カルテ228 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その9
黒づくめの女医は、無言のうちに少年の胸部や腹部を撫でさすったり、上から指でトントンと叩いたりしている。どうやら彼の呼吸に合わせてしているようだ、とエリザスにはおぼろげながらわかったが、その意味するところまでは皆目不明だった。
「こ、これって許されるのかニャ……」
「バカ、大事な診察だって言ってんだろ! ちったあ黙っとけ!」
「わしも、この立派な胸筋を診察して欲しくなったのう……」
「バカドワーフも黙りなさい!」
最初ローガン以外のメンバーはあっけに取られてコソコソ囁き合ったが、口出しするのもはばかれるほどエナデールの眼付きが真剣そのものだったので、直に大人しく口をつぐみ、様子を見守った。
「……ふむ、確かにどこも異常なさそうね」
仕上げとばかりにピートルの口を鳥の雛のように大きく開けさせ中を覗き込むと、漆黒の女医は一人大きく頷いた。
「やったー! もう服着てもいい?」
小さな囚人はようやく拘束期間終了とばかりに年齢相応の笑みを浮かべる。
「……どうぞ、ご自由に。でも、最近は風邪をひいたりめまいがしたりしていませんか?」
「はい! 十分気をつけて、無理せず規則正しく生活しているし、調子はまずまずです。ほら、髪の毛もフサフサだし」
丁度シャツを身に着ける途中だった少年は、豊かな金髪を襟口から覗かせ、麦の穂のように揺らしてみせた。
「……ほう、だいぶ伸びましたね。一時期はお父さんみたいだったのに」
「いやあ、面目ない」
息子の後ろで、タコ坊主のローガンが、何故か赤ら顔で照れくさそうに顎を掻く。
「ええっ、坊や、前は髪の毛が無かったのかいの?」
謎めいた会話に好奇心を押さえられず、バレリンが疑問を口にした。
「はい、実はある時全部抜けちゃったんです。それから麦わら帽子を被る癖がついちゃって……」
少年がやや恥ずかし気に、父親同様赤面する。オヤジの方は論外だが、こっちは初々しくてよいな、とエリザスはどうでもいいことを思った。
「……よし、無罪放免としましょう。おやつを食べてもいいですよ」
「わーい!」
「そ、それはうちの狙っていたやつだニャ! それだけは譲れないのニャ!」
「おいおい、子供と奪い合うなよ、ランダ」
不愛想な主治医とは対照的に、患者の方は飛び跳ねんばかりに喜びをあらわにすると、テーブルの上に置かれた無花果に手を伸ばし、たまさか同じブツを取ろうとしていた猫娘と骨肉相食む醜い争いを開始した。
「ところでお嬢さん、失礼だがどこでそんな医療技術を学んだんだい? 魔女からだとはちと考えにくいんだが……それに治療の途中で脱毛っていうのはどういうことだい?」
嫁の醜態を見捨てた夫が、今こそサーガの取材のチャンスとばかりに精一杯の渋い声を駆使して口を開く。
「……それについては後ほどお話しします。さて、符学院からお越しのエリザスさん」
エナデールはやんわりとダイフェンのインタビューをかわすと、やおら背後の金髪女性に向き直った。
「は、はい! 何でしょうか!?」
心中やましいことを考えていたエリザスは、ついシャキッと姿勢を正す。
「……今からちょっと、二人だけで外でお話ししたいのですが、よろしいでしょうか?」
「はぁ、私は別に構いませんが……何故!?」
エリザスの顔面に、興味と戸惑いがない交ぜになった表情が浮き上がる。
「……それは行けばわかります」
エナデールの灰色の瞳の奥に、先ほど猛獣を撃退した時と同様に鋭い光が生じた。
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