン・ハーヴェイ号」はこっそりマスタードガスを大量に積んでいたのです。これが漏れ出して、更にタンカーから流出した油に溶けこんだのです。このガスは水には不溶ですが油とは親和性が良いのが特徴なんです。そしてどうなったか……大体わかるでしょう?」
まるでおどろおどろしい怪談話を子供に聞かせる村の古老のような語り口で話を切ると、本多は傍らのペットボトルをグビッとラッパ飲みした。話し疲れてさすがに喉が砂漠化していたのだろう。
「……はぁ」
エナデールはといえば、おぞまし気な逸話がどこに辿り着くのか皆目見当がつかず、相槌を打つぐらいしか出来なかった。
「まあ、そんな最悪な液体が海面をアップアップしている被害者たちの肌や衣服にまとわりつき、救出後も他の怪我人優先でろくに入浴や着替えもさせずに放っておかれたんですから、結果は悲惨の一言です。その日のうちに、皮膚の火傷様の症状や目の痛みなどが何名かに生じましたが、徐々に被害は拡大し、皮膚や粘膜のびらん、失明、乾性咳が相次ぎ、約3日後に大量の死者が出ました。しかし死神もかくやといった毒ガスの魔の手は止まることを知らず、今度は血圧の低下や肺炎症状を引き起こす者が増え、約9日後に更なる死者の群れを生じ、結局このジョン・ハーヴェイ号事件では、617名が負傷し、うち83名が死亡するという惨憺たる結果に終わり、歴史に名を刻みました」
地獄の業火すら生ぬるく感じる戦時下の悲劇を聞き続け、エナデールは胃液が込み上げてきそうになったが、グッと堪えた。
「アメリカは毒ガスを使おうとしていたのがばれたらまずいので隠ぺいを図り、ずっとドイツ軍の攻撃による火災が原因だと言い張っていたようですが、さすがにずっとは隠し通せなかったみたいですね。ただ、この酸鼻を極める惨たらしい事件にも、たった一つだけ救いがあったのです」
心なしか語り部の口調が変わる。どうやら話が核心に近づいてきたようだ。エナデールは黙ったまま固唾を飲んで医師を直視する。
「二回目のデスピーク時に疑問に思った医師が患者の採血を行ったところ、なぜか皆、血中の白血球数が軒並み有り得ないくらい減少していたのです。この報告を生化学兵器研究チームより受けたアメリカ陸軍の偉い人はピンと閃きました。こいつはひょっとしたら、今まで打つ手がなかった白血病の治療に効果的なのではないかってね」
本多はまるで講釈師よろしく自分がその場に居合わせたかのように歴史的発見の瞬間を物語る。手慣れた様子だった。
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