カルテ237 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その18
「……おねえちゃん、ママとおなじにおいがする」
「……えっ」
ヒックヒックとしゃくりあげていたピートルが、エナデールの腕の中でぽつりとつぶやいたたため、彼女は茫然自失となった。
「ママ……」
少年は未だ嗚咽しながらも、生まれて間もない赤子のように、自らエナデールにギュッとしがみついてくる。
(ひょっとして、私の中の、この子の母親が……)
エナデールは無意識的に視線を自分の腹部の方に向けた。なんとも表現し難い複雑な感情が胸の内に渦を巻くも、この際頼れるものなら何だってよかった。
(……お願いします、亡くなったお母さん、ピートル君を守ってください)
彼女は息を止めて瞑目すると、この世界ではないどこかに向けて心の中で祈りを捧げ続けた。たとえ、頼めた義理ではなくても、必ずや力を貸してくれると固く信じて。
「ほほう、大したもんですね。あなた、絶対小児科医に向いてますよー」
背中越しに医師の感嘆する声が届き、エナデールはふと目を開けた。息も絶えんばかりに号泣していたピートルは、彼女に抱かれて妖精のような笑みを浮かべ、すやすやと眠っていた。
「ピートルは生まれた時から比較的元気な、手のかからない子供でした。しかし二歳の途中から、風邪をよくひいたり、動悸が起こりやすくなったり、鼻血が中々止まらないなど、急にいろんな身体の不調を訴えるようになったのです。困り果てた私は、わざわざ噂に名高い城塞都市ドグマチールのライドラース神殿まで彼を連れて行ったのですが、原因はわからないし、外傷でもないのでここでは治療できないと、すげなく断られてしまいました。他にも高名な薬草師の元を訪ねたり、病によく効くと評判の温泉まで足を運んだりしたのですが、いずれも徒労に終わりました。そして彼の症状は日に日に悪くなっていったのです。
ついに私は一大決心し、一人村を出てもっと遠方まで治療法を探す旅に出たのですが、どこにもそんなものは無く、全て無駄足でした。やるせなく、空しい気持ちで今朝ようやく我が家に帰り着いたところ、ポノテオ村を襲った惨劇と、妻の死を知ったのです……」
本多が、息子の具体的な症状を教えてほしいと頼んだところ、ローガンは沈痛な面持ちで粛々と語った。
「ふーむ、そうでしたか……」
生返事をしながらも、医師は何か考えを巡らしている様子で、鳥の巣のような頭を軽く揺すっている。泣き疲れて熟睡している少年を見守っているエナデールは、フケがこっちに飛んでこないか少々心配になった。
「とりあえずお休みのところ悪いけど、ちゃちゃっと触診しちゃいましょうか。エナちゃーん、一皮ペロッと剥いちゃってください」
「……は、はい」
いきなりエナちゃん呼ばわりされて心外だったが、不満をごくりと飲み込んで、エナデールは少年のシャツを捲りあげた。現在助手が彼女しかいないので、致し方ないという理由もあったが。ちなみにセレネースは先ほど少年の採血を手早く済ませた後、採血管を持って一旦白亜の建物に引き返したので、あいにく不在であった。
死んだように眠っていた少年も、腕の血管に針を挿入された刹那、さすがに「痛い!」と目を覚ましたが、「……大丈夫、すぐ終わるわよ」というエナデールの励ましと抱擁によって、また、蚊が刺した程度にしか感じぬとベテラン看護師セレネースが保証する匠の技のお陰か、大した痛みも感じなかった様子で、気丈にも何とか泣き出さずに堪え、抜針後、すぐに再び心地よい夢の世界へと戻っていった。
「ほうほう、これはこれは……」
セレネースはいつまで留守にしているのだろうかと第二助手が気を揉んでいる間に、少年の血管が浮き出そうなくらい薄い胸板を指で何やらトントン叩いていた本多は、何かを発見した様子で突如動きを止めた。
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