カルテ221 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その2
「ほーら、だからさっき言ったろ、もう少しだって」
「単なる偶然だニャ! でもやっと休めるニャ!」
「これでやっと美味いイノシシ肉にありつけるのう」
「それはなんか違うんじゃないの、バレリンさん!?」
とぼけたことを言う腐れドワーフに突っ込むうちに、エリザスの緊張も緩和していき、先ほどの違和感は気のせいだったのでは、などと考えてしまった。ゴールが近づいて気が緩んだためか、足取りも軽くなった一行だったが、先導者のローガンの足がふと止まったため、やむを得ず連鎖して急停止せざるを得なくなった。
「どうしたんだニャ、村長さん?」
「く……」
「く?」
熟練の山男は、右手の人差し指を霧が晴れつつある前方の杉林の一点に突き付けたまま、絶叫した。
「熊だーっ!」
「……」
思わずその場の全員凍り付いたように固まるも、次の瞬間、
「ええええええええええーっ!?」
「なななななんでこんなところにーっ!?」
「ダイフェン、さっさとバイオリンでぶん殴るニャ!」
「アホか、即殺されるわ!」
など、蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、好き勝手にわめき出した。一番後方のエリザスが目をすがめると、確かに大木の陰に全長2メートルはあろうかという全身を黒い毛皮に覆われた格闘家よりも大柄な、丸耳と黒く短い鼻と鋭い爪を持つ猛獣が、突っ立ったままこちらを凝視している。
「こ、ここは熊もよく出るんですか?」
彼女は恐る恐る、まだ熊を指し示したままの格好のローガンに質問した。
「いえ、普段はそんなことはないんですが……ただ、今年の夏に、ここから北西にあるガウトニル山脈のカイロック山で季節外れの大雪が数日間降りましてね、その影響でそこの動物たちが周辺の山々に移動したせいか、最近いつもは見かけないような種類の動物を目にすることが増えているんですよ」
美女に話しかけられたせいか、やや落ち着きを取り戻した村長は、若干震えながらもエリザスに逐一説明してくれた。
「しかし弱ったのう、何も武器になるようなものを持ってきておらんぞ」
「俺の大切なバイオリンだけは勘弁してくれよ」
「そんなの必要ないニャ! だってこっちは石化の魔獣メ……」
「バカかお前は!?」
得意げにエリザスの方に視線を投げかけようとしたランダの口元を旦那が慌てて押さえる。
「せっかのまじゅうめ……って何のことですか?」
ずっと怯えて無言だったピートルが、興味津々な様子で瞳を輝かせる。
「いやいやいや、せっかくマジうめえメシ食べたから百人力で、熊なんぞ楽勝、ということじゃよ、坊や」
「そ、そういうことですか……」
バレリンの咄嗟の非常に苦しい解説にも、少年は素直に納得した様子だった。
(やれやれ……だけどどうしたものかしらね。確かにメデューサに変身してしまえばあんなケダモノ一発なんだけど、知り合って間もない村長さん親子に正体を見せるわけにはいかないし、かといって使えそうな護符は持っていないし……まったく、飲み代や旅費のために売り払うんじゃなかったわね)
エリザスは仲間たちの言動に内心ひやひやしながらも、必死で解決策を練りに練ったが妙案は欠片も閃かず、時間は刻一刻と無為に過ぎていくのみだった。オスの成獣と思しき大熊は城塞の門番のようにこちらを睥睨しながら低い唸り声を上げ、まったく怯える気配がない。
(くそっ、これじゃあいつまで経っても辿り着けないじゃないのよ……)
現在一行の中で唯一戦力になりそうなのが自分なのに何一つすることが出来ず、腹立たしさとふがいなさと不安感が渦を巻き、頭がどうにかなってしまいそうだった。このままでは遠からず、不安発作が生じて血を見ずとも自動的にメデューサ化してしまうかもしれない。
(いっそのこと、そうなる前に……)
海よりも青いエリザスの瞳に暗い影が揺らめき、魔眼の紅に変貌を遂げるかに見えたその時、思いもかけぬ異変が起こった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます