カルテ249 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その30

「今日はいいものがあるのよ、エリザスちゃーん」


 子供部屋のドアをガチャッと開けた長姉は、中を覗き込むとお目当ての末妹を発見して、よだれを垂らさんばかりの笑顔を向けた。右の片眉がまたしても動いている。


「エミレースお姉ちゃん、今日はオレンジ盗んできてないでしょうね!? この前はお父さんにお尻ペンペンされて大変だったんだから!」


 白い寝間着姿でドミノを並べていた小さな金髪の妹はぷんぷくりんに頬を膨らませ、大層お冠のご様子だった。


「あら~、ごめんなさいね。でもお尻くらいならまだいいじゃないの。私なんか頭に拳骨食らっちゃったのよ。これ以上物覚えが悪くなったらお嫁にいけないわよ~」


「そりゃ当然の報いよ! 本当にもう、絶対許してなんかあげない!」


「そんなにむくれないで許してちょうだい、エリザスちゃーん。愛くるしいお顔が台無しよー。あなたに嫌われたらお姉ちゃん悲しくなって街中で裸になって悲劇の踊りを舞っちゃうわ~」


「とっとと衛士に連行されて八つ裂きにされろ!」


 エリザスの怒りの波動のせいか、ドミノが全て音を立てて崩れた。


「あら~ん、そんな冷たいこと言わないでよー。ほら、プ・レ・ゼ・ン・ト!」


 エミレースは、海中から釣り上げたフグみたいになっている妹に、寝間着の下から取り出した黒っぽいものを手渡した。


「うわっ、可愛いお人形さん!」


 途端にふくれっ面の妖精は相好を崩すと、滑らかな黒髪を持つ、漆黒のドレスを纏った手作りの人形に飛びついたため、姉はニヤリと唇の片側を持ち上げた。


「ありがとう、お姉ちゃん! 本当は鞭で百叩きにした上拷問して火炙りにしてアイアンメイデンしたかったけれど、許してあげる!」


「お姉ちゃん、邪悪な魔女かなんかじゃないんだから……でも、機嫌が直ってよかったわー! 徹夜した甲斐があったわー」


 エミレースは、胸を撫で下ろすと同時に、隈のできた目元を細めた。


「あれ、でもこのお人形さん、何だかエミレースお姉ちゃんによく似ているよ。お目々の色は灰色だし……」


「おっ、よくぞ気が付いてくれたわね。これは私そっくりにこしらえたスペシャルドールなのよ。本当は髪の毛も私と同じ銀色にしたかったけれど、あいにくそんな色の糸はなかったので、仕方がないから黒で妥協したんだけどねー、ハハッ」


 エミレースは苦笑しながら長い銀髪を手櫛していた。


「ふーん、で、この子、なんてお名前なの?」


「そうね……我が家の三姉妹は、エミレース、エレンタール、エリザスって、皆最初に『エ』がついているから……エナデールっていうのはどうかしら?」


「素敵! じゃあ私の妹ってわけね! 今日からよろしく、エナデールちゃん!」


 金色の紙を三つ編みに結った美少女は、生まれたての太陽のごとき微笑みを浮かべ、新しい家族をギュッと抱きしめた。



「その通りよエリザス。彼女の正体はお人形のエナデール。ちなみにあの時私そっくりに作ったのは、たとえあなたと私が離れ離れになったとしても、いつまでも私を覚えていて欲しかったからなの」


 巨竜のエリザスを見つめる眼差しは、幼い妹を慈しむ姉のまさにそれで、無限の優しさが込められていた。


「でも……確かあのお人形はボロボロになって壊れちゃって、とうとうお母さんに捨てられてしまったはずだけれど……」


 洞窟の入り口から吹き付ける微風に金髪を揺らめかせながら、エリザスは小首を傾げ、柳眉をしかめた。


「彼女はポノテオ村に来てから私が新たに作ったお人形に命を吹き込んだものなの。腕が落ちてなくてよかったわ、フフッ」


 ドラゴンがかつての姉そっくりに、悪戯っぽく笑う。


「なるほど、言うなれば彼女はエナデール2号ってことか」


「変な言い方するんじゃないニャ、ダイフェン! なんかいやらしいニャ!」


「しかしなぜ、再び人形をこしらえる必要があったんかいのう……?」


 バカ夫婦をうっちゃって、バレリンが怪訝な顔をする。


「良い質問ですね、ドワーフさん。それは彼女に私の影武者を務めてもらうためです」


「影武者……?」


 訳の分からぬエリザスが、ドラゴンの台詞を復唱する。


「それでは、私の身に起こったことを、改めて全てお話いたしましょう」


 銀竜は、愁いを帯びた目をして、遠い過去を見つめた。

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