カルテ220 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その1

 まるで活火山からもくもくと噴き上がる噴煙のような霧が、朝の樹海一面を覆っていた。今が見どころのアモバン山脈の目を奪わんばかりの紅葉の海も、常陽樹である杉が多いこの一帯までは燃え広がっておらず、幾星霜も年を経て神さびた万年杉がまるで雲海に潜むドラゴンのように、白濁の中から時折現れては、地上に黒い影を投げかける。


 そんな濃霧に閉ざされたタガメット山山中の羊腸の小径をノロノロと進む、旅装束の上にマントを羽織った奇妙な六人連れの姿があった。


「まだエナデールさんのところにつかないのかニャ!? もうだいぶ歩いたのニャ!」


 ただでさえ吊り目気味の猫目を更に吊り上げて、虎猫族の女性ことランダが、憤懣やるかたないといった声を上げる。だいぶお冠の様子だ。


「すいませんね、足元が悪くて思ったよりも時間がかかってしまって」


 先頭を十三、四歳程度の少年と歩く体格の良い壮年男性が、振り向きながら申し訳なさそうに禿げ頭を下げる。


 ポノテオ村の村長のローガンと、その息子のピートルだ。


「ごめんなさい」


 父親と一緒にぺこりと謝意を表す内気そうなピートルは、つばのある麦わら帽子をかぶっており、チェニックを纏った色白な身体はまるで少女のように儚げに見えた。


「おいおい、せっかく案内してもらってるのにそう急かすなよ、ランダ。多分もう少しだって」


 肩に掛けた荷物袋の紐を調節しながら、緑色の帽子の下から垂れ眼を覗かせてランダの夫の駄目人間こと吟遊詩人のダイフェンが、子供でもあやすようにふて腐れるワイフをなだめすかす。


「なんでそんなことがあんたにわかるんだニャ、ダイフェン!? いいかげんなことばかり言うんじゃないニャ! 大体あんたはいつもいつも……」


「なんか昨日もまったく同じやり取りを見たような気がするのう、ふわ~」


 もはや恒例となった痴話喧嘩を横目で見やりながら、ドワーフのバレリンが生あくびをかます。


「ええ、本当に毎度毎度よく飽きないわね。早く到着したい気持ちはよくわかるけど」


 一行の最後尾を行く金髪の美女・エリザスも、やや隈のある疲れた表情でうつろに答える。昨晩、今日のことが気になって中々寝付くことが出来なかったのだ。おまけに早朝に起こされたので、正直たまったもんじゃなかった。


「それにしても、もうちょいペースを上げんとまずいかもしれんのう」


 バレリンがフンフンと小鼻をひくつかせながら、短い首を天へと向ける。今は狭霧の向こうなので曖昧模糊としているが、出立の時、昨日の好天気はどこへやら、空は今にも雨が滴り落ちてきそうな涙色をしていた。こういう時は瀑布のような豪雨が来る前に早めに動いた方がいいという、生まれた時から山男である村長の鶴の一声で、エリザス、ダイフェン、ランダ、バレリン、ローガン、ピートルの計六名は、朝食もそこそこにポノテオ村を出発し、獣道もかくやという山道を、一路魔女ビ・シフロールの弟子の住むという山小屋へと向かった。


 ちなみにピートルは行くのを渋ったが、最近診察してもらってなかったので丁度いいという親父の意見で有無を言わせず同行決定となった。しかし一時間半もあれば着くというローガンの説明だったが、あいにくの霧と肌寒さのせいか思うように足が進まず、気の短いランダがイライラを募らせるのもむべなるかなと思われた。


「おっ、ちょと霧が晴れてきたんじゃないか?」


「あっ、ホントだニャ!」


 つい先程まで喧嘩していた凸凹夫婦がいつの間にやら仲直りしたのか、ちょっとした気候の変化に嬉しそうに顔を見合わせたので、あてられたエリザスは食あたりでも起こしそうな気分になった。あれから山中を黙々と行進すること十五分ばかり、ダイフェンが指摘する通り、周囲を取り巻く狭霧のレース様のカーテンは次第に薄くなり、朝の透明な日光が杉葉に連なる蜘蛛の巣を、あたかも縫い針に通された極上の絹糸の如くきらめかせていた。


「あっ、小屋が見えてきましたよ!」


 ローガンの興奮気味の声が前方から響いてきたため、一同は色めき立った。だが、エリザスはただならぬ雰囲気を察知し、身震いする思いがした。

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