カルテ235 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その16

「な……なんであなたは平気なのよ!? 私が一瞥しただけで皆石像になっちゃうのに!?」


 エリザスは理解不能な現象に直面し、おののいていた。エナデールは凛とした態度で灰色の瞳を見開き、真正面から魔獣化した彼女を凝視しているくせに、髪の毛一本硬化することがなかったのである。


「……残念ですが、その質問には我がマスターの許可がないとお答えすることは出来ません」


 エナデールは取り付く島もない様子で、毅然として答える。


「じゃあ……じゃあなぜ私がメデューサに変身することが事前にわかったのよ!?」


 回答が得られず承服しかねる駄メデューサは、諦めの悪い駄々っ子の如く、矢継ぎ早に質問を繰り出す。彼女が見たところ、エナデールの咄嗟に取った行動は、明らかに前もって計算されたものだった。でなければ、いくらなんでもあそこまで完璧に必殺の邪眼を妨害することなど出来るはずがない。


 つまり、この最果ての地に到着するまでに、すでにこの黒づくめの女はエリザスの正体を見抜いていたことになる。エナデールは、案内人にして監視役だったのだ。


「……その質問に対してならお答えすることは可能です。というか、そもそもあなたの旅のお仲間がばらしておられたではありませんか」


 返ってきた答えが突拍子もないものだったため、魔獣化しても美しいエリザスは、はしたなくもあんぐりとワニのように大きく口を開けた。


「ななななななんですってーっ!? そんなこと誰も言ってないじゃないのよ!? 嘘を吐かないでちょうだい、この腹黒女!」


「いえ、私はこの耳ではっきりと聞きました。お連れ様の虎猫族の女性が、『だってこっちは石化の魔獣メ……』とおっしゃるのを。ついでに申し上げると、私は腹黒女ではありません」


「あーっ!」


 突如エリザスは、幼少期に問題が解けずに憎むべき家庭教師の糞野郎に、愛らしいお尻を革の鞭でぶたれた時と同様の衝撃を受けた。つまり平たく言うと、自分のバカさ加減を呪った。確かに朝靄に包まれた森の中で大熊と対峙した時、やや離れてはいたがこの女性も近くにいたのは間違いない事実だった。


「で、で、でも、だからって、それがなんで私だと……」


 まだ無駄な抵抗を試みるも、エナデールの顔はあくまで涼しげだった。


「特定できるのかとおっしゃりたいのですか? それも極めて簡単なこと。私は我がマスター・エミレース様から妹君たちのお話をよく聞かされました。中でもとりわけ可愛がられていた、末の妹姫のことを。美神も嫉妬するほどの美貌の持ち主である彼女が犯した罪をかばおうとしたエミレース様とエレンタール様は、エリザス様と共に苛烈極まるインヴェガ帝国皇帝ヴァルデケンの下命によって最果ての地の地獄・魔獣創造施設に送り込まれ、見るもおぞましい姿に変貌を遂げたことを、我がマスターは慟哭しながら語られました」


 エナデールは噛んで含めるように淡々と語り続ける。彼女のやや低い声以外、洞窟内に響くのは澄み切った水音のみだった。


「そうか……最初から私が何らかの化け物であると目星をつけていたのね。そりゃ敵うわけがないわ……」


 ようやく敗因を悟り、負けを認めたメデューサは、束の間がっくりと肩を落としていた。が、やがて心の準備が出来たのか、「さ、一思いに私を頭からガブッとやっちゃってちょうだい、マイシスター。その代わり、その女の子は食べないであげて。私の方がよっぽどボリューム満点で食べ甲斐があるでしょうし、後生だから見逃してやって!」と嘆願しながら背筋を正した。

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