カルテ234 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その15
そこは洞窟の中でももっとも広大な空間で、天井も見上げるような高さだった。鍾乳石も石筍も今までにないくらいの成長ぶりを見せ、鍾乳洞が経てきた長い年月を実感させた。どこかから微かにちょろちょろという音が響いてくるが、近くに水流があるのかもしれない。
広間の中央の他より高くて平たい舞台のような場所には、藁で設えられた小さな寝床があり、その上には簡素な筒衣をまとった亜麻色の髪をした、まだ4、5歳程度の少女が臥床していた。奇妙なことに少女の両眼には布がグルグル巻きにされていた。熟睡しているのだろうか、すいよすいよという密やかな寝息が可愛い団子っ鼻から冷風に乗って耳元に届く。そして、少女のほっそりした剥き出しの左腕には、糸のように細い銀色の毛が刺さっていた。その毛の先には……
「エミレース姉さん!」
鬱積していたあらゆる感情が爆発し、エリザスは絶叫していた。忘れもしない一番上の姉の顔を持った銀色の魔竜が、少女を取り巻くように、石舞台の上に巨躯を横たえていたのだ。全身を流星のように煌めかせ、背中から生えたコウモリに似た羽根は折りたたまれ、大蛇の如き長い尾がとぐろを巻いていた。
確かに、額にあったはずの斬撃剣にも似た角は今はなく、赤い瘢痕を残すのみであったが、他はどこも傷ついた様子はなく、インヴェガ帝国で最後に目撃した時の姿のままであった。薄っすらと開けられた、夕陽のように赤い大きな瞳は、禁断の間への侵入者であるエリザスをじっと見据えている。
「やっぱり……!」
エリザスの喉元を、炎の塊が駆け上って来たかのように感じられ、冷気に曝されているはずの顔面がたちどころに熱を帯びる。予想通り、長姉は死んでなどいなかった。どういうわけか、魔女の討伐より免れ、しかも人間に化けて村人を騙しておびき寄せ、ああやって毒を注入し、自分の贄としてきたのだ。何という邪悪な知能であり、畜生にも劣る所業であろう。
今ここでこの命に代えても倒さねば、あの子が次なる生贄の子羊と化してしまう。だが、果たして自分に出来るだろうか……?
(えーい、ままよ! これ以上好きにさせてたまるもんですか! 考えるより動け! 先手必勝!)
エリザスは全身を怒りの波動で満たすと、瞬きも忘れて、双眸にありったけの力を込める。みるみるうちに、両眼が充血したかのように真っ赤に染まり、時を置かずして煌めくような金髪がざわめき出し、生命を帯びる。
そう、肉体能力的にはドラゴンより遥かに劣るメデューサには、敵に正体を悟られる前の魔眼の一撃しか必勝法がない。だが逆に言えば、石化さえしてしまえば、後は煮るなり焼くなりどうとでもなるのだ。実際に次姉エレンタールの化した青色の魔竜との死闘も、一度目の時は出会い頭の邪視で勝負はついている。幸いなことに、何故だか理由はわからないが、竜の間近にいる少女は目隠しされているし、巻き添えを食らうことはないだろう。
「勝った!」
勝利を確信した美麗な魔獣は、我知らず歓喜の声を上げていた。だが、現実は常に残酷だった。なんとエリザスがメデューサ化する直前、黒衣の案内人が目にも止まらぬ速さで彼女の前に立ちふさがり、魔眼の視線が邪竜に到達するのを間一髪で阻止したのだ。
「えええええええ!? 何でよー!?」
「……今すぐ目を塞いでください、エミレース様。この方は蛇の髪と邪眼を持つ魔獣メデューサです」
混乱する哀れなメデューサをよそに、エナデールは両手を大きく広げて遮蔽面積をより大きくすると、冷静沈着に背後の銀龍に対して忠告した。
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