カルテ229 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その10

「いやぁ、こりゃいったい全体なにがあったんですかぁ? ここは第一次世界大戦のヨーロッパ戦線ですかぁ?……って本で読んだだけで、実際見たこと無いんですけどね」


 自然に伸びるまま自由に育てた灌木のような頭の白衣の男……本多と名乗る医者は、寒村の広場に集まった病人たちの姿を一目見るなり、こう言い放った。


 村長のローガンや他の村人たちが、銀色の魔竜がポノテオ村に引き起こした災禍について恐る恐る、だが事細かに説明すると、飄々とした医師はフンフンと頷いて耳を傾け、しばらく瞑目していたが、


「なるほどなるほど、そのドラゴンボールは辛子だかニンニクだか麻婆豆腐のような臭いの毒煙を上空で毛先から吹き出し、その後皮膚が爛れだしたり、目が真っ赤に腫れたり、喉が痛くて咳が止まらなくなった皆さんに襲い掛かり、次々に食らいついて食べ散らかしたってわけですね……閃いた!」と、突如双眸を飛び出さんばかりにカッと見開くと、「こりゃーいわゆるマスタードガスと一緒ですわー。よし、セレちゃん、ここにいる人皆シャワーしちゃってーっ!」と、背後の建物に向かって景気よく一発ぶちかました。


「全員するんですか、先生? とてもじゃないですけれど、タオルと病衣が足りませんよ」


 入り口から顔を覗かせた、やはり白衣を着た赤毛の女性が、眉一つ動かさず異議を唱える。同じ赤髪でもビ・シフロールとはだいぶ印象が異なるな、とエナデールは野次馬の後方から窺いながら考察した。


(あれが本当に異世界から現れた伝説中の伝説なのかしら……何かもめてるみたいだけど)


 未だ半信半疑だったが、あれほど強く師匠が推薦していたことだしと思い直し、彼女はもうしばらく様子を静観することに決めた。


「そんなの家から着替えを持ってきてもらえばどうにでもなるさーP38! 本来なら次亜塩素酸での洗浄がベストなんだけど、そんなにいっぱい持ってないし、別に大量の水でもかまわないそうだよー」


「でも、本当にマスタードガスとやらなんですか? 何かの感染症とかでは……」


「あいにくマスタードガスだと確定する検査法はまだ存在しないんだけど、これだけ状況証拠がそろっているんならほぼ間違いないでしょーし、とにかく急いじゃってちょーだい! 一刻も早く除染した方がいいんだから!」


 モジャモジャ頭の医師は、ポノテオ村の住人にとってはちんぷんかんぷん台詞を早口でまくし立てる。エナデールもあっけに取られて見守っていたが、彼の身振り手振りや会話の端々から、どうやら怪我人たち全てに白亜の建物内で行水らしきことをさせるらしいと判断し、なるほどと得心した。


 確かに毒ガスの効果を打ち消すには、まずはよく洗浄するのが先決であろう。かの魔女が自分との戦いで雨の護符を使用し、毒ガスを洗い流して無効化したように。


(今こそ、自分が力になる時かもしれない……)


 彼女は勇を鼓して、手を振り回してまだ何かわめいている本多医師に、控えめながらもそっと話しかけた。


「……あの、私でよければ、何かお手伝いできることってありませんか?」


「ぬをっと」


 不意を突かれてたたらを踏むも、すぐに彼女の意を察した医師は、何とか体勢を立て直すと笑いかけた。


「ボランティア活動を希望ですか、お嬢さん? そりゃー願ったりかなったりですけど、とりあえず重病そうな方をここまで運んできてくれませんかね? 新しい服や清潔な布なんかもジャンジャンあるとうれしいんですけどねー。包帯の在庫が足りるかどうか、不安なもので」


「……わかりました」


 今まで気だるげだったエナデールの身体に、目に映らない炎が宿ったかのように熱がこもる。ここで自分が必要とされている実感が、魂の根幹から込み上げてきた。


(ありがとうございます、ビ・シフロール様)


 彼女は両手をパシッと打ち合わせて気合を入れながら、運命の出会いに導いてくれた師匠に心から感謝した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る